第4話 慣れないことをするからこうなる
(何やってるんだ自分は…これじゃまるでストーカーじゃないか……)
2人を追いかけるように電車に飛び込んでから、かれこれ十数分。瑞帆はスクールバックを胸に抱え、できるだけ体を小さくしながら立っていた。
3メートルほど離れたところでは、彼女と“あいつ”が話をしている。聞き耳を立てていれば、あいつの声だけはギリギリ聞こえてくる距離。
我ながら気持ち悪いことをしているとは思う。けれど、饒舌な男の声や言葉が、どうしても不穏なものに思えてしまって離れられなかった。
「いやー、ずっと思ってたんだよね。信じられないくらい可愛いって。だから今、めっちゃ幸せ。嫌がられたらどうしようって悩んでたけど、勇気だして話しかけてほんとによかった」
軽い口調で、あいつはさっきから何度も同じような言葉を繰り返している。『可愛い』やら『幸せ』やら…やっぱりナンパだった。それだって嫌だとはいえ、彼氏ではなかったことに瑞帆は少しホッとしてしまった。
あいつ…もとい、3年の立野先輩は、瑞帆の学校では知らない人はほぼいない。
イケメンでムードメーカーで、周囲に自然と人が集まる陽気な先輩。だから後輩にも慕われているし、女の子にもよくモテる。
けれど、それは表向きの話。裏では気に入らない相手には容赦ないとか、女遊びが激しいとか、他校や大学生のちょっとヤバそうな人達とつるんでいるとか…とにかく、“良くない”噂が後を絶たないのだ。
「モテない男子たちが先輩を妬んで流したただの噂」と言う人もいる。実際に、立野と直接かかわりのなかった瑞帆も、ずっと半信半疑だった。
けれどちょうど先週、偶然出くわしてしまったのだ。同じクラスの女子が、立野先輩のことで大泣きしている場面に。
「あれ、ユウちゃん次の駅で降りるの?そしたらせっかくだし、連絡先とか教えて欲しいな、なんて」
「連絡先ですか?すみません、えっと…」
駅に近づき、電車が減速していく。そのおかげで、初めて彼女の声が聞こえた。想像していた通りの、柔らかくて優しげな声。名前はユウちゃんっていうのか。どういう字を書くんだろう――
(――って、そんなことを考えてる場合じゃないだろ)
見るからに彼女は絶対困ってる。けれど立野はそんなこと気にも留めないようで、図々しく喋り続ける。
「だめかな。じゃあそしたら、この後どこか寄ってかない?俺、ユウちゃんともうちょっと喋りたくて」
「え、と…」
「10分でもいいから、お願い!ユウちゃん、来週からまた電車乗る時間変わっちゃうんでしょ?これが最後になっちゃったら、俺一生後悔すると思う。だから、ね?」
(何が『ね?』だ。それに『後悔する』とか言って、彼女に罪悪感を植え付けないでほしい。でも優しい彼女のことだから、断り切れずに一緒に行ってしまうかもしれない…)
瑞帆の中で、どんどん悪い方向に想像が膨らんでいく。
一方で電車はどんどん減速していき、ついに止まってしまった。
アナウンスが流れ、扉が開く。
「じゃ、行こ?」
すると電車を降りようとする人たちのざわつきに紛れて、立野が急に彼女の手首を掴んだ。彼女は顔色を変えて何か言いかけたが、当然そんなのはお構いなしに、立野は彼女を引いて電車を降りていく。
それを見た瑞帆も、慌てて2人の後を追いかけた。
この後どうするかなんて、何も考えていない。焦る心と体を突き動かしているのは、ただ『彼女を守らないと』という思いだけ。
気がつくと瑞帆は駅のホームの真ん中で、2人の間に割り込むようにして立野の腕を掴んでいた。もちろん、彼女の手を握っている方の。
「すみません。この手…離してもらってもいいですか」
言葉は驚くほど自然に出てきた。こんなに落ち着いていられるのが、自分でも不思議なくらいだ。頭の中が完全に冷え切っているのを感じる。
立野は目を見開くと、意外にもすぐに彼女から手を離した。
「何、お前。やだな…まさかユウちゃんの知り合い?」
爽やかに笑顔を作ってはいるが、声は明らかに苛立っている。正面から対峙する形になってしまい、瑞帆も立野の腕を離した。
「いえ、違いますけど」
「じゃあ何か用でもあるわけ」
「用というか、彼女が嫌がってたように見えたので」
「はぁ?何言ってんのか全然わかんないんだけど。…ね、ユウちゃん?」
立野が視線を向けると、なんと彼女は涼しげな声で、はっきり「はい」と答えた。嫌そうとか、不安そうな様子も全くない。
瑞帆が戸惑ったのは言うまでもない。しかし、それだけでは終わらなかった。彼女は瑞帆と目が合うと露骨に不愉快そうな顔をして、さっと目を逸らしたのだ。
目の前が真っ暗になる…というのは、こういう状態なのかもしれない。
ありえない、と思った。だってついさっきまでの彼女は、すごく不安そうだったのに。
この数秒間でいったい何があったのか。もしかして無理やり付き合わされているとか…いや、とてもそうは見えない。
それに、あの冷ややかな彼女の目は……。
動揺と混乱で何も言えなくなった瑞帆は、立っているのがやっとだった。
一方の立野はニヤニヤと笑いながら、同情するように瑞帆の肩を叩いてきた。
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