第17話 借乗の魔王候補生 ――1――


魔素マナが流れている』――そう語ったアグルエの嫌な予感は、見事的中した。

 バレーズの入口、木々の間に掛けられたアーチの下まで駆け戻ってきたエリンスは、その光景に驚きを隠せない。


 村の中を堂々と歩くギガントベアの姿、家々や木々をしがみつくように歩き回るビッグアントの姿。

 木の合間から見える空には滑空するキラーイーグルと呼ばれる大きな鳥型の魔物の姿までもが見えた。


「どれもこんな明るい森に、群れを成して現れるような魔物じゃないのに!」


 アグルエは不安そうな顔で空を見上げ、そしてその流れの先・・・・を目で追っている。

 魔物たちは、どれもある一点を目指して進んでいるように見えた。

 今まさにバレーズへ立ち入ったビッグアントの一匹は、二人には見向きもせずに村の中へと進んでいく。


「村の奥……!」


 アグルエが緊迫感を含んだ声で言う。

 エリンスにも、そのように見えていた。


 一体――この状況が何を示しているのか。


 ただ、考えている暇もなかった。

 このままではレミィとおじいさんにも危険が及ぶ。

 それに村の中に入り込んだ魔物の大群を、そのままにしておくわけにもいかない。


「アグルエ、こいつらを片付けて進もう!」


 アグルエも何か察することがあったのだろう。

 エリンスがそう叫ぶよりも早く動き出していた。


「下と上はわたしがやる! エリンスはギガントベアにだけ集中して!」


 何を言っているのか一瞬理解できないエリンスではあったが、飛び出したアグルエがすぐさま魔法の詠唱をはじめたのを見てすぐ行動に出た。



 危機的状況を目の当たりにして、「力を出し惜しみする」と悠長なことは言っていられない。

 それでも使うのは上澄みだけ――魔封の影響内で済む分だけ。

 魔封の影響を受けないように魔法を使おうとすると、魔力のコントロールが難しい。

 加減を少しでも間違えれば、力が反発し、暴発し兼ねない。

「だけど」とアグルエは自分の中で念を押して考えるのだ。


 ここで村一つ救えなくて、これくらいのことができなくて――何が、魔界を救えるというのだ。


 アグルエは右手に集めた魔素マナに自身の魔素マナを少し混ぜ、天高く掲げるように右腕を伸ばして魔法を発動させる。


ほとばしれ! スパークライトニング!」


 そのアグルエの詠唱を合図に、アグルエの右手から鋭い閃光が溢れ出した。

 発せられた稲妻は、そのどれもが的確にターゲット目指して光の速さにも勝るスピードで炸裂する。



 アグルエの口にした通りだった。

 地面を這うビッグアント、空を飛ぶキラーイーグル。

 エリンスの目に入ったその全てが、一瞬にして光へと変わって消滅する。


 その間にエリンスは迸る稲妻の合間を縫って、村の奥を目指すギガントベアの一匹に標的を絞る。

 こちらに背後を向けているギガントベアなど、エリンスにとってはネギを背負ったカモも同然だった。

 ギガントベアが迫るエリンスに気づくよりも早いスピードで剣を抜き、殺気を消した斬撃を一閃――背中にあるコア部分を狙って放つ。

 しかしエリンスの持つ鈍らの一撃だけでは、ギガントベアの背筋はいきんを貫くことができない。


――ググウゥォォォ!


 突如背中から切り掛かられ、さすがに無視もしていられなくなったらしいギガントベアが振り返って、エリンスに反撃をする。

 右腕と左腕を広げ、体を大きく見せるように構えたギガントベアは、そのまま全体重を乗せた両腕でエリンスを押し潰そうとする。


「悪いな、おまえらの攻撃はもう慣れてるんだ」


 挙動がわかっていれば、スピードがあるわけでもない攻撃は怖くなどない。

 エリンスはその攻撃を上に飛んで難なく避けると、再びギガントベアの背後をとって先ほど傷つけた背中の位置を確認する。

 一撃で背筋を貫くことはできないと見越していたエリンスは、この二撃目で魔素マナのコアを狙うとはなから決めていた。

 剣を縦に構えたエリンスは、そのまま地面に両腕をついて、背中を天へと向ける形になったギガントベアへと剣を突き立てた。


「アグルエ! 急ぐぞ!」


 断末魔を上げる間もなく動かなくなったギガントベアから剣を引き抜くと、エリンスは剣を構えたまま走り出した。

「えぇ!」と返事をしたアグルエもまた、エリンスの後ろをついて走っていく。


 魔物たちはやはり、村の奥目指して進軍しているような印象だった。

 エリンスとアグルエは村の中に蔓延っていたビッグアントの群れを片付けながら、一番奥――大樹の家を目指した。


 あらかた村に入り込んだ魔物を片付けたエリンスとアグルエが大樹の家に駆け付けたときは、まさに今日一度見たことのあった光景の再来――危機一髪、その場面。


 大樹の家、扉前で腰を抜かしたおじいさんとその前に立ち塞がったレミィの姿、それに相対するのは一匹のギガントベア。


「レミィ! わしは置いて逃げろ!」


 おじいさんの必死の叫びが聞こえないわけではないだろう。

 しかしレミィはその場から動こうとはせず、両腕を広げたままおじいさんをかばうようにしていた。


――グウウウルルゥ!


 威嚇するような唸り声を上げるギガントベア相手に、レミィは震える声で叫ぶ。


「あ、あっちへ行ってっ!」


 ギガントベアの視線は、レミィでもおじいさんでもなく、上空――大樹の上を向いている。


 エリンスとアグルエから見ても、ギガントベアの目的は二人ではなく大樹のように見えた。

 それもそうなのだろう、と察するところがエリンスにはあった。

 先ほどこの家を訪ねたときとは違う、何やら薄気味悪いもや――魔素マナが木全体を取り囲うように渦巻いているのが目視できた。


「これは……魔界の魔素マナが、どうしてこんなに?」

「とりあえず! 仕留める!」


 訳を聞いている場合でもないだろう。

 エリンスは剣を構えたまま飛び、先ほどと同じようにギガントベアの背中目掛けて剣を振るい一太刀。

 驚いたようにして一歩遅れたアグルエだったが、見様見真似で剣を抜いて、エリンスがつけた傷目掛けて一閃。

 ギガントベアは二人の剣撃を二発受け、一瞬にして地面へ倒れ、その動きを止めた。


 そして、そのまま――光のようになり天へと昇っていく。

 エリンスはそれに驚いた。

 普通、大型の魔物はそのコアを砕かれても肉体が光となって消えることはない――

 しかしその疑問のこたえは、すぐにわかることとなった。


「ごちそうさん、アグルエぇ」


 大樹の太い枝の上に立っていたのは、忘れるはずもない異様な姿をした魔族、エムレエイ・ガムだった。

 光となったギガントベアはエムレエイの手元へとまるで吸収されるように消えていく。


 魔物は肉体の大半を魔素マナから構成しているものだ。

 故に魔族には、その魔素マナを吸収して、自身の肉体に還元することができるものもいる。


「追ってきたの……」


 エムレエイに返事をしたのはアグルエだった。


「当然! 至極、当然!

 ぼくは狙った獲物は逃さないんだよぉ」


 めったに人前に姿を現すことのない魔族――その姿を見て、そこでレミィも尻餅をついてしまった。


「な、なにやつじゃ……」


 おじいさんもまだ立ち上がることができない、といった様子で恐怖の表情を浮かべる。


「ぼくは未来の魔王その一人、魔王候補生のエムレエイ・ガム。

 ズハハハハ、大丈夫安心していい、ぼくには何も知らないモブの命を狙うような目的はない。

 ぼくの狙いはそこの魔王候補生アグルエと、そのお友達の名前も知りたくもないほど憎たらしい面倒な勇者候補生!

 それにしてもここは面白いところだねぇ。

 まさか『スポット』がこんなところにあるなんてねぇ。

 ちょうどいいから、この魔素マナはぼくがもらっちゃうよぉん」


 枝の上で両腕を上げたエムレエイは、そう言いながら大樹を取り囲うように渦巻いていた魔素マナへと手を伸ばす。

 次第に――

 先ほどギガントベアの魔素マナを吸収したときのように、大樹を渦巻いていた魔素マナがエムレエイへと集まり出して、吸収された。


「あなたには、なんでここに魔界の魔素マナがあるのか、わかるっていうの!」


 アグルエは声を荒げて、木の上のエムレエイを見上げて叫んだ。

 一人でベラベラと喋るエムレエイに、アグルエも我慢ならないようで、苛立ちを隠せなくなってきていた。


「ズハハハハ、さすがにお姫様・・・と言えど、知らないこともあるもんだなぁ」


 あからさまにアグルエのことを馬鹿にしたエムレエイはそのまま続けた。


「教えてあげないよぉ!」


 そしてアグルエ向かって右腕をかざし、何やら魔法でも放つのではといった構えを取る。


「アグルエ! まずい!」


 エリンスは咄嗟に叫んだ。

 今ここで戦いがはじまってしまえば、レミィとおじいさんを巻き込むことになってしまう。


「えぇ、わかってる!」


 エリンスの声で冷静さを取り戻したアグルエは、羽織っていたコートを脱ぎ捨てた。

 気合いを入れるようなその行動を、エリンスはただ見守った。


「あとは、手筈通り・・・・で!」

「あぁ、任せろ・・・!」


 アグルエはエリンスの返事を聞くと、地面を蹴って森のほうへと向かって走り出した。

 森の中へと消えていくアグルエに、どこか遠い日のツキトの姿を重ねてしまうエリンスであったが――その光景は、気の迷いだ。


「なんだよぉもう。鬼ごっこの続きでもしようってのかぁ?」


 木の上で苛立ちを隠せなくなったのはエムレエイだった。


「おまえは、後だ!」


 そうエリンスに言い残して、エムレエイもアグルエの後を追って森の中へと消えていった。



 エリンスは剣を腰の鞘へと戻し、アグルエの置いていったコートを拾い上げる。

 アグルエが――うまくこの場から引き離してくれるだろう。

 二人の姿が森の彼方へと見えなくなったのを確認し、レミィとおじいさんに駆け寄った。


「はやく! どこか遠く、安全そうな場所に逃げるんだ」


 レミィは恐怖で動くことのできない様子だったが、おじいさんは腰を抑えながら杖を突き立ち上がって返事をする。


「わしはここを離れるわけにはいかない」


 力強く肝の座った一言に、エリンスは押し黙ってしまう。

 しかしすぐにアグルエとした相談・・・・・・・・・を思い返して、おじいさんへと詰め寄る。


「でも、ここにいたら危ないんだ!」


 危機迫るように言うエリンスではあったが、おじいさんは言うことを聞いてはくれなさそうだった。


「あれは、なんじゃ」


 話をすり替えるように返事をする。


「…………」


 それに対し、すぐに返事のできないエリンス。

 ただ目を逸らそうともしないおじいさんの表情は至って真面目であり、そこには別の意味合いがあるようエリンスに見えた。


「……魔族だ」


 ごまかすような返事をしても、この人は納得してくれない。

 エリンスは素直にこたえることにした。


「魔族、魔王候補生と言っておったか。話を聞くに、あの子もそうなのか?」

「……そうです」


 嘘をついても隠し通しても意味はないだろう、とエリンスは考える。


「お主は勇者候補生、なんだろう……何やら訳ありじゃな。

 それもそうかの。じゃなきゃこんな辺鄙へんぴな場所に寄るものもおらぬな」


 一人で納得したように返事をするおじいさんを尻目に、エリンスはアグルエの走っていったほうへと目を向けた。


「おじいさんとレミィは離れられないって言うなら、家の中にでも隠れててくれ」


 今ここで余計な押し問答をしていても、事態は何も変わらない。

 一刻も早く二人を追いかけなければならない。

 エリンスにはやるべきことがあるのだ。

 動けなくなってしまったレミィの肩に、アグルエのコートを掛けた。


「これ、預かっといてくれ」


 こくり、と頷いたレミィは、コートの襟を握りしめる。

 エリンスは頷き返すと、再び覚悟を決め、腰に差した剣へと手を掛ける。

 その表情を見て、おじいさんが口を開く。


「二人で帰ってきなさい。あの子と、二人で、じゃ」


 勇者候補生を前に拒絶した声色とも違う、魔族相手に怯んでしまった様子とも違う。

 おじいさんは異様に冷静な様子で、念を押すように口にした。


 エリンスには、その趣旨がわからなかった。

 どう返事をするべきなのか迷ってしまう。

 しかしその迷いも一瞬――そこにどんな訳があろうと、決めた覚悟に揺らぎはない。

 あの日とはもう違うのだ――過去を振り切るように力強く「わかった」と返事をする。

 そしてエリンスは、アグルエを追い掛け森へと駆け出した。

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