5-6 寿命がみえる老人

 僕はポケットの振動で現実に引き戻される。

 LINE相手は少ないし、メールならあとで見る。いまは僕らの邪魔をしないでほしい。しかしそんな僕の願い空しく振動は鳴りやまない。これはもしかして電話か。


「直斗、スマホ鳴ってない?」

「うん、ちょっとごめん」


 さすがに里奈に気づかれては確認せざるを得ない。

 里奈の手を離しポケットを探りスマートフォンを取り出す。やはり着信だった。しかも発信者は田沼だ。いまは勘弁願いたいがそうも言っていられない、もしかしてアルバートの主治医と連絡が取れて、なにか新しい情報が得られたのかもしれない。


「もしもし?」

『俺だ、田沼だ』

「それは声でわかりますよ」

『はは、相変わらず性格歪んでいるな』

「ほっといてください」

『いまちょっと良いか』

「はい、少しなら……」


 僕はチラリと里奈の居場所を確認する。里奈は先ほど同じ場所で、空を見上げながら僕を待ってくれている。これなら少し離れても大丈夫そうだ。グラウンドにはいくつかの水溜りが出来ている。それを踏まないように慎重に歩いた。


『アルバートの主治医と連絡が取れた』

「本当ですか」

『ああ、それでここからが本題なんだが、やはりアルバートはカウントダウンを止めたと言っていたそうだ。しかし……』


 田沼が口をつぐんだ。少しの間沈黙が流れる。なんだ。アルバートの主治医になにを聞いたと言うんだ。


「なにを聞いたんですか」

『そ、それは……あー、ダメだ。電話で話せる内容じゃない。今から行っていいか?』

「ええっ⁉ いまからですか? 文化祭の真っ最中ですよ」

『えっと……じゃあ文化祭が終わるまで外で待っているさ!』

「はぁ、わかりましたよ」


 なんだ、なにを聞いたのだ。僕は通話を切り少し考えた。田沼とは短い付き合いだけれど、いつもメールで済ますあの田沼が、直接会って話がしたいと言うのは珍しい。

 それほど重たい話なのか。なんにせよあまり良い話では無さそうだ、そんなとき後ろから僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「織部君」


 この声、聞き覚えがある。つい先日に聞いた声。僕はスマートフォンをポケットにしまい声の方へ振り向く。するとあの初老の刑事がこちらを向いて立っていた。

 そればかりか先日あった木村という若い刑事が里奈と話をしている。


「ま、またあなたですか」


 なんてタイミングでこの二人に出会うのだ。もしかして電話の相手が田沼だと知って声をかけて来たのか。いやそうだったとしても僕は何もやっていない。なんでこの刑事が何度も僕の目の前に現れるのだ。


「以前、話を途中で終わらせてしまってね。それをどうしても伝えたくてね」


 あの昔話のことか?

 そんなことのためにわざわざ仕事中に僕に会いに来ただって。わからない、この刑事がなにを考えているのか。


「少し、時間を貰えないだろうか?」

「見てわかりませんか。いまこの高校で文化祭が行われているんですよ」


 なんだってどいつもこいつも僕の都合を無視して時間をくれというのか。文化祭の真っ最中だって言っているだろう。


「わかっている。けれど、どうしてもいま伝えたいのだ。これは君の為にもなる」


 先日までの飄々とした態度が感じられない。表情ひとつ変えず僕の目をジッと見つめている。まるで獲物を狩る猟犬のような眼差し、どうやらこちらがこの井上という人間の本当の姿らしい。


「僕はなにか罪でも犯しましたか」

「いいや。君はなにもしていない。いやか」


 こいつなにを言っている。言っていることが支離滅裂じゃないか。


「これ」


 井上はそういうとまたあの本を鞄から取り出した。田沼の著書『みえるひと」だ。


「彼女には話しているのかい? このこと」

「⁉」


 キッと目を見開き井上を睨みつけた。くそ、何だったって言うんだ。これじゃ脅しじゃないか。僕が何をしたというのだ。

 しかしあの本を里奈に知られてしまえば、またあの日のように険悪なムードとなってしまう恐れがある。せっかく関係が修復してきたというのに、それだけはだめだ。

 僕はあからさまなため息をつき井上の申し出を了承した。


「わかりましたよ」

「ありがとう、時間は取らせないよ。あ、それと彼女には木村の方から用事が出来たと伝えておくから、心配しなくてもいい」


 井上は歩き出し、チラリと僕の方を振り返る。こっちだと言わんばかりに小さく頷いた。

 校庭を出て正門を抜ける。前を歩く井上は、時折振り返り僕の姿を確認する。逃げるとでも思っているのか。ふざけるな、逃げる理由なんて僕にはない、さっさとその昔話を聞いてすぐに里奈の元に戻らせてもらう。

 井上が立ち止まりまた振り返る、目の前には黒塗りのセダンが止まっていた。


「車内で話そう」


 井上はそういうとキーでロックを解除し。運転席のドアを開く。僕は助手席に乗れと言わんばかりに無言でそこへ乗り込んだ。これが警察の車か。救急車には先日乗ったが、覆面車パトカーははじめてだ。しかしこんな場所まできて何を話そうというのか。仕方なく覚悟を決めて助手席へ乗り込む。シートは安物の革張り、身体を動かすたびにキュッと音を鳴らした。


「手間を取らせて本当にすまないと思っているよ」

「そんなことはいいから、早くしてください。なにが言いたいんですか? 僕は容疑者なにかですか」

「まさか、きみは罪など犯してはいないよ。むしろ逆だ」


 さっきから言っていることが本当に意味不明だ。いい加減イライラしてくる。


「私は先日、勤続年数三十年を迎えたんだ」

「それは聞きましたよ、刑事になって二十年だということもね」

「そう、最初の十年は市内の交番勤務でね、毎日パトロールをしていると街の人と仲良くなったりするんだ」

「へー」


 僕は助手席のドアにもたれかかり欠伸をした。そんな話に興味は無い。いま里奈は何しているだろうか。


「そんなとき、ある老夫婦と親しくなったんだ」

「ほー」

「その老夫婦は優しくてね。毎日ご苦労様だとかいつも大変だねと声をかけてくれた」

「それが僕に伝えたいことですか」

「いや、まだだ。そんなある日私に刑事課異動の話があってね。元々刑事志望だった私は喜んだ。でも少し悩んだよ。私に優しくしてくれたあの老夫婦と別れることになってしまうからね」


 実にどうでもいい話だ。僕は学校から出てくる人だかりに視線を向けて、暇をつぶしていた。


「でも異動の話を断ることなんて出来ない。私は交番勤務最後の日、老夫婦に別れを告げた。そのとき旦那さんがこういったんだ」


 多くの人が駅に向かって歩いている。もう文化祭も終わりだし、さすがに学校へ向かう人は居ないようだ。辺りは薄暗く、空模様が怪しい。また雨が降るのだろうか。どうしよう、そういえば傘持ってきてないぞ。


「私には寿、と」


 ……。

 …………。

 ……いま、なんと言った。


「驚いたかい」

「もう一度いってもらえますか」

「その旦那さんは、人の寿命が見える、と言ったんだ」


 井上のその言葉に僕はまばたきを忘れた。

 なんだって……。

 日本人にも居たのか、僕と同じ能力を持つ人間が。いや冷静に考えてみれば、アルバートも僕と同じ能力を持っていた。同じ日本人に居てもおかしくはない。むしろ十分その可能性はある。


「へえ、そのひと頭がおかしいんじゃないですか」


 僕は平静を装い井上に調子を合わせる。


「私も最初はそう思ったよ。私は結局その旦那さんの話を適当にあしらって別れたんだ。そして私は刑事になった」


 至って普通の話だ。あまりにも現実離れしているから、それは当然だと言える。僕が出会った殆どの大人はそうだ。どの同じも適当に話を聞き流し、信じようとはしない。


「刑事さんは、その老人の話、信じたんですか?」

「あ、ちょっと失礼」


 井上は僕の質問には答えず、背広のポケットから電子タバコを取り出し、電源を入れた。奇しくも田沼と同じ電子タバコだ。僕は助手席側に身体を寄せた。


「ふー」


 独特な香りと白い煙が車内に漂う。田沼とは違う匂い、田沼はフルーティーなメンソールだった。井上はレギュラータイプだろうか、煙草独特の匂いに不快感を覚える。正直好きになれない匂いだ。


「本当は車内は禁煙なんだが、同僚の木村には内緒にしてくれ、あいつは口うるさくてかなわん」


 わかった。あとで井上が車内で煙草を吸っていたと、その木村刑事に伝えておこう。


「それで刑事さんはその老人の話を信じたんですか、それが僕に伝えたかったことですか?」

「いや」


 井上が白い煙を吐き出した。臭い、この銘柄は僕の身体に合わないようだ。


「刑事になって四年程が経過した頃、千葉市を中心にとある事件が起こった」


 四年、井上は刑事になって二十年と言っていた、ということはいまから十六年前という事になる。それだとちょうど僕が生まれた頃か。


「事件?」

「連続強盗事件だ」


 それが今の話にどう関係がある。そんなことはどうだっていい、僕の質問に答えろ。


「当時、私もその捜査に参加していてね。そこで再び出会ったんだ。あの老夫婦と」

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