第2話 たった数秒で一生分


 毎日代り映えのしない放課後。部活をしていない高校生で物騒がしい、学校の最寄り駅。

瑞帆はイヤホンの音量を2段階大きくして、下り方面へ向かう電車を待っていた。

適当にスマホをいじって、次から次へとオススメされる動画をぼんやり眺める。そうやって耳と目を塞いでしまえば、周りがどんなにうるさかろうと、ほとんど気にならない。まるで自分以外、誰も存在しないみたいに。


しかし、この日は周囲の様子がいつもと少し違っていた。


「なあ、向こうにいるあの子ヤバくない?」

「えー…うわマジだ超美人」


動画が切り替わる合間、ちょうど音が途切れたタイミングで、近くにいる男子高生たちの盛り上がる声が瑞帆の耳に入ってきた。

「美人」という言葉に反応したと思われるのは少し…いや、だいぶ恥ずかしいが、そんな騒ぐほどの美人がいるなんて聞こえたら、誰だって気になってしまうだろう。せっかくなら一目見てみたい。

そう思った瑞帆は、できるだけ目立たないようにゆっくりと視線を上にあげた。線路を挟んで反対側のホームに目をやれば、話題の美人はすぐに分かった。


(…うわ。確かに、すごく綺麗な子だな)


ピンと伸びた背筋に、まっすぐ前を見据えている大きな瞳。遠目からでもわかる、均整の取れた顔立ち。そしてその整った顔をさらに引き立てている、ふわふわした栗色の長い髪。上品なグレーのブレザーと茶色いチェックのスカートは、高偏差値・高学費で有名な女子高の制服だ。

そんな彼女が凛とした佇まいで電車を待っているその姿は、それだけで恐ろしいほど絵になっていた。あまりにも完璧で、現実味がないほどに。

……そのせいだろうか。


(ああいう子と僕とじゃ、まるで住む世界が違うんだろうな)


美人だとは思う。けれど、良くも悪くもそれだけだ。もし同じクラスだったとしても、好きになったりすることはないだろう。気が引けてしまって目を合わすことすらなさそうだ。


(…近くで盛り上がっている彼らはきっと、そんなことないのだろうけど)


自分とは違って。そんなことを思いながら、瑞帆はまた視線をスマホの画面に戻した。



それから数分後。向かいのホームに電車が到着した時には、瑞帆の頭から彼女の存在はすっかり抜け落ちていた。

だから、不意を突かれてしまったのかもしれない。

『こっちの電車ももうすぐ来るだろう』と顔を上げた時、真っ先に瑞帆の目に入ったのは、向かいの電車の中…線路側のドアの前に立っていた、彼女の姿だった。


そこからの数秒は、きっと一生、目に焼き付いて離れないだろう。


――差し込んだ夕陽の光が、彼女を刺すように照らした。

強く鋭い光に襲われて、彼女は咄嗟に顔を背けた。大きな瞳に翳りが差して、辛そうに歪む。

痛みや迷い、哀しみや諦め…そういったものが、抑えきれなくなって零れ出た。そう思わずにはいられないほど、切なく苦しそうな表情に、瑞帆は思わず息を吞んだ。

…にもかかわらず、彼女はすぐに顔を上げた。光に向かって無理やり目を開いて、力強い視線をまた窓の外に向けて。

そんな彼女の姿はまるで、どんなに苦しくとも、陽の光から決して目を背けることを許されていないかのように見えて――



・・・・・・・・・・



「あーあ、行っちゃった。また明日もいるかなあ」


どれほどぼんやりとしていたのか。耳に入ってきた声が、真っ白になっていた瑞帆の心を一気に現実に引き戻した。

向かいのホームの電車はもう遠くに行ってしまっていて、そこで初めて瑞帆は自分が呆けたまま棒立ちになっていたことに気づいた。

それと同時に、自分の心臓が騒がしく脈打っていることにも気づく。


……ぞくっとしてしまった。彼女の、あの一瞬の表情に。


見てはいけないものを見てしまったような、罪悪感と背徳感。

けれど、それを遥かに凌ぐほどの陶酔感と高揚感。


何が彼女にあんな表情をさせたのか、なんて考えてしまう。もちろん、ただ夕陽が眩しかっただけかもしれない。普通に考えたらそうだろう。何も深い理由なんてなくて、ただ偶然が重なって、意味深な表情に見えただけ。

けれど、もしかしたら違うかもしれない。だとしたらどうだろう。彼女のことが知りたい。彼女に近づきたい。彼女が零した苦しさの、ほんのひと欠片でもいい。それに触れることができたなら……


『やめろ、気持ち悪いことを考えるな。今の自分は普通じゃない』


微かに残った理性の欠片が、瑞帆の頭の中で最後の抵抗とばかりにそう呟いた。確かに、初めての胸の高鳴りに少し浮ついているかもしれない。


(けど、もう――)


自分は戻れないだろう。彼女の存在を、知る前には。



イヤホンから流れていた動画の音は、とっくに止まっていた。



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