第2話



 ◇◆◇◆◇



 リコリスとマーガレットは生まれたときからまったく似てない双子だった。


 父親譲りの黒髪に緑の瞳のリコリスと、母親譲りの金髪に青い瞳のマーガレット。

 顔立ちもリコリスが大人っぽい落ち着いた雰囲気であるのとは対照的に、マーガレットは愛らしい派手な見目をしていた。


 加えて、ふたりは見た目だけでなく、中身も正反対だった。

 良くいえば真面目なリコリスは悪くいえば退屈な少女で、悪くいえばあざといマーガレットは良くいえば無邪気な少女。


 見た目も中身も正反対なふたりは、幼い頃からあまり仲が良くなかった。

 それはマーガレットがやたらとリコリスを困らせるような言動を繰り返したからであり、まわりからの扱いの差にリコリスが複雑な感情を抱いたからである。





「私、やっぱりそっちの方がいい!」


 これが幼い頃からのマーガレットの口癖だった。

 というのはもちろん、リコリスの物のことだ。

 ドレス、お菓子、ぬいぐるみ、誕生日プレゼント──マーガレットはリコリスの物をあれもこれもと欲しがり、けれど手に入れてしまうと途端に雑に扱って壊してしまう。


 お気に入りのクマのぬいぐるみを取られた挙句、そのぬいぐるみの腹から白い綿があふれているのを見つけたとき、それまで我慢していたリコリスもさすがに怒らずにはいられなかった。


「……これ、私のよね? どうしていつも私の物を取って壊すの?」


 幼いリコリスがマーガレットに詰め寄ると、マーガレットは面倒くさそうに壊れたクマのぬいぐるみを一瞥する。


「……わざとじゃないわ。借りてたら壊れたの」

「でも、これが初めてじゃないでしょ? わざとにしか思えないわ」


 マーガレットは「はぁ……」と煩わしげにため息をついた。かと思うと、リコリスの背後を見て、一瞬だけ口角を吊り上げてニヤっと笑った。

 その笑みに、リコリスは嫌な予感を覚える。


「マーガレット……?」


 リコリスが声をかけた瞬間、突然マーガレットが両手で顔を覆って「うわーん!」とわざとらしい嘘泣きをはじめた。

 リコリスが呆気に取られていると、背後からバタバタと品のない足音が聞こえてくる。


「マーガレット!!」


 駆け寄ってきたのは、リコリスとマーガレットの母だった。

 マーガレットと同じ金髪を結い上げた母はマーガレットの傍にしゃがみこみ、泣き真似をするマーガレットの顔を覗き込む。


「どうして泣いているの、マーガレット?」

「私がお姉様のクマのぬいぐるみを壊してしまったの……そうしたらお姉様が怒って、私に死ねって……」

「まあ!」


 母が驚いた声をあげたが、おそらく一番驚いていたのはリコリスだった。

 立ち上がりながらリコリスの方を振り返った母は、剣呑な目でリコリスを見下ろす。


「おもちゃを壊しただけの妹に死ねと言うなんて、なんて恐ろしい子なのかしら」

「そんなことは言ってません!」

「いつも言われてるの。お姉様はきっと私のことが嫌いなんだわ」


 また「うわーん!」とわざとらしい声をあげてマーガレットが泣き真似をした。

 なぜ母が騙されているのか不思議なくらいだが、母は「よしよし」とマーガレットの金髪を撫でている。

 そして、リコリスの方を一瞥もしないまま、冷たい声でリコリスに言うのだ。


「リコリス、あなたはお姉さんなんだから、マーガレットに優しくしてあげなければダメよ」

「で、でも、お母様……私、死ねなんて言ってません。それに、マーガレットが私のぬいぐるみを取って、壊したんです……」

「ぬいぐるみなんてどうでもいいじゃない。あなたはこの家の長女なんだから、色んなことを我慢するのは当然なのよ」


『あなたはこの家の長女なんだから』

 ……これが母の口癖である。


 そして、姉妹間の差別を助長させる呪いの言葉でもあった。





 リコリスも紛れもなく母の娘であるはずなのに、母はリコリスが物心ついたときからリコリスに厳しかった──……否、冷たかった。


 リコリスはわけがわからず、けれど母に冷たくされるのが悲しくて、母に気に入ってもらえるよう色々なことを努力した。

 勉強もがんばったし、マーガレットに自分のものを取られても、理不尽に母に怒られても我慢した。母に愛してもらいたい一心だった。


 ……けれどある日、リコリスは両親たちが話していたのを偶然聞いてしまう。


「お前、リコリスにだけ少し厳しすぎやしないか?」

「そんなことないわよ。あの子は長女なんだから、あれくらい厳しくするのが普通でしょ? あなたが甘やかしすぎてるくらいよ」

「そうだろうか……」


 母が強い口調で言い返すと、途端に父の語気が弱くなった。

 父は娘たちに平等に接してくれてはいたが、仕事で家にいる時間がそもそも少ない。それになにより、婿養子で気が弱いので、母にはずっと尻に敷かれているような状態が続いているのだ。


「そうよ。私なんてもっとお母様に厳しく躾けられたわ。リリーナなんてなにをしても怒られなかったのに……」


 母の声に、一瞬ほの暗いなにかが宿った気がした。


 リリーナとは、母のふたつ下の妹のことで、いまは遠くの領地の貴族の元に嫁いでいる。リコリスは一度くらいしか彼女に会ったことはないが、天真爛漫な明るいひとだった。


「お父様とお母様はいつもリリーナ、リリーナって……私なんか、少し口答えをしただけで腕を扇で叩かれたわ。いまも痕が消えないのよ」


 確かに、母の左腕の内側には、黒く変色したアザのようなものが残っていた。

 いつも長袖の服を着て隠しているので、知っているのは家族と側仕えの侍女くらいだろう。


「リコリスに厳しくするのなんて当たり前よ。だって、私もそうされたんだから」


 そのとき、リコリスはどうやって自分が自室へと戻ったのかはっきり覚えていない。


 リコリスは、母はリコリスのためにリコリスに厳しく接するのだと信じていた。

 ……いや、信じたかった。

 けれど本当は、母はリコリスのためにリコリスに厳しくしていたわけではなかったのだ。


 自分によく似たマーガレットを可愛がることで、過去の自分を救いたかったのだろうか。

 それとも、自分のされたことを同じ立場のリコリスにすることで、自分はかわいそうな子どもではないと思い込もうとしているのか。

 もしくは、ただ鬱憤を晴らしたかっただけなのか──……


 母の気持ちなど、リコリスにはわからない。わかりたくもない。

 ただ、どれだけ努力しても、リコリスがマーガレットのように愛されることがないのは確かだった。





 その日を境に、リコリスは努力をすることも、母に愛されたいと思うこともやめた。

 マーガレットが欲しがるものは全部あげたし、壊されても怒ったり悲しむこともなかった。


 どうでもよかったからだ。

 いままでの努力がなんの意味もなかったことがわかって、リコリスの心は完全に折れてしまっていた。

 愛も救いもこの世にはないのだと、諦めていた。


 しかし──リコリスが十歳の頃、ある転機が訪れる。

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