第12話 動揺しかない


「はあああ!?」


瑞帆よりも早く、なゆたが先に大声をだした。


「そんな…そんなの絶対あり得ないですよ。師匠、まさか本気じゃないですよね?」


ショックと動揺のせいか。紅亜に鋭く睨まれても、なゆたは全く怯まない。瑞帆を指でさしながら、紅亜に畳みかけていく。


「こいつに大事な仕事を任せるなんて、冗談でも言っちゃだめです。どうしてですか、師匠らしくないですよ。事務所の信用に関わります」

「依頼者の前で他のスタッフを大声で貶めるあなたに、事務所の信用のことを言われたくないわ」

「それは…すみません。でも、」

「補足も反論も結構。あなたの意見は求めてないから」

「なんでそんなこと言うんですか。オレは今まで師匠の傍について、ずっと仕事を手伝ってきたのに。よりによってこんな……」


なゆたの顔が、声が、瑞帆を指している指が…どんどん下がっていく。

そんななゆたを不憫に感じてか、それとも萌咲がこの場にいるからか。

紅亜はとため息をつくと、萌咲がサインをした契約書を持って立ち上がった。

そのままなゆたの方に行き、俯くなゆたの胸元に紙を差し出す。


「別に、あなたじゃダメだと言っているわけじゃないでしょ。今回に限っては彼に適性があるって判断しただけ。それに、あなたには任せたい仕事が他にたくさんあるから」

「………」


紅亜から契約書を受け取ると、なゆたは頭をあげた。しかし紅亜とは目を合わせず、拗ねた顔をしている。


「…さっき駅で失敗したからですか」

「それは全く関係ないわ」

「オレだって任せてもらえば役に立ちます。雑務以外もできるんです」

「そうね。だから、機密性の高い仕事は全て、安心して任せられるの。あなたは“雑務”って呼んでるみたいだけど」


萌咲に極力聞こえないようにするための、小声でのやりとり。

相変わらず口をとがらせているなゆた。しかし、その目は揺れていた。


「…わかりました。でも、あいつが適任だと思った理由は教えてください。そうしてくれれば、オレもちゃんと引き下がります」


悔しがるような、威嚇するような視線が、瑞帆に向けられる。

それを見た紅亜は、「全く仕方ないんだから」と、軽くため息をついた。


「すみません萌咲さん。こんなんじゃ心配になっちゃいますよね」

「え?あ、ええと大丈夫です」


紅亜に突然呼びかけられ、慌てる萌咲。

気まずそうな表情を見るに、「大丈夫」というのはまず本心ではないだろう。

だがそんなことは当然、紅亜にだってわかっているはずで。


それよりも今、自分が気にするべきところは――


「でも萌咲さん、安心してください。ほら、こっちの彼は全く動じていないでしょう?彼は常に冷静で、とても有能なスタッフなんですよ。ただこういう場面でもあまり自己主張してくれないのが、玉に瑕なんですけれど」


困った笑みを浮かべながら、紅亜が瑞帆の腕に軽く触れた。

瞬間、ゾクッとした感覚が瑞帆の体中を駆け巡る。


「み、弥刀代さん?僕はそんな…」

「ほら、そうやって謙遜しすぎるのもあなたの悪い癖よ。本当に、そうなんだから。あなたはもっと堂々としていた方が良いって、言ってるでしょ」


あえて強調された“いつも”という言葉。考えるまでもなく、“余計なことを言うな”というメッセージだろう。


「なるほど。でも、いくらこいつが冷静沈着で有能だからといって、それだけじゃオレは納得しませんよ」


なゆたもわざとらしく“いつも”という言葉を使って、会話に割り込んでくる。

何故だろう。瑞帆じぶんの話のはずなのに、瑞帆じぶんを置き去りにして話が進んでいく。

紅亜が芝居がかったため息をついた。


「そう、当然よね。あなたも彼に負けず劣らずとても優秀だもの。でも今回は申し訳ないのだけど、私、って確信してるの。ねえなゆた、それってとても大切なことでしょう?」

「……師匠はそれでいいんですか」

「もちろん。何も問題ないわ」


しかめっ面のなゆたが、紅亜から目を逸らした。

どうやら話はついたらしい。それも、2人にしかわからない文脈で。

ドロッとしたものが瑞帆の胸の中に湧き上がる。

どうして。


今はそんなことを考えてる場合じゃないのに――


「あ、それとね」


不穏な空気なんて物ともせず、紅亜が瑞帆となゆたに笑いかける。

そして、しれっと一言付け加えた。


「彼の見た目も、すごくぴったりだと思ったの」


………。


静かになった室内。


瑞帆には、紅亜が一体何を言っているのかがわからない。何かと聞き間違えてしまったのか?

しかし、ぽかんと口を開けたなゆたと、食い入るように瑞帆じぶんを見つめている萌咲を見れば――


「み、見た目って…こいつの、ですか?」


わけがわからないとでも言いたげに、ついになゆたが瑞帆を指さした。


残念かつ非常に恐ろしいことに…どうやら、聞き間違いではなかったらしい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る