第14話


 マーガレットは悔しそうに、憎らしそうにこちらを──リコリスの方を睨んでいた。

 その歪んだ顔は苛立ちと焦燥に満ちている。


「なぜなんでも自分の願いが叶うなんて馬鹿なことを思っていたのか……ぜひ娘さんに聞いてみてください。あなたたちがあんな風に娘さんを育てたんですから」


 ロベルトはそう言ってから、リコリスを優しい目で見下ろす。


「行こう」

「え?」

「もう君をこんな家には置いておけない。今日からフリーデル侯爵家で暮らして、そのまま結婚しよう」


 リコリスは目を丸くしてロベルトを見上げた。そして、照れたように笑って小さく頷く。


「あなたがそう言ってくれるなら」

「……よかった」


 ロベルトはホッとしたような顔をして、リコリスの手を取った。その白いほっそりとした手は少し汗ばんでいて、ロベルトもずっと緊張していたのだとそのときわかった。

 両親と双子の妹の視線を無視して、リコリスはロベルトとともに歩きだす。


「リコリス! 家族なのに!!」


 両親の前を数歩通り過ぎたところで、母が責めるように金切り声で叫んだ。


(……家族?)


 リコリスはぴたりと足を止めた。

 ゆっくりと振り返り、縋るような表情の父を見て、それから怒りに満ちた母の目を見る。


「ウィンター伯爵夫人、私はあなたたちの家族ではありません。ずっと家族になりたかったけど、あなたがそれを許してはくれなかった」

「なにを……」

「あなたに愛されたかった。十八年間ずっと」


 マーガレットと同じ母の青い目が大きく見開かれる。


 もし、リコリスの目が青かったら。

 もし、リコリスの髪が金色だったら。


 愛してくれたのだろうか、マーガレットみたいに。

 それとも、長女に生まれた時点でリコリスの運命は決まっていたのか。


 言葉を失った両親を交互に見て、リコリスは力なく微笑む。


「……でも、もういいのです。私は自分で自分の家族を見つけるので」


 ロベルトの手を握る手に力が入った。それに応えるように、ロベルトもリコリスの手を握り返してくれる。


「さよなら──お父様、お母様」


 リコリスは両親に背を向けて、ロベルトとともに再び歩き出した。

 それからすぐあとに、背後から咽び泣くような女の声が聞こえてきたが、リコリスは決して振り返らなかった。


 そして、曲がり角で再び足を止める。


「マーガレット」


 淡々とした声で名前を呼ぶ。

 歪んだ顔、くぼんだ目、痛んだ金髪。

 そこにいたマーガレットは、リコリスもいままで見たことのないほど追い込まれているようだった。


 そんなマーガレットに向かって、リコリスは穏やかに微笑む。


「私、あなたのことが嫌いだったわ。私のものを奪って壊すあなたが大嫌いだった」

「…………」

「でも、もういいの。あなたに全部あげるわ。この家も、お父様もお母様も。よかったわね。これからも大好きなお父様とお母様と一緒に暮らせて」

「リコリス……ッ」


 マーガレットの噛み締めた奥歯からギリッと音が鳴った。

 血走った青い目が、リコリスを睨んでいる。


(どうしてこうなったのか、この子には一生わからないんでしょうね)


 自分を世界の中心だと思っている少女には、きっとわからない。

 このまま一生リコリスを恨みながら生きていくのだろう。泣き暮らす両親とともに。


「さよなら、マーガレット」


 それだけ言って、リコリスはその場から去っていった。背中に突き刺さる視線など、痛くも痒くもなかった。


 フリーデル侯爵家の馬車に乗り込み、ロベルトと向かい合って座る。

 なにか言わなければと思うのに、うまく言葉が出てこなかった。


「リコリス」

「……はい」

「泣きたいなら泣いた方がいい。あんな家族でも、捨てるのはつらいだろう。君は優しいから」


 ロベルトに言われた瞬間、リコリスは一度目を見開いた。

 そして、くしゃりと顔を歪めて俯く。ぽたり、とドレスに涙がこぼれ落ちた。


「っ……わ、わたし、優しくなんてないわ……」


 もし本当にリコリスが優しかったら、自分をこの世に産み落とした両親に、ともに生まれてきた双子の妹に、あんなことは言わなかっただろう。


 リコリスは家族を捨てたのだ。過去の弱い自分と一緒に。他でもない自分自身のために。

 

 向かいの席から立ち上がったロベルトがリコリスの隣に腰掛け、震えるリコリスの背中を撫でる。


「優しいよ。だから好きになったんだ」


 あの日と同じように差し出されたハンカチを目に当て、リコリスはいっそう背中を丸めた。背中を撫でる手の方がよほど優しくて、リコリスの嗚咽が大きくなる。


 リコリスが泣き止むまで、ロベルトはずっとリコリスの背中をさすってくれた。

 そして、フリーデル侯爵家の屋敷に着くまでずっと、ふたりは馬車の中で寄り添っていた。

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