第20話 見えない想い
悟が現れて、部屋の空気が一気に張り詰める。
瑞帆も悟と目が合った――かと思いきや、すぐに逸らされてしまった。
まるで、視界にいれることすら嫌だとでも言うように。
「悟くん…久しぶりだね。もしかして聞こえてた?その…」
「別に何も、自分の名前以外は。立ち聞きする趣味はないし」
見るからに狼狽えている萌咲。
対する悟は、声も口調も冷ややかだ。
「でも人に聞かれたくないことだったら、こんな場所で話すなよ。コソコソ自分の話されてるの、正直言って気分悪い」
「ごめん…でも、悟くんのこと悪く言ったりしてたわけじゃないよ」
「じゃあ何」
「それは……」
言葉に詰まって、萌咲は悟から目を逸らしてしまう。
けれどこれでは、余計やましい話をしていたように見えてしまうのでは?
そう思った瑞帆は、迷いながらも椅子から立ち上がった。
意外にも、悟の目線は自分と同じくらいの位置だった。刺々しい空気と威圧感が、彼を実際より大きく見せていたらしい。
悟に睨まれ、緊張で喉が詰まる。
けれどここで何も言わないわけにはいかない。
「悟くんだよね。えっと、水川です。俺のことはたぶん萌咲から聞いてると思うけど」
「………」
「さっきまで俺たちが話してたのが、嫌な感じに聞こえてたなら謝るよ。悟くんのこと話してたのは本当だから…でも聞かれて困るような話はしてないから、そこは信じて欲しい」
「ああ、そう。じゃあなんで萌咲は何も言わないで、そっちが喋ってるわけ」
「それはほら、気恥ずかしいとかさ。好きな人の話してたわけだし」
「ちょ、ヒロくん?!」
慌てだす萌咲。確かに、これは出しゃばり過ぎてしまったかもしれない。
けれど、ここで何も言わない方が駄目だろう。誤解はちゃんと解いておいた方が良いに決まってる。ちゃんと話せば伝わるはず。
しかし当の悟は、ただ嫌そうに目を細めていた。
「好きな人の話、ね…そんな楽しそうな話をしているようには聞こえなかったけど」
そう言って瑞帆と萌咲に背を向け、壁際のロッカーに鞄を放り込み、無言で着替え始める悟。
…………………。
「ちょっと待って。それだけ?」
「なんだよ、まだ何かあんの?」
呆気にとられた瑞帆が後ろから声をかけると、悟は面倒そうに振り返った。
それも、『口もききたくない』とでも言わんばかりの顔で。
その表情には、さすがに瑞帆も気分が悪くなった。
少しひどすぎるんじゃないか?そこまでのことを、萌咲は…自分はしただろうか?
「そうじゃないけど。でも悟くんは、萌咲ちゃんに何か言うことないのかなと思って」
「俺が?なんで」
「なんでって…萌咲ちゃんはさ、ずっと君のことを考えて、君のことを話してたんだよ。それが何故かくらいわかるだろ。なのに、どうしてそんな冷たい言い方するんだよ」
『好き』、という言葉はもう使えなかった。それは自分が言うべきではなかった、と思ったからかもしれない。
けれど何故だろう。以前の…紅亜に会う前までの自分なら、ここまで感情に突き動かされて行動することはなかった。
ましてや、こんな風に人に突っかかるなんてことは絶対しなかったのに。
「わかる…まあ、そうだな。でも、なんでそれをお前に言われなきゃいけないんだ」
悟の顔が翳る。
ほんの一瞬だけ、瑞帆の心に罪悪感がよぎった。彼の顔に、傷ついたような表情が見えた気がしたから。
しかしそれは本当に一瞬で、すぐに悟は嫌悪感たっぷりの目で瑞帆を睨んできた。
「お前、萌咲の幼馴染なんだってな。だから自分が一番萌咲のことわかってます、とでも言いたいのか」
「まさか。それにそういうことじゃなくて、俺はただ、」
「だろうな、お前は何もわかってない。わかってないくせに、もう俺の…俺たちのことに口出ししないで欲しい。萌咲も萌咲だ。何がしたいのか知らないし、萌咲の好きにすればいいと思う。けど、あんまり俺を困らせないでくれ」
ここで初めて、悟が萌咲をまっすぐ見た。
怒りも苛立ちもない…どこか辛そうな眼差し。
戸惑い、たじろぐ萌咲。
どちらも苦しそうな、2人だけの空気。
「ごめんなさい。私、本当に…でもどうすればいいかわからなくて……悟くんに嫌われたくないのに」
「どうしてそこで俺が萌咲を嫌うとかって話になるんだよ」
「だって私、悟くんが思ってることがわからないから…今だって……」
目を潤ませる萌咲。
悟は気まずそうに目元を歪ませると、すぐ顔を背けてしまった。
「嘘だな。本当は分かってるだろ。お前はいつも――」
ボソッと小声で、そう呟いた悟。
そしてそのまま誰の方も見ずに、部屋を出て行ってしまった。
取り残される、瑞帆と萌咲。
………………。
「俺が、余計なこと言ったから…ごめん」
沈黙に耐えられず、瑞帆は俯く萌咲に声をかけた。
萌咲は下を向いたまま、数度首を振った。
「水川さんは何も悪くないです。私が悪いんです。だから、悟くんに嫌われても仕方ないんです」
そう言った萌咲の目からは、涙がぽろぽろと零れ落ちていた。
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