3-5 嵐の前の静けさ

 それから僕は田沼と話を続け、病院を出る頃には日が暮れていた。その間にも患者が来ることも無く、僕はそれを心配したが余計なお節介だと田沼は笑いながら言った。

 僕は帰る道中も里奈を救う方法、そして何が彼女の運命を決めたのかをずっと考えた。彼女の身辺に何か変化が訪れたのか、それとも全く別角度からの外的要因なのか。


 田沼は言っていた、仮に里奈が事故に遭うのであればそれは突発的や偶発的な要因だと。それなら防ぐ事は容易い。事故に遭うような場所に行かせなければいい。つまり彼女を安全な場所に移動させるだけでそれを防げる。

 幸いリミットの時刻は二日後、木曜日の午後十時。その時間、彼女が自ら出歩く可能性は低い。となれば自宅で何か起こる可能性を考えた。

 彼女が家に居て一体何が起こると言うのだろうか。突発的に心臓が止まるとでも言うのか。勿論、その可能性が無いとは言い切れない。

 わからない、彼女の身に何が起ころうとしているのだろう。


 僕は田沼と連絡先を交換し、明日学校が終わる頃、どこかで集まる約束した。


『君は今日中に彼女の住所を聞き出してほしい。それを俺に教えてくれ』


 僕がどうして彼女の住所を知る必要があるのかと尋ねると田沼はこうも言っていた、彼女がもし事故に遭うのであれば考えられる限りの範囲で危険な場所が存在しないか身辺を調べておく必要がある。つまり彼女が学校に居る間で里奈の家周辺の危険因子を把握するとの事だ。それを田沼がやると言う。

 僕はその申し出に愕然とした、どうしてその可能性を考えていなかったのだろう。

 彼女の寿命が勝手に尽きる可能性も勿論ある。しかし事故や事件に遭うのであれば、その僅かな綻びがどこかに生じるはずだ。そういった可能性を探さずに僕は途方に暮れるだけで、自分の都合だけで田沼を訪ねていた。田沼が怒るのも無理はない。僕は考える事を放棄し、彼女の救いたいと願うばかりで、彼女を守る行動も起こさなかったからだ。


 その日の夜、僕は里奈とLINEをやり取りして、明日の朝彼女と一緒に登校する約束を取り付けた。里奈は少し訝しんだが、そんな事に構っていられない。

 一緒に登校したいと申し出るも恥ずかしがってなかなか教えてくれなかったが、僕に根負けした里奈は渋々だが住所を教えてくれた。里奈を救う為なら何だってやる。僕はそう心に決めた。


 次の日の朝、僕は彼女の住む家の前に立っていた。住所は昨日の寝る前に田沼に知らせてある。

 彼女は僕と同じ千葉市に住む、二階建ての一軒家に住んでいた。閑静な住宅地。少し僕の家に似ていると感じた。建物は比較的新しく赤い屋根が特徴的だ。少し広めの庭に家庭菜園が植えられている。門構えも至って普通でどこにでもあるような家だ。

 僕は周囲を見回す。特に変わった点は見当たらない。朝という事もあり駅に向かうサラリーマン、犬の散歩を行う老人、どこにでもある住宅地だ。こんな場所で里奈の寿命が尽きると言うのか。

 僕がそんな事を考えていると里奈の家の玄関の扉が引き制服姿の里奈が出て来た。


「行ってきまーす」


 彼女が家の奥にそう声をかける。開かれた玄関の奥には誰もおらず彼女一人。その玄関の奥から小さく犬の鳴き声が聞こえた。室内犬だろうか。あれは確か『ミニチュアダックスフンド』という小型犬だったはずだ。昨日、里奈に家族構成を聞いた際に教えてくれた。

 両親とペットの犬の三人と一匹の暮らし。彼女は一人っ子で父親は都内の会社に勤めるサラリーマンで母親は日中パートを行う主婦だと言っていた。

 ミニチュアダックスフンドのショコラが尻尾を振りながら彼女を見送る。賢いなと僕は思った、決して家から出ようとしない。しつけがしっかりしているのだろう。


「直斗くん、おはよう。待った?」

「おはよう里奈さん。ううん、今来たところだよ」


 嘘だ、結局不安で殆ど寝付けず約束の一時間も前に来て、先程まで彼女の家の周辺を散策していた。田沼一人だけを頼るわけにはいかない。僕も出来る限り彼女を救う方法を考え自ら行動していこうと思う。

 里奈と合流した僕は改めて彼女のカウントダウンを確認する。『39:31』良くも悪くも彼女のカウントダウンは早まる事も止まり事も無かった。僕はスマートフォンを取り出しLINEを起動しその内容を田沼に送る。残念ながら既読は着かない。

 現在の時刻は午前七時二十分。明日の午後十時五十一分、彼女の身に一体に何が起こると言うのか。


 それから僕らは電車に乗り学校に着く、その間に他愛のない話題で里奈と会話をするものの、正直頭に入って来る内容は殆どない。僕はその道中にも気を配り彼女の危険因子になりそうなものを探っていた。下駄箱に辿り着いた時、里奈は少し残念そうな表情を浮かべ『じゃ私はこっちだから』と言って二年生の教室がある方向へ消えていった。

 僕も離れるのが辛い。出来るならずっと一緒に居たい。いやずっと一緒に居るんだ。絶対に里奈のカウントダウンを止めてみせる。


 授業中は周囲に他の生徒もいるし何か事故に巻き込まれる可能性は低いと思える。田沼もそれは言っていた、学校に居る間は外的要因の危険性は薄い。けれど可能性はゼロではない。もしかすると何かの影響でカウントダウンが早まってしまう可能性も視野に入れなければならない。

 僕も自分の教室へ向かい自席でスマートフォンを取り出す。現在の時刻は午前八時五分。休み時間にはLINEで里奈とやり取りを行う。里奈は真面目なので授業中にLINEを返す事は無い。彼女からの返信が無い、それがたまらなく不安にさせる時間だ。


 そんなやり取りが続き時間は過ぎ昼休みになった、勿論LINEのやり取りは続いていたが僕は二年生の教室へ向かう。彼女と少しでも一緒に居るためだ。

 里奈の教室に辿り着くと近くに居た女子生徒から声をかけられた。


「あれ? 君誰? うちのクラスじゃないでしょ。ここ二年の教室だよ」

「あ、あ、あの。沢口先輩は……」

「沢口ィ? おーい、里奈! 男の面会!」


 少しギャル風の女子生徒が窓際に座り弁当を食べようとする里奈に声をかけた。彼女の姿を見たとき僕はホッと胸を撫で下ろした。LINEのやり取りだけではどうしても不安感が残っていたからだ。

 里奈はその声に反応し、僕の姿を見て驚きの声をあげた。それは里奈だけではない。教室に居た他の生徒の視線が里奈に集中した。里奈は顔を真っ赤にして僕の姿を確認する。慌てて席を立ち僕の元に駆け寄る里奈。そして僕の手を引っ張り教室の外に連れ出した。


「ちょ、ちょっと。直斗くん、なんで教室までくるのよ」

「ごめんなさい。一緒に昼食を食べようと思って」

「なんだ沢口ィ、彼氏かー?」

「んんん! ……もう!」


 先程の女子生徒が僕らに声をかける。その言葉に里奈は耳まで真っ赤になっていた。勿論僕も恥ずかしいけれど、今は少しでも里奈と一緒に居る事が最優先だ。


「……仕方ないな。そういう事は先に言ってよね。今もLINEしてたじゃない」


 里奈には申し訳ないと思った、確かに事前に言うべきだったのかもしれない。それなら里奈のクラスを騒がす事も無かっただろう。

 里奈は自分の席に戻り弁当を片手に僕の手を引いて歩き出した。


「ごめんなさい、でも会いたくて」

「――⁉ もう……強引なんだから!」


 口では怒っていたけれど、僕には少し嬉しそうに見えた。もしカウントダウンが見えなければこんなにも強引に行動を起こす事も無かっただろうし、この表情を見る事も無かっただろう。その複雑な心境に僕も少し頬が緩んだ。

 校庭のベンチで僕らは並んでお弁当を広げた。僕の弁当いつものコンビニ物。両親ともに朝が早いし夜も遅い。そのため僕は毎朝コンビニで弁当を買う。


「え……毎日それなの?」


 それを言うと里奈は驚きの声をあげた。


「はい、両親ともに朝早いしいつも帰りが遅いので……」

「えええ……」


 里奈は僕の顔をポカンと見つめている。そんなに驚く事なのだろうか。すると里奈は何か閃いたのか僕に向かって自分の弁当を差し出した。


「じゃあ……交換」

「え? 交換?」

「うん、今日は私がそっちを食べるから、私のお弁当食べていいよ」

「い、良いんですか? 里奈さんの弁当を僕が頂いちゃって……」

「全然いいよ。私が作っているんだし。私用だから足りないかもしれないけど……」

「えええ⁉」


 里奈の手作り弁当。まさかこんなサプライズがあるとは思ってもみなかった。これはとてつもなく幸せな事なんじゃないか。

 僕は渡された弁当を受け取り、中身を見る。白いご飯に卵焼き、ウィンナー、野菜の煮物。そしてメインは小さなハンバーグだ。誰かの手作り弁当なんて何年振りだろうか。僕は感動して少し瞳が潤んだ。


「ちょ、ちょっと……泣く程のものじゃないよこれ」

「いや、めっちゃ嬉しいです。食べていいですか」

「もちろん、口に合うといいけれど……」


 まずは卵焼きに箸を伸ばす。一口で食べられるように小さく切られている。僕は緊張の面持ちでそれを口に含んだ。

 甘くてふわふわで口の中でとろける。焼き立てではないにしろこれは美味しい。

 小学校の頃、母が何度か作ってくれた気がする。その時の味に少し似ていたが、それを遥かに上回る。口の中に広がった甘さが実に絶妙だ。


「美味しい!」

「よ、良かった」

「この卵焼き、里奈さんが焼いたんですか⁉」

「そ、そうよ」

「凄い!」

「凄くなんかないよ。卵に砂糖入れて焼いただけ。卵焼きぐらい誰でも作れるよ」

「いや、凄いです! 次はこの煮物……」


 美味しい、本当に美味しい。良く煮込まれた里芋。人参、鶏肉。どれも絶妙な味付け。濃くも無く薄くも無い。白いご飯に良く合う味づけだ。


「これも美味しい!」

「良かった」

「これも里奈さんが作ったんですか?」

「うん、昨日の残り物だけどね」

「本当に美味しいです! 次は……ウィンナー……これも里奈さんの手作りですか⁉」

「そ、それは市販品だよ。さすがにウィンナーは自分じゃ作れないかなー」


 確かに。言った自分を殴りたい。

 いや世界は広い、もしかしたら朝自分でウィンナーを自分で作っている女子高生が居るかもしれない。いや、やっぱりそれはさすがに居ないか。


 僕は里奈の手作り弁当を頬張り、幸せを感じていた、カウントダウンがみえた影響で起こした行動とはいえ、これは紛れもなく僕と里奈が付き合えたから訪れた幸せだ。僕は何度も彼女にお礼を言う。その度に彼女は照れて笑顔を見せた。この笑顔は僕にだけに向けられている。そう思うとまた幸せを感じた。

 しかしこの幸せは長く続かない、弁当を食べ終え残った時間で談笑をする。この少しの間だけでも僕は忘れていた。彼女のカウントダウンを。

 

 短い昼休みが終わり、僕は彼女を教室まで見送る、終始は恥ずかしがって俯く里奈。その姿は本当に愛おしくて可愛かった。

 僕は視線を向ける、その視線の先にこの幸せをぶち壊す現実が見えていた。


『34:02』


 彼女の頭上に見えるデジタル表示。残り、三十四時間二分。

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