山茶花館での再会
後宮に入ったときと同じく、空燕と月鈴は馬車に揺られていた。あのときと違うのは、既にふたりとも後宮内での正装は返却し、方服に戻っているということ。だからこそ月鈴は化粧もしていなかった。
「化粧はしていてもよかったと思うがなあ……」
空燕に残念がられて、月鈴は「いや」と首を横に振る。
「方術修行中に化粧なんてしていられないだろ。そもそも化粧直しする暇がないし、化粧崩れは醜い」
「なるほど……お前さんがそう思ったのならそうなんだろうな」
情緒が育ってない育ってないと空燕が思っていた月鈴にも、いっぱしに羞恥心があったようなのだから、それに合わせて、空燕もそこまで追究はしなかった。
やがて、森に囲まれた麗しい館が見えてくる。
最後の最後に、起きたはずの泰然に挨拶をしてから、帰ることとなったのである。
空燕と月鈴を見た兵士たちは、既に知っている顔なため、一度山茶花館の主である秋華に許可を取りに行った上で、すぐに入れてくれた。
館は大工が出入りし、どうにも落ち着かない様子だった。
「これはいったい?」
「大方、四像国から襲撃を受けたんだろうさ」
月鈴が驚きながら大工たちの作業を眺めている中、空燕がぼそりと言った言葉に、ぎょっとして振り返る。
「それは……大変じゃないか」
「大変だったんだろうさ。ここには皇帝陛下が三人も昏睡状態で眠っているんだから、今なら仕留められると思ったんだろうさ。だからこそ、俺も花妃に頼んで実家の援軍を送ってもらったようなもんだからな」
館の扉は入念に修理を施されているし、壁も塗り直されている。あの夜は月鈴も空燕も必死だったが、本来なら安全のはずの別荘にまで襲撃があったのでは、ただ事ではなかったのだろう。
そう思っていたら、「空燕様、月鈴様!」と声をかけられた。
世話になってばかりだった秋華である。彼女はふたりを見ると笑顔で駆け寄ってきた。
「先日の連続皇帝昏睡事件、無事解決おめでとうございます……!」
「ええ……しかし、あなたには残念なことでしたね?」
空燕の言葉にも、秋華は笑顔だった。いや。
彼女はいつもよりも化粧が濃く、肌も白く塗りたくられていた。おそらくは、既に目が腫れるまで泣いたあとなのだろう。彼女自身、覚悟を決めたから、既に笑顔になれるのだ。
(強い方だ……)
そう月鈴は感嘆していたが、それは彼女をより一掃悲しませそうで、口にすることはなかった。
「最後に、兄上たちを弔った上で、泰然兄に挨拶をしたく思いますが……」
「では、どうぞ皆様を弔う際、泰然陛下と一緒に行ってくださいませ。泰然陛下、職務復帰のために、本当に真面目に訓練を続けてらっしゃいますのよ? 本来ならば修繕中のここを離れて、もっと安全な場所に行くべきなのですが、私ひとりを残せないとおっしゃって、ここに残ってくださったんです」
「私がいるところが一番護衛が多いですから、秋華殿をひとりで置いておく訳には参りませんな?」
その声を聞いて、月鈴は目を見開いた。
声は空燕に本当によく似ているが、明らかに色が違う。空燕は飄々として掴み所がない風のような雰囲気の声だが、この声はどこかずっしりと腹に響き、山の頂を思わせるような厳かさがある。
振り返った先には、空燕そっくりな顔つきの、明らかに別人が立っていた。寝間着を着ているだけだというのに、彼から醸し出される気は、空燕のものとは異なっていた。彼が泰然陛下だろう……たしかに服装さえ揃えてしまえば、気配のわからないものには空燕が影武者として立てば済む話だろう。
彼を見て、空燕は深く陳謝する。それを見て慌てて月鈴もそれに倣った。
「兄上……壮健でなによりです」
「壮健ではないかな。まだ病み上がりで体がちっとも戻らないところだよ。そちらの方士が……」
そう言って泰然は月鈴のほうに視線を送る。月鈴は深く陳謝し直す。
「方士月鈴と申します」
「そうか、あなただね、此度私の愛妾として後宮に入ったのは」
「違……それは、空燕に言われ……おっしゃられたので、陛下を謀るつもりは……」
今回の事件の黒幕は四像国ではあれども、やらかしたのは方士である。後宮内に方士が潜伏していたのを言ってしまっていいものか。そう月鈴はなんとか言い訳をしようとしたが、それに対して、泰然は「ははは」と笑った。顔以外はなにもかもが違う兄弟ではあるが、笑い声だけはよく似ていた。
「いや、失礼。弟は昔から後ろ盾がない関係で、どこか卑屈な上に人を信用しないところがあったから。そんな彼が手元に置いてもかまわないという人を見つけられたようで安心したんだよ」
「……方士は、特に結婚などはできませんが」
「いや、内縁の夫婦はいくらでもいるからね。ふたりがそのつもりがないのならば、それは流すとして、ふたりがそのまま寺院に戻らずにこちらに来てくれてよかったよ。少しだけ相談があるんだけど、いいかな?」
その言葉に月鈴は首を捻っていたが、空燕は心底嫌そうに顔をしかめていた。それを月鈴は振り返る。
「空燕? 陛下の前でその顔は……」
「……兄上は人たらしなんだ。その上、やたらと外堀を埋めてくる」
「あなた、小さい頃から私と一緒に寺院にいただろうが。今も幼い頃のまんまとは限らないのでは」
「いや……三つ子の魂百までとは方士は言わなかったか? 後宮にいた頃から、その辺りは変わってないはずだ」
既に空燕は、泰然がなにを切り出すのかわかっている様子だった。
そういえば。山茶花館の主だからこそ、責任者として修繕中でもなるべく山茶花館から離れない秋華はともかく、いち皇帝がどうしてここに残ったんだろうか。たしかに彼がいる以上、護衛は増やされて当然だし、ましてやここは一度四像国から襲撃を受けているのだ。どうしてここに残ったのだろうか。
まるで、一度ここに立ち寄る空燕と月鈴を待っていたかのようなのだ。
「まずは、此度の事件解決のために、後宮に潜伏してくれたこと、誠に感謝する」
「いえ……」
空燕はこれ以上下手なことは言わなかった。
そして泰然は続ける。
「しかしこの三代に渡る連続皇帝昏睡事件の真相は、我らが父上の引き起こした厄災が原因。四像国の亡命国家とは引き続き和平のために使者を送るが、無事に平定するまでに時間がかかるだろう」
それはそうである。元を正せば、四像国にとっての聖なる山を雲仙国が奪ったことで彼らを怒らせてしまったことが原因なのだから。しかしだからと言って、おいそれと山を返すこともできまい。既に四像国の亡命国家が隣国につくられてしまった以上、簡単に山を返すなんて言ってしまえば、賠償問題はどれだけ大きくなるかはわからない。
それに空燕は「難しいですな」と言うと、泰然は頷く。
「本来父上の行いが全面的に悪いことだけはわかっているが……下手に土地の返却だけをしてしまえば、そこに住む自国の民を路頭に迷わせることになる。だからといってこちらが一方的に悪くないと言ってしまえば火に油を注ぐようなものだ。話し合いで落としどころを探すしかないが、強硬派は話し合いにはまず応じないだろうし、今回のような事態も引き起こしかねない……なによりも、我が国では数代前に方士の介入を受けたせいで、政治系統に簡単に方士を招き入れられない。そこを突かれたようなところもある」
その話を聞きながら、月鈴はどうして空燕が心底嫌な顔をしていたのか、だんだんわかってきた気がした。
外から方士を入れることができないのならば、身内の中にいる方士を連れてこればいいじゃないか。そう思っても仕方がないからだ。
泰然の言葉がひと段落したのを見計らって、空燕が口を挟む。
「……俺は兄上の側近たちにも申しましたが、俺には方士としての素質はあまりありません。方術のほうはからっきしなんです。俺がいても、兄上の力になれないかと思いますよ?」
「そこなんだがな。あなたには月鈴がいる。月鈴は雨桐全域に結界を張り巡らせ、後宮内に潜伏していた方士を特定した方士だったな? 彼女にはぜひとも我が国にいてほしい。そして空燕」
泰然はにっこりと笑う。空燕と似ているが、空燕がしないような表情で。
「あなたには山茶花館の守護を任せたい。四像国の件がある以上、軍部の再編は急務ながら、ここは仮にも別荘。後宮内になにかあった場合、ここに人員を割けないのは困るからね。あなたが強いことは知っている。だからこそ、ふたりが山茶花館にいてくれると頼もしい。それに」
彼は笑顔を浮かべている。月鈴は思わず空燕の横顔を盗み見た。空燕は滅多にしない、上からものを頼まれて困る子供のような顔をしていた。
「なにかあったとき、私の影武者がいてくれたほうがいいからね。おまけに私の愛妾がいてくれたら、より一層正体がばれることもあるまい。手伝ってくれないかな?」
どこからどこまでも、あまりに断りにくい案件だった。
第一に、そもそも皇帝陛下の命令として有無を言わせないようにすればいいものを、わざわざ頼むという形で言ってのけた。断るにも勇気がいる。
第二に、影武者という役割を与えた。有事の際に後宮に入ったりよそに出かけたりもする任務が与えられたのは、なかなかに魅力的だった。
第三に……ふたりが内縁の夫婦として認められたところである。この一点がふたりをより一層断りにくくしていた。
空燕は溜息をついてから、月鈴のほうに視線を寄越す。
「どうする? 俺は断る理由があまり見つからないんだが。お前さんはそうじゃない」
「……私は」
ただ、これを呑んでしまえば空燕と一緒にいることはできるが、月鈴の夢である仙女になる道は遠ざかる。それは彼女にとっての核を失うことだから、あまりよろしくはなかったが。
しばらく考えてから、月鈴は口を開いた。
「この話、お受けします。ただ、一度寺院に戻って師父に許可を取らせてくださいませ」
「そうか! それはよかった」
なんだか全ては泰然に担がれてしまったようだが、まあいい。
空燕と月鈴は顔を見合わせた。ふたりでいられるのならば、それでいいということにする。
****
皇帝ふたりの葬儀は、しめやかに行われた。
表向き、ふたりは病気で玉座を離れたことになっているため、あまり表立ってふたりの死を公表することができなかった。そもそも兄弟の父たる皇帝の死からあまりに皇位に就いた時間が短過ぎたため、これらを公表することで、この国の弱っていることを表に出し、四像国をはじめとする父皇帝のせいで恨まれている方々の国を敵に回すのをおそれたのである。
彼らに札を貼り、彼らの体に溜まっていた魄を奪っていく。これにより、彼らは完全に死に絶えた。これを秋華に見せるのは躊躇ったが、秋華は首を振っていたのだ。
「どうぞ、我が陛下の最期を最後まで見届けさせてくださいませ」
こうして皇帝ふたりの棺桶はきちんとした方術で封印され、墓地に入れられたのである。
方士として、これらの指揮を執り行った月鈴は、真っ白な方服を着ていた。
「これで本当によかったのか? あなたの兄上たちだったのだろう?」
月鈴は空燕に振り返る。空燕もまた、皇族としての喪服ではなく、真っ白な方服を着て方士として葬儀の弔いを行うほうに回っていた。空燕は首を振る。
「いや……泰然兄が起きられたのだ……もし他の兄上たちまで起きてみろ。皇位争奪戦で大変なことになっていた……秋華もわかっていたからこそ、兄上の最期を見届けられたのだろうしな」
「……そうだな」
秋華はそのまま残りの人生を出家して、後宮の墓地の管理をしたいと申し出たが、それはさすがに山茶花館に住む侍女たちだけでなく、泰然にまで止められた。
「あなたが兄上を愛してくれたその事実は嬉しい。ただ、兄上も寿命や戦で死んだのならいざ知らず、このような形で亡くなり、あなたを道連れにすることはよしとはしないはずです」
「ですが……私の陛下は……もう……」
「ここに来られるような方は、皆なにかしら病んでおられます。体もそうですが、心も病んでいらっしゃる方もおられるでしょう。そのつらさのわかるあなたにこそ、ここを任せたいのです。引き続き、山茶花館を頼めませんか?」
泰然の説得で、ようやく秋華は頷いた。
「泰然陛下は本当に命令が下手ですのね」
「それは側近たちに任せておりますので」
月鈴は、離れた長いはずの空燕からすら「人たらし」と称された泰然の言葉に舌を巻いていた。
それに空燕はからかい交じりで声をかける。
「なんだ、月鈴も兄上にたらされたくなったのか?」
「馬鹿なことを言うな。私は不思議だと思っただけだ。あれだけ陛下と空燕は似ているのに、ちっとも似ていないのは何故だろうと」
「……言葉がおかしくないか?」
「だが……顔の造形は同じはずなのに、どうしてこうも別人に思えるのかがわからなかったんだ。あなたと陛下は本当に顔は似ているのに、私からしてみると陛下といるのは居心地が悪くなるんだが、あなたの傍にいるのは不思議と身が馴染むんだ」
月鈴のその言葉に、空燕は「はあ~……」と溜息をついた。
それに彼女はまたしてもむっとする。
「私はまた変なことを言ったか?」
「いや……情緒が育ってないお前さんが怖いと、本当にそう思っただけだよ。情緒が育ったらどうなるのかと……」
「悪かったな、情緒がなくて」
「そうじゃない。本当にそうじゃないんだよ」
ふたりの他愛のない会話が続いた。
──そして、季節がひとつ変わった。
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