2-4 僕は捧げる、僕のすべてをこの人に
しばらく天体観測を楽しんだ僕らは民宿へ戻った。さすがに疲れた生徒も多く消灯した瞬間に部屋はすぐ静かになった。
当の僕は絶景を見た興奮が冷める事無く、なかなか寝付くが出来なかった。そのため一人布団の中でスマートフォンを覗き込んでいた。
そういえば、さっきのニュース特集の事を調べようと思い『みえるひと』と打ち込んで検索してみた。すると『田沼雄二』という精神科医の著書が現れた。ご丁寧にレビューも書かれていた。
『読む価値無し』『妄想に取りつかれた人間の物語』『精神病の恐ろしさを知った』などと書かれている。
レビューの内容は正直どれも酷いものばかりだった。でもそれは仕方が無い。当然と言えば当然だろう。人の寿命が見えるなんて誰が信じようか。例え信じたとして、もしその当事者になったなら、その残酷な運命の重圧に耐えられるのか。僕だって正直ギリギリで踏みとどまっている。
普通じゃない僕にはわかる、この本に書かれている内容はたぶん嘘じゃない。想像や妄想でもない。僕だけがカウントダウンが見えるなんて、信じたくない。子供の頃にこの力が発現してから僕の人生は滅茶苦茶だ。どうか僕だけの能力ではない。それが知りたい。
またもしかすればカウントダウンを見えないようにする方法が書かれているかもしれない。この本の体験談に書かれている『アルバート・バーレン』という人間がどうなったのかも気になる。
明日帰りに本屋に寄って購入してみよう。
スマートフォンを操作しているうちに睡魔が襲ってくると思っていたものの、眠気は訪れず一向に眠れる気配がしなかった。カウントダウンの事を検索する事で、僕を覚醒してしまったのかもしれない。僕は仕方なく身体を起こし、部屋を見渡す。いくつものいびきが聞こえ、僕以外誰一人として起きてはいない。
現在の時間を確認すると既に十一時四十分を超えて、もう少ししたら日付が変わりそうだ。参ったなと頭をポリポリと掻く。そうだ、せっかくだしもう少し夜空を眺めに行こう。
そう思った僕は布団から起き上がり、物音を立てずにリュックからパーカーを取り出し民宿を出た。
犬吠埼灯台の灯りが太平洋を照らしている。近くには潮風の音、鼻孔に感じる潮の香り、そのどれもが心地よい。日中に感じた蒸し暑さはなく、パーカーを持ってきて正解だ。Tシャツ一枚では少し寒い。パーカーに袖を通し僕は先程天体観測を楽しんだ高台を目指す。
本来なら高校生が出歩いて良い時間帯ではないが、近所に人気は無い。
もしかしたら時間が停止してしまったのかと思うほどの静寂に包まれた町。そこにあるのは僕の足音のみ。
幸い月明りと情けない程度の街灯の光がある為道に迷う事は無い。
ほんの数時間程前に天文部の生徒で賑わった犬吠埼の高台の公園。ここが僕の目的地だ。
僕は公園にあるベンチに腰掛け、天を見上げる。
そこには先程と変わらぬ満天の夜空。街灯や電線も視界に入ってこない。これがどれ程素晴らしい事か。そこには本当に幻想的な絶景が広がっていた。以前天文部で制作したプラネタリウムでも少し感動を味わったが、申し訳ない事にこの絶景には程遠い。比較対象にするのも失礼だ。
プラネタリウムはあくまでも造り物であって、自然に出来たものではない。
僕は星の明かりに目を凝らす。そこには無数の星が爛々としていた。それは星の輝き、命の煌めきに似た何かを感じる。
星の一生は長い、あの光は何億年前に輝いたのだろう。それに比べ僕はまだ十六年程度の人生。他人の寿命が見えるせいで人生に絶望をしていた事がなんて小さく思えるのだろう。
僕の悩みなんて小さい、とても小さい。そう感じさせる星空が僕に降り注いでいた。
そんな時、後ろから小さな足音が聞こえる。こんな日付が変わりそうな時間に誰が来たのだ。まずい、地元の人間でも成人でもない僕がこんな時間に外をうろついているなんて本来いけない事だ。
もう少し夜空を楽しみたかったけれど、仕方が無い、民宿へ帰るとしよう。
そう思いベンチから腰を上げる。月明りが足音の主を照らす。
そこに居たのは沢口先輩だった。
「さ、沢口先輩……」
僕は驚き彼女に声をかけた。
「お、織部……くん……」
まさかこんな場所で先輩に出会えるなんて。神様も意外な事をしてくるじゃないか。僕は珍しく残酷な神に感謝した。
「ね、眠れないの?」
「は、はい……それもありますけど……もう少しこの星空を眺めたくて……」
「ふふ、わかる私もなの。興奮して寝付けなくって」
「あ、やっぱり。この星空を見てしまうとテンション上がってしまいますよね」
「うん、去年もここに来て興奮しちゃって寝付けなくて、今年もまた来ちゃった」
沢口先輩が少し意地悪そうに微笑んだ。そして僕に近づき少し上目遣いで言った。
「良かったら、一緒に観ない?」
その上目遣い反則ですよ、先輩。断る理由なんて在りはしない。僕は大袈裟に手を広げベンチを指した。それは自分が仕えるお嬢様をご案内するかのように丁寧に。
「どうぞ」
「ふふ。織部くん、なんか執事みたい」
「あはは、実はそれっぽくやってみました」
少しの間、そして僕らは噴き出したように自然と笑い合い、二人で並んでベンチに座った。
そこから二人の間に沈黙が訪れた。けれど何も喋らない訳じゃない。喋りたくなかったのだ。僕らが見る星空はそれだけの魅力を与えた。この絶景に言葉は要らない。この時間、先輩と二人きり、間違いなく僕の人生の中で最高の時間が静かに流れた。
本当なら『あれがペガススの大四辺形。あっちはペルセウス』などと気の利いた事を言うべきだったのかもしれない。けれどそれすら陳腐に思わせた。
何度でも思う、言葉など要らない。綺麗な夜空と憧れの先輩。それだけで僕は満足だ。
五分、十分、いやもっと長く僕らは星を眺めていたのかもしれない。悠久とも刹那とも思えるその時間。その静寂を先輩が破った。
「はっくしゅん! ご、ごめん。ちょっと寒くなって来たね」
「あ……」
僕はパーカーを脱ぎ先輩の肩にかける。
「え……これじゃ織部くんが寒くならない?」
「だ、だ、大丈夫です。むしろちょっと暑いと思っていましたんで」
半分嘘だ。寒いか寒く無いかで言えば少し寒い。けれど先輩が寒そうにしているのに、僕だけ暖かい恰好をするわけにはいかない。それに心なしか先輩の隣に居ると体温がグッと上がる気がする。
「あったかい……ありがと織部くん」
「いえ」
「いつも優しいね」
「そ、そうですか」
「うん、いつもそうだよ、とっても優しい」
また訪れる長い沈黙、先輩の口から放たれたその言葉は僕の胸を締め付ける。憧れの先輩に『優しい』と言われた、こんなに嬉しい事は無い。
「ねえ……織部……くんは……夢ってある?」
「ゆ、夢……ですか」
「うん」
夢、普通の高校生なら誰しも考える事だろう。子供の頃の夢、これからの人生。夢と希望に満ちた人生。しかし他人の寿命が見える僕はそんな事を考える余裕は無かった。
いや、カウントダウンが見える前まではサッカー選手になりたいと思っていた。けれど無理だ。他人の寿命が見えるだけで僕の人生設計は儚くも崩れ去ったのだ。この重圧を耐えられる人間が居るなら教えてほしい。だから僕は他人と関わる事を恐れ、自分の人生からも逃げ続けた。今までもたぶんこれからも。
僕は俯きこれからの人生について考える。これから先もずっと僕は他人の人生の終わりを体験するのだろうか。どうして僕なんだ、どうして僕じゃなきゃいけないんだ。
「私ね……宇宙飛行士になりたい」
「え……う、宇宙飛行士……」
宇宙飛行士。
まさか先輩からそんな言葉が出るとは思ってもみなかった。
「えへへ、子供の頃、お父さんにこうやって天体観測に連れて行ってもらって、その日から私は星の虜なの。あの星には何があるんだろう。あの星に行くには一体どれぐらいかかるんだろう。ってね」
僕は素直に感動した。僕と一つしか年齢が違わないのに、そんな大きな夢を持っていたなんて。
「私ね、ずっと夢見ていたんだ。地球を飛び出して月に行ったり火星に行ったり、月面望遠鏡を作ったり。それに宇宙空間を体験したい。無重力を感じてみたい。そう考えたらね、もっともっと星が好きになっちゃったんだ」
沢口先輩はなんて素晴らしい人なんだろう。先輩の小さな体にはそんな夢が詰まっていたのか。
「す、凄い……」
「凄くなんかないよ、まだ憧れているだけだもん」
「いいえ……先輩は本当に凄いです……それに比べ僕なんて……高校二年にもなってまだ夢なんて無くて……情けないです」
本心だ。僕は極力人と関わらないように生きて来た。他人の寿命が見えるなんて在り得ちゃいけない。それが親しい人間だったとしたら、僕はそれに耐える事が出来るのか。
それが怖かった。だから人と距離を置き、誰とも親しくならないようにしてきた。そんな生活が続くうちに夢や希望なんて存在しないものだと感じるようになった。
どうせ人は死ぬのだから、希望なんて無くていい。夢なんて見ない方が楽なんだ。
けれど、それを真っ向から否定された。夢は見るものじゃない、叶えるものなんだと先輩は言っている。そんな気がした。
「織部……くんは情けなくなんて無い。優しいし妹さん思いだし、とっても素敵な人だと思う。さっきも……私を助けてくれた。とっても頼りになる、本当に優しい人だよ」
「あ、あ、あれは……佐藤先輩が……先輩の方が素敵です……ぼ……僕の憧れです」
その時気づいた。僕が沢口先輩を好きでいた理由。それは僕に無い大きな夢を持っていたからではないかと思った。夢に向かい努力をする姿。星に対する情熱。それが彼女の原動力なんだ。
ただ普通に高校生活を送り、ただ普通に生きる。それが僕の目的だった。でもそれは普通じゃないんだ。沢口先輩のように夢を持ち、希望を胸に生きる事が本当に生きると言う事なんじゃないか。
それが普通に生活っていうんじゃないか。
「す、素敵だなんて……照れちゃうよ……」
「ぼ、僕の方こそ、照れちゃいます」
やっぱり僕は沢口先輩が大好きだ。
僕はありったけの勇気を振り絞る。震える手で沢口先輩の手に自分の手を重ねる。先輩の手が一瞬ビクッとなる。けれども僕の手を振り払おうとしない。
「お、織部……くん……」
「沢口……先輩……」
長い沈黙。
そして沢口先輩の口が少し開く。
「里奈……私の……名前」
「里奈……さん……」
「うん」
「ぼ、僕は……直斗です……」
「うん、知っている」
次の瞬間、重ねた僕の手の平が優しく握られた。柔らかく少し汗っぽい、重ねた体温が僕の凍り付いた心を溶かす。
「直斗くん」
小さく僕の名前を呟く先輩。生まれて初めて僕は本当の名前を呼ばれた気がした。きっと僕はこの人に出会う為に生まれて来たんだ。この時の為に僕は生きて来たんだ。そう思わせる程、この瞬間を噛み締めた。
神様、ありがとう。貴方は残酷な人じゃなかったのかもしれない。こんな僕でも幸せになっていいと言うのか。今まで一体何人もの人間を見殺しに来た。いやそれも全部僕が止められる訳じゃない。けれど止められる可能性はあった。
しかし僕は止めなかった。千夏の言葉を借りれば『運命の強制力』によって助けた人間は別の形で命を落とす。それで僕は諦めてしまった。
それは見殺しにしたと言う事なのだ。僕はそう思っている。
僕は幸せになる資格なんて、在りはしない。
でももし、今目の前で起こっている事が真実なら、僕は幸せになってもいいのでしょうか。どうか神様、僕に教えてください。
いや神様なんてこの世に居ないんだ。今ここに居るのは僕と先輩だけ。二人きりだ。
前に進むのも、今に停止するのも僕次第だ。
「里奈さん……僕……里奈さんが好きです」
「うん、私も直斗くんが……好き」
重ねた唇は、少し甘く柑橘の味がした。
僕は捧げる。僕のすべてをこの人に。
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