第3話 藤森あやめは出向する②
練馬インターから関越道に入って一時間半。温泉街からもほど近い群馬県のとある場所に向かって、あやめは愛車であるどピンクのローズマリー号を走らせていた。
「さあ、ここが私の新しいお城ね!」
単線の駅からも遠い場所にある2LDKの家があやめの住まうアパートだ。引越し業者のトラックが表に止まる音がした。
「ちわーっ、ゾウさん印の引越し業者です」
「はーい!」
デカデカと象のマークが荷台部分についたトラックからゾロゾロと人が降りてくる。
あやめはテキパキと物の配置を指示し、アパートをあっという間にダンボールで埋め尽くした。一人暮らしの引っ越しは気楽でいい。
さてあっという間に引越しも終わってこの実岡農園に出向して勤務初日。
ちなみに社長と専務に「具体的にどんな仕事をすればいいんですか?」と尋ねたところ、「作業内容の日報、作物の育成状況、育てる作物の種類なんかを報告してくれればいいよ。実務は現場の人間が担当するから」と言われている。
ので、ひとまずあやめは現場の実岡に挨拶しに行くことにしている。
「えーっと、この辺りかしら」
カーナビに従って進んでいくも、見渡す限りの畑、畑、畑。目印も何もありはしないその場所であやめは若干迷子になっていた。
来る途中に大型スーパーやショピングセンターを見かけたが、土地の大部分は農地で覆われていた。
東京二十三区生まれ東京育ちのあやめにとっては、こうした場所は物珍しい。
「道が広くて走りやすいのね」
あいも変わらずのミルクティーブラウンのヘアーをゆるく巻き、サーモンピンクに彩られた指先でしっかりハンドルを握る。ハイヒールは運転がしづらいので足元はスニーカー、スーツの上着は助手席に置いてある。本日のスーツは、白だ。
初めての人に会う時は清楚感をアピールするために白いスーツを着込んでいく事に決めていた。二十七歳にもなると着込むスーツの形は選ぶけど、日々をヨガと、失恋以来始めたキックボクシングで鍛えているあやめの体型はモデルもかくやというほどにメリハリがついたものだった。全ては努力の賜物だ。
「あ、ここかしら」
更地になっている広大な土地の一角に車を停めて車外へと出る。ぴゅうっと吹く風に煽られて畑の土が飛び散った。
土地の真ん中で、トラクターが一台、稼働している。
「すみませーん!!」
あやめは大声を出したが、唸りを上げるトラクターの前では蚊の鳴くような細い声にしかならない。
「すみませーん!!!」
先ほどよりも大声を出すも、やはり聞こえていないようだ。
仕方がないのでトラクターが切り返して戻って来るのを待つ。
数分もした頃、こちらに気がついたらしくトラクターが近づいてきてから止まった。人が降りて来る。
「ああ、気がつかなくてすまない。えーっと君が、アジーレから来た藤森さん?」
「はい、藤森あやめと申します。実岡さん、でしょうか?」
「うん、俺は
「よろしくお願いします」
実岡さんは日に焼けた肌に農業用の作業着を着て長靴を履き、首にはタオルをぶら下げていた。短く切った髪に割と整った顔立ち。笑うと笑顔が爽やかな男性だ。確か事前情報だと、東京の仕事に嫌気がさして脱サラして有機栽培の農園を始めてうちの専属契約を結んだという人物だ。ちなみに三十五歳独身。
「本日は大まかな農園の概要と作付面積、これからの作物栽培計画についてお尋ねしたいなと思っているんですけれども」
あやめはPC片手に勢い込んでそう尋ねた。実岡はやや面食らった様子を見せた後、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「ああ、後でもいいかな。今日中に終わらせたい作業があるんだ」
「あ、そうなんですか。それは失礼しました」
「いいや、何せ一人しかいないものだからね」
「他にパートさんとかいらっしゃらないんでしょうか」
「いないよ、俺一人だ」
あやめは綺麗に土ばかりになっている土地を見回した。半分はビニールハウスが建っている。
「ちなみに土地の総面積は?」
「ざっと千坪」
「千坪……」
千坪を一人で。あやめは農業などやったことはないが、それは大変そうだなと思った。実岡は若干苛立ちを見せ、あやめに被せるように言う。
「だから後にしてもらってもいいかな。これからトラクターで土を耕すから、土埃が舞う。スーツに汚れがつくから藤森さんは家に帰っていてくれて構わないよ。事務的な話なら夕方にでもしよう」
「家に………」
「うん。赴任、今日からだろう。色々と揃えるものもあるだろうしさ」
ああ、これはやんわりと帰れと言われているなとあやめはぼんやり思った。
自分の服装を見下ろす。
真っ白いスーツに、ハイヒール。緩めに巻いた髪は肩下に降りていて、爪にはマニキュア。
あやめは全く農業というものを理解していなかったのだ。
社長に言われるまま、作業は現場の人がすればいいものだとなんとなく思い込んでいた。
しかし、確かにこんな浮ついた格好の人間がいきなり東京からやってきて偉そうにあれこれ聞き出したら作業の邪魔だろう。
あやめは出向という形であれど、実岡と共に働く仲間である。
ならばあやめも、農業に従事するべきだ。
あやめは実岡の目を見て、頷いた。
「わかった、お言葉に甘えてそうさせてもらいます。明日は何時に来ればいいですか?」
「何時でもいいよ」
「いいえ、一緒に働きたいんです。邪魔になるかもしれないけど精一杯頑張ります」
真剣に訴えると、実岡は頷いた。
「じゃ、八時にここに」
「わかりました」
言うが早いがあやめは車に乗り込んでエンジンをかける。
向かう先は新居ではない。
最近都心にも進出しつつある、ありとあらゆる作業着を揃えているweekmanだ。
+++
weekmanの店員である佐原はあくびをしながら誰もいない店内を見回し、カウンターでぼーっと肘をついていた。
暇だ。
一日に数人の来客のため、店員は常時一人である。
することもないのでひたすらに座って時が過ぎるのを待っていた。
全くもって時間の無駄であるが、これでバイト代がもらえるならば安いもんだ。
と、そこへ自動ドアが開く音がした。
「いらっしゃいませ」
反射的にドアの方を見てそう言うと、佐原は度肝を抜かれた。
そこに立っていたのは、上下を白のスーツで身を包み、10センチはあろうかと言うハイヒールの靴音を颯爽と響かせ、ゆるく巻いた髪をなびかせ、バッチリと今時の化粧を施したハイセンスな都会系女子であった。
なんだ?入る店間違えてんじゃないか?
しかしこのオシャレ女子はカウンターにまっすぐやって来ると、力強い声で言う。
「農作業着を一式、売って欲しいの」
「農作業着………ですか」
「ええ」
佐原は戸惑う。ガーデニングか何かを家で始めるのかな?
来るのは冴えないおっさんばかりのこの店舗、最近都心ではweekman女子!とか言ってオシャレっぽい作業着を売り出しているけれど、この店での需要は皆無である。レディース用品もあるにはあるが、買って行くのはおばちゃんばかりであるために売っているのは実用性重視、昔ながらの芋くさい作業着ばかりだ。
「あちらにかかっているものがレディース用品ですが、当店にあるのは機能性を重視した服ばかりでして」
「それでいいのよ!農作業者に一番の売れ筋はどれ?」
「こちらですかねぇ」
佐原は冴えないドブっぽい色の作業着を一つ、手に取った。
「撥水性に優れているため雨の日の作業でも楽チン、体の動きを邪魔しないよう各関節部にプリーツが入っています。泥が入らないように袖口、裾にゴムも入っていますよ。色も汚れが目立たない色合いです」
「いいわね!」
恐ろしくダサいその作業着を手に取って目を輝かせる都会系女子。
一周回ってよく見えるとか、そんな感じなのだろうか。それとも本当に実用性重視の服を探しているのだろうか。佐原にはよくわからない。
「あとはこれからの暑くなる季節に向けて、体内の熱を外に放出しやすい通気性に優れたこちらの作業着なんかも人気がありますね」
「それもいいわ」
「それから靴は、この泥・ホコリの侵入を防止するカバーがついた長靴なんかがよく売れています。中敷は取り外して洗えますし、軽量で歩きやすいです」
「なるほど!」
「あとは帽子」
佐原は一つの帽子を手に取った。前面のつばだけが出っ張っていて、首のところにゴムひもがついており、首の後ろの日焼け防止でひだがついている、これまた昔ながらの農家のおばちゃんが被っている類の帽子だ。
この帽子を手に取った都会系女子は目をキラキラと輝かせ、ありとあらゆる角度から眺めだした。
「すごい………!私こんなにも機能的な帽子、初めて見たわ!」
被って見て、備え付けの鏡を覗き込む。
「どうかしら?」
ゆるふわパーマの上に乗っかる、作業用帽子。
絶望的に似合わなかった。
「お似合いですよ、お客様」
心にもないことを述べる佐原に、都会系女子はにこやかな笑みを向けた。
手袋、エプロン、中に着るシャツや靴下に至るまでこの客は全てをカゴに入れて行く。
「全部三つずつ、一式もらうわ」
このたった一人のお客様で、本日の売上はあっという間に目標額へと到達した。
「いい買い物ができてよかった、次は本屋よ!」
weekmanで作業着を買い込んだあやめが元気いっぱいに次に向かった先は本屋だ。
外車で小型のローズマリー号のハンドルを駆使して本屋へと向かい、農業関連書本を吟味する。
プロが教える初めての農作業。美味しい有機野菜の作り方。図解版!土と肥料の基本。などなど。色々あったが一番わかりやすそうなものを手に取るとレジへと持っていき、新居へと向かった。
食事と入浴を済ませたあやめはピンク色のカーペットを敷いた部屋の中で天蓋付きのベッドへとダイブして買ってきた本を早速読み始める。
一ページ一ページ、しっかりと暗記するように読み込む。
あやめは見た目はアレだが真面目で努力家だった。
農家に出向するなら、農業の知識を身につけておくのは最低限必要なことだろう。そんなことにも気がつかなかったなんて、なんて馬鹿だったんだ。
「今夜は、徹夜よ」
そうつぶやいて農業書を読み込むあやめ。
こうして勤務初日の夜は更けていった。
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