第4話 勇者候補生とはらぺこ
サークリア大聖堂が建つ小山より緩やかな山道を下った
勇者洗礼の儀を終えた候補生が最初に立ち寄ることになる勇者旅立ちの地。通称、はじまりの街。
それ
石造りの建物が並ぶ街並み、黒色のレンガが敷き詰められたメインストリートは喧騒に包まれて、立ち並んだ屋台が夕陽に照らされ眩しく見えた。
空腹を刺激される肉の焼けた匂いが漂って、露天商たちは一年で一番の稼ぎ場だと張り切っている。
飛び交う人々の笑顔と声、路上で歌って祝福を示した一団に、陽気な様子で踊る人々。
「マリーさんの言った通りだな……」
街に入ったエリンスの口から漏れ出た声は、雑踏に紛れて消えた。
季節は寒い冬空の下だというのに、勇者候補生誕生を祝う温かい雰囲気が街全体を包んでいる。それだけを見ていると、未だ世界に危機が残っていることを感じさせない。平和そのものだ。
「でも」と、エリンスは否定の言葉を口にする。
――忘れてはいけないんだ、勇者候補生の使命を。
その言葉は胸に秘めて、メインストリートに背を向ける。
喧騒から離れるため。
一刻も早く次の町を目指すため。
先に旅立った候補生たちに追いつくため。
エリンスは近道になる路地裏へと足を踏み入れた。
その選択こそが――運命を決定づけたあの出会いだった。
◇◇◇
正体不明の少女を拾ったエリンスは、お腹をぐぅぐぅ鳴らしながら
切羽詰まったように「お腹が空いた」と呟き、青ざめた表情からなんとも言えない緊迫感を覚え、店に飛び込むなり彼女を席に座らせた。
エリンスはその拍子で「好きなものを好きなだけ食べなよ!」と言ったものの、それが
机に突っ伏した彼女はメニュー表を眺め、料理店のありとあらゆる料理を指差してオーダーした。
目と耳を疑うようにしたウェイトレスのお姉さんも、深刻そうな彼女を見て、ただただオーダーを受けていた。
大量の注文が入った厨房は大騒ぎ。数分して料理が運ばれて来るや否や、起き上がった彼女はフォークとナイフを使って次々と口に運んでいく。
分厚い牛肉を切ったステーキに、大きなボイルされたエビ。骨付きの鶏肉はこんがりと焼かれて熱々の湯気を上げている。色とりどりのサラダに、カボチャをベースにしたクリームスープ――その他、いろいろ。それはもう、エリンスが言葉にできないほどの料理の数々が机に並んだ。
はじめは元気もなさそうだった彼女も食べるペースが遅かった。だが、エリンスがふと気づいたときには、既に空になった大量の皿が積み重ねられ、その量がどうやって消えたのだろうか、と不思議なほどだった。
いったい本当に――華奢に見える彼女のどこに消えたのだろう。
祭りで賑わった街の店は酔っぱらった陽気な客で溢れていて、彼女の食べっぷりを見てはみんなゲラゲラと楽しそうに笑っていた。
「このお肉最高」
「んーぅ! この味つけも!」
「こっちの魚介のスパイスもちょうどいい!」
「このサラダも新鮮!」
次第に元気になっていく彼女は一つ一つ感想を言いながら食べ続ける。
はじめは目を丸くして固まっていたウェイトレスのお姉さんもそれを聞いて嬉しそうな笑顔を浮かべていた。厨房より顔を出した料理人の店主のおじさんも、微笑ましそうに店の様子を眺めている。
ただ、店主がエリンスを見る目つきにはやや痛いものがあった。
ここは料理店。食べ放題の店でもない。これだけ食べたらお代がちゃんと払えるのか、と気になるものだ。
その視線を感じたエリンスは、未だ注文した料理を食べ続けている彼女を席に残し、店主のほうへと向かった。
「お客さんら、見たところ勇者候補生様なんだろうけど……」
店主が何を言いたいのかはわかっている。少し言い辛そうにしている店主の顔を見合ったエリンスは先に口を出した。
「いくらになりますか?」
少し考えるように悩んだ店主は「うーん……」と唸る。
「候補生様となると、おまけしてあげたくもなるんだけど、さすがに量が量だからなぁ」
まあそれもそうだよな、とエリンスは机に積まれた空き皿の数々を見て考える。
「割引含めて、締めて50000ゴルドってところかな」
エリンスはその金額を聞いて、ひっくり返りそうになった。
50000ゴルドと言えば、人が一人、ひと月は暮らせる金額だ。
武器屋を探せば、名の通る鍛冶師の打った剣を買えるだろう。
しかし今更、前言撤回したいと言える段階ではない。
彼女は注文した料理をあらかた食べ尽し、「美味しかったー!」と店に響き渡るほどの声を上げている。
辺りの酔っ払った客たちが拍手を送るほどに店は大賑わいとなっていた。
その雰囲気を壊すわけにもいかないだろう。
エリンスは財布を取り出すと、支払いを済ませた。幸いにも手持ちの金額で足りたが、財布はすっかり空っぽだ。
「毎度ありぃ!」
店主がエリンスに向けた表情も笑顔へと変わったが、エリンスの笑顔は引きつったものになる。
路地裏で彼女を拾ったことが、エリンスの旅立ちの軍資金を0にする
故郷を発つ際に母親が用意してくれた軍資金――どう言い訳のしようがあるのだろうか。エリンスもある程度は覚悟していたが、ここまでとは思っていなかった。
落胆したエリンスは席へと戻る。先ほどまで今にも死にそうなほどに
「生き返ったー! えーっと……名前もまだ聞いてなかったね」
それもそうだったと思い直し、そこでエリンスは改めて彼女のことを観察した。
「わたしは、アグルエ・イラ。アグルエでいいよ」
そう言って胸に手を当てながら、彼女――アグルエは名乗った。
思わずエリンスの視線もその手につられるが、決してそこに覗いていた谷間に見惚れたわけではない。
アグルエの首から掛けられ、胸元で光を放つ黒い宝石がついたペンダントに目が惹かれた。
不思議な印象を覚える――まるで見ているこちらを引き込み、吸い込もうとするような『漆黒』だ。
あわや自分を見失いそうになったところで、エリンスは慌てて返事をした。
「俺はエリンス・アークイル。エリンスでいい」
「そっか、改めてお礼を言わせて。ありがとう、エリンス」
少し何かを考えるようにしたアグルエだったが、ニコニコとした笑顔を浮かべる。
「元気になったなら、よかったよ」
アグルエがどんな事情を抱え、腹を空かせて路地裏に迷い込んだのか、気にならないわけでもない。しかし、エリンスはそれ以上、アグルエに対して深く立ち入るつもりはなかった。料理代をどうにかしてほしいとも思わなかった。
目の前の一人を救えた――それだけの、一つの事実で納得していたのだ。
元気そうになったアグルエを再び確認して、エリンスは席を立つ。
「じゃ、俺は――」行くから、とエリンスが言おうとしたところで。
エリンスのその気を察したのだろう、アグルエは慌てたように口を開く。
「ちょっと待って、エリンス! わたし、勇者を探しているの!」
「えっ?」
その言葉にエリンスは自然と足を止めて、再び席に座った。
アグルエに引き留められたことに驚いたわけではない。
――勇者を探している……?
単純におかしな話だ、とエリンスは思った。この世界に今はもう、勇者は存在しないのだから。
聞く人が聞けば冗談を言っているようにすら聞こえたことだろう。
「わたし、そのためにここまできたの」
しかしエリンスにはアグルエが冗談を言っているように見えなかった。
蒼く透き通るような双眼は、そこにある意志を感じさせるように
やや不安そうに潤んだ瞳に、エリンスは再び心を奪われた。
「エリンス、あなたは勇者候補生なのでしょう?」
何か心に訴えかけてくる強い眼差しに、エリンスは返事ができなくなってしまった。
アグルエはそれを察したのか言葉を重ねた。
「勇者候補生は仲間を集めて
エリンスは見たところ一人みたいだけど……
そうして急に話を振られて、エリンスは「いや」と脊髄反射のように首を振る。
咄嗟に口をついたのは、ずっと考えていた旅の計画。シスターにも話したことをエリンスは気づいたら喋っていた。
「俺はここで
街の勇者協会へ出向けば、今年の勇者候補生は全て名簿にまとめられている。
「俺は、最後に旅立った勇者候補生だから」
しかし、候補生ランク最下位として旅立つことになったエリンスには、「偏見」や「遅れ」が存在する以上、不利になる。
後になればなるほどに、優秀な人を雇うことも自分と気が合う人選もできなくなる。それならば、この先に立ち寄るルスプンテルと呼ばれる大きな港町で、
ルスプンテルは人の出入りが激しい港町だ。観光客で溢れたミースクリアよりも人の流れは多いだろう、というのがエリンスの考えだった。
どうして、アグルエに言い訳するようにそんなことを話したのか。
なんだかそうすることで、「落ちこぼれ」と呼ばれた自分を正当化したかっただけのような気もして、恥ずかしくもなってくる。
エリンスは目を逸らし、だけど横目でアグルエのことを一瞥した。
「そうなの……」
アグルエはしゅんっと眉を下げて、何やら残念そうにしている。
しかし、エリンスには彼女が何を残念そうにしているのか見当もつかなかった。
「そうだ!」
思い返しているうちにエリンスは考えつく。
「『勇者を探している』ってのと、ちょっと違うかもしれないけど、勇者協会へ行きたいならそこまでは送り届けるよ」
金を返せ、とは到底思いもしないエリンスだったが、先を急ぎたいという気持ちは強かった。
これ以上の足止めは避けたい。だからアグルエとはそこで別れよう、とエリンスは単純に考える。
「それは助かるけど……わたし、お金持ってない」
「いいんだ。でも、先は急いでいるから」
「……あなた、優しいのね。一食の恩も返せていないのに」
困ったような顔をするアグルエに、だけど、エリンスは気にせず立ち上がるとその手を引いた。
二人はそのままの流れで店を出て、ミースクリア勇者協会を目指すことにした。
賑わう表通りは人混みで溢れている。
人混みに揉まれながらも、握った手は離さないように、エリンスは先導しながら道を切り開いて歩いた。
だから気づくことはなかった。後ろを歩くアグルエがずっと不服そうにしていたことに。
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