彼氏にフラれて仕事を頑張っていたら、農園に出向を命じられました!?

佐倉涼@4シリーズ書籍化

第1話 藤森あやめは失恋する

「あやめ、別れてくれないか」


「えっ?」


 歌舞伎町にある全品百九十九円の賑やかな焼き鳥屋の一席で、藤森ふじもりあやめは彼氏である吉野奏太よしのそうたにそう告げられた。唐突だった。


「急にどうして……」


 あまりに突然の別れ話にあやめは動揺を隠し得ない。だってつい先ほどまで、あやめのハゲた上司の話で盛り上がっていたというのに!

 レモンサワーを持つ手が自然に震える。


「冗談だよね?」


「いいや、冗談なんかじゃない」


「だって私たち、幼馴染で十年も付き合ってきたじゃない!」


「そうだけど、ごめん」


「謝るくらいなら何で急に別れるなんて言うのよ」


 自然に声に力がこもる私に対し、奏太は目線を斜め下に下げてさも言い辛そうに次の言葉を続けた。


「あやめの愛が、重すぎる」


「なっ……」


「だからごめん、もうあやめとは付き合えない」


「どうして?私のどこがいけなかった?奏太のお嫁さんになれるように色々頑張ってきたのに」


「だからだよ!」


 奏太はやや強めの口調であやめの言葉を遮る。


「俺はもっと、普通の子がいいんだ!花嫁修行と称してミシュランの一つ星を取った小料理屋で料理の修行をしたり、清掃業者で働いてゴミ屋敷を綺麗にし、ついでに住人の心まで綺麗にしたり、クリーニング工場で洗濯のスキルを身につけたりしない、もっと普通の子と付き合いたい」


「そんな……私は良かれと思ってやったことで」


「あやめの愛は、重すぎる」


 同じ言葉を繰り返し、再びごめんと言う奏太は飲み代を置いてそそくさと立ち上がる。

 決してあやめの方を見ようとせずに去って行く奏太の後ろ姿を見て、ああこれは嘘じゃないんだなと直感する。

 お隣に住んでいて、三歳の頃からずっとずっと一緒で、十三歳の時に付き合い出して、そして二十三歳になる今日この日まで奏太のことを誰よりも近い場所で見てきたのだ。

 

 こんな嘘をつくような人間じゃ、ない。

 



+++


 絶望に打ちひしがれたあやめは白とピンクで統一された自身のワンルームアパートに三日三晩引きこもり、ユニコーンのぬいぐるみを抱きしめてモコモコのルームウェアに身を包んだまま泣きに泣いた。

 別れ話をしたのが金曜の夜というのが、彼なりのせめてもの気遣いだったのだろうか。

 幸い土曜から祝日の月曜までは四連休、いくら泣こうが喚こうが仕事に支障は出ない。

 いつもふわふわカーリーにしているミルクティーブラウンの髪はボサボサだったし、スモーキーピンクにストーンをあしらったマニキュアは剥げつつある。泣き続けたせいで顔はパンパンに腫れ、日課である風呂上がりのパック・美顔ローラー・ヨガはずっとサボっていた。それどころか風呂にまともに入っていない。

 この乙女チック全開の趣味があやめの生来の好みなのか、それとも女の子らしい女の子が好きな奏太の性癖に合わせた結果今のあやめが出来上がったのかは、今となってはもはやわからない。


「三歳の頃から一緒にいたんだよう………!」


 泣きじゃくりながら一人、部屋の中でぬいぐるみに話しかける。


「お隣さんで、幼稚園からずっと一緒にいて、将来の夢は「奏太くんのおよめさん」だったんだよう………!」

 

 えぐえぐと嗚咽を漏らす。

 そう、幼稚園から小中高、大学に至るまでずっと一緒だったのだ。

 思い出すのは楽しかった日々。

 二人で行った海。

 二人で行った花火大会。

 二人で過ごしたクリスマス。

 お正月には両家を交えておせちをつついた。

「二人の結婚はまだかしらね?」と両家の親が言い、あやめは頬を染めたものだ。

 あやめは結婚式と新婚生活に向けて貯蓄すべく、高校の時からの花嫁修行アルバイトと社会人になってからの給料をコツコツ貯めて既に一千万もの金を手にしている。お金は銀行に貯まっており、このままだと死蔵されるのみである。


 どうして。

 どうしてどうして。


「なんで私が振られるのっ!?」


 どうしようもない思いに駆られて電話を鬼のようにコールしたが、奏太は全てを無視している。

 本当に別れてしまったのだ。

 もう私の隣に彼はいない。

 心にぽっかりと穴が空いた。


 そしてその時、家のインターホンがなる音がした。



「奏太っ!?」


 ガチャリと開けた扉の先、待っていたのは奏太ではなかった。


「やっほ、あやめ」


「あ………み、みっちゃん」


 高校時代からの親友である美島梨花みしまりかだ。彼女はあやめとは正反対にボーイッシュな女子で、ショートカットにパーカー、ジーンズというラフな格好をしている。グルメ雑誌の編集者をしている彼女とは仕事でも一緒になる事が多く、公私ともに仲良くしていた。


「入っていい」


「うん」


 みっちゃんはなにやらスーパーの袋を下げており、スニーカーを脱いで部屋に入ってくる。


「吉野から聞いたよ」


「あ………」


「別れたんだってね」


「………うん」


 頷くと同時にまた涙がこぼれた。いくら泣いてもこの涙は枯れてくれない。すると梨花は三秒ほどの間を開けてからため息をつき、あやめの背中をポンっと叩く。


「こんなこと言いたくなかったんだけどさぁ」


「うん」


「やっぱりって感じ」


「やっぱりって何!」


「いやだって吉野くん、大学四年の終わりくらいから大分あやめによそよそしかったじゃん」


「そ、そうだった?」


「気づいてないのあやめだけだったよ」


 あやめは膝から崩れ落ちる。まさかそんなに前から愛想をつかされているとは思わなかった。なんたることだろう。


「どうして教えてくれなかったの!」


「何度も言ってたよ。あやめが聞く耳を持たなかったんだよ」


「そんな………」


「ま、今日はとことん付き合うから。なんか食べてる?」


「カロリーメイトならちょっと」


「ダメだって。いつも美容に良い完璧な食事をとってるあんたが、そんなんじゃ倒れちゃうよ。おかゆ作るから待ってなさい」


「うん、うん………」


 キッチンに立つみっちゃんの姿を見ながら、少し心が落ち着くのを感じる。ああ持つべきものは親友だなぁとあやめはしみじみと思った。

 出来上がったおかゆを食べつつあやめは早速愚痴りを開始した。


「幼馴染に振られるなんてありえなくない?」


「うんうん」


「仕事始めて三年経ったし、十年も付き合ったわけだし、フツー、そろそろ結婚かなぁって思う頃じゃない?」


「そうだね」


「私はね、高校の時から、今後の結婚生活に備えて奏太の好きなお料理を作れるよう和食で有名なお店で修行をしたり、清掃業者で過酷な掃除業務に従事したり、クリーニング店で洗濯のイロハを習ったりしていたわけなのよ」


「あんたって昔からやると決めたら凄まじい能力を発揮するわよね」


「それなのに全てが無駄になったの!こんな仕打ちを許せると思う!?奏太の、裏切り者!!」


 あやめは渾身の怒りを込めて持っていた麦茶をダァンと机に叩きつけるように置く。はずみで中身が飛び散った。


「まあ、あんたは色々とできる能力があるんだからさ。これを機会に仕事をもっと頑張ってみたらどう?」


「そうする!もう男なんて好きにならない!!」


「そこまでは言わなくていいけど」


「ううん、もう決めたの。私は仕事に生きる、仕事が恋人よ。見ていてみっちゃん、私はキャリアウーマンとして生まれ変わるの!」


 このあやめの慟哭にみっちゃんは苦笑いをこぼすと、「まあ頑張って、応援してるわ」と言った。持つべきものは友人だ。


「私は、頑張るんだから!!」


 こうして今日からあやめは仕事に生きるキャリアウーマンとなることを心に誓った。

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