2-2 その歌は嫌い
《言霊って信じる?》
静佳の指がスマホの上をすべる。
「言霊って何?」
鈴が無邪気に尋ねた。
「言葉に宿るという霊。口にした言葉が現実化するっていう話」
響が答えた。
「私は信じてる」
斜に構えているところのある鈴だから、言霊だなんてと一笑に付すのかと思いきや、まじめな顔つきでいる。
「私はプロのミュージシャンになる。言ったからには、私はプロのミュージシャンになる」
《そうだね。響はプロのミュージシャンになる。言葉にして口に出したからには現実化する。プロになるという言葉はポジティブだからいいけど、ネガティブな言葉も現実化してしまうんだ》
「悪い現実化の経験があるみたいな言い方だね」
梓の指摘が図星だったらしい。静佳の顔が真っ青になった。
「悪いことは起きてほしくなくて静佳は言葉選びに慎重になった。その結果、言葉そのものが出てこなくなったってこと?」
梓の問いかけに静佳は無反応だった。
「わからなくもないよ」
「鈴も、声が出なくなる時があるんだ?」
響が食いついた。
「声というか、言葉がなかなか出てこないことはあるよね。こういったらいいかな、とか、こういう言い方は傷つけるかな、とか、いろいろ考えすぎて、結局、何も言えなくなってしまう」
「それは――私も同じかも……」
響はそう言ってベースの弦をそっとつま弾いた。
「言葉がうまく出ない時は、音にする。音でなら、言いたいことが言えている気がする」
「うん、あたしも響と同じ」
鈴がスティックの先をドラムにあて、優しくリズムを叩きだした。
響も鈴も、音を奏でている時は素直で饒舌だ。荒っぽい言葉遣いをしがちな響のベースは柔らかくて繊細な音になるし、普段は口数の少ない鈴のドラムは畳みかけるように音を生み出す。
「もっと、もっと、思い切り、音出したいねー」
響が大きく腕を振り上げた。そうして奏でたのは空気だった。「あたしも」と鈴も宙を力いっぱい打った。鳴るのはシュンと風を切る小気味いい音だけだ。
「スタジオでなら思いっきり音がだせるんだけどな」
「そうだけどさ、借りるにしてもお金がかかるから、そうそう簡単には借りられないよ」
スタジオの話を持ち出した梓を響が牽制した。
「そうだよね。あたし、コンビニでバイトしてるけど、バイト代貯めるのに時間かかるし」
鈴がぼやいた。
「バイト代稼ごうとしてシフトたくさん入れると、練習時間が取られてしまうんだよね」
「時給のいいバイトにする?」
梓の提案に、響は「そんなバイトがあれば苦労しないって」と、がっくりと肩を落としてみせた。
「バイトって言えばさ、『フィールド・オブ・サウンド』の『風の街』って歌、あるじゃん?」
「話飛んだなあ。バイトと『風の街』とどういうつながり?」
響が鈴に切り込んだ。
「バイト先のコンビニで有線かけていて、よく流れているんだ」
「コマーシャルで使われたから、また流行っているよね。静佳の好きな曲だ」
響の言葉に静佳が嬉しそうな笑顔を返した。
「いい歌だよね。昔の歌だけど、今聞いてもいい歌だって思う人がたくさんいるから、また流行っているんだし。でもさ、あの歌を大嫌いな人間がいるんだよ」
へえと梓と響が同時に声を出してハーモニーを奏でた。
「花畑のおじさん、知ってる?」
「うん」
鈴にむかって梓はうなずいてみせた。
「兄さんの花屋に花を卸している人だよ」
その花畑は、梓たちが通う高校の近くの住宅街にある。住宅街だというのにその場所だけが広大な一面の花畑になっていて周辺に住む人々の目を喜ばせている。畑の主は立華慶次という五十代の男で、近所の人や生徒たちには「花畑のおじさん」で通っている。
「そのおじさんがさ、バイト先のコンビニに来たんだ。あたしがレジに入ってて、おじさんの番になったら、急に『有線を止めろ』って怒りだして」
「で? どうしたの? 止めたの、有線」
響が興味津々で尋ねる。
「止めないよ。何で止めないといけないの? 大音量で流していたわけじゃないし、買い物していた間だって流れていた有線を聞いていたのに、急に止めろって言われてもさ」
「消さなかったんだ。で、そのおっさんどうした?」
「いいから早く有線を消せってすごいしつこくて。そこまで言うなら消してもよかったけど、消す前に怒って商品をレジに置いて店を出て行っちゃった。後で他のバイトの子たちに聞いたら、みんなも『有線消せ』って怒鳴られた経験してたんだ。何なんだろうねーっていう話をしてて、もしかしたら流れていた曲が問題なんじゃないかってことになったんだ。そう言われて思い出したんだけど、おじさんが有線を止めろって言ってきた時に流れていた曲って『風の街』だったんだよね。おじさん、きっと、あの歌が嫌いなんだよ」
「そんなに聞きたくなかったんだ。どれだけ嫌いなんだろ」
響があきれていた。
「何が嫌なんだろう」
梓は頭の中で『風の街』を再生した。軽快なリズムだし、歌詞も明るく、嫌われる要素はない。
「そのおっさんが変わっているだけなんじゃないの」
響がばっさりと切って捨てた。
「確かに、近所では変わり者で通ってる人だけど、悪い人ではないと思うし……」
住宅街のど真ん中で花を育てている立華は変わり者扱いされている。麦わら帽子にオーバーオール姿、麦わら帽子からこぼれた長い白髪は三つ編みにして束ねていると外見も風来坊のようだ。樹の店で時々見かけるが、いつ会っても花の仙人のような穏やかな笑みを湛えている人だから、怒っている姿がピンとこない。
《歌そのものが嫌いなんじゃなくて、曲にいい思い出がないんじゃないのかな》
「なるほどねえ。そういう考え方もあるのかな」
静佳がそっと差し出したスマホのスクリーンを読みながら、鈴はひとり納得していた。
《『風の街』、母さんが好きだった曲なんだ。そのせいで、ファンでもない父さんもあの歌が好きなんだって。その逆で、『風の街』が流行っていた時に悪いことがあって、曲を聞くとその悪い思い出がよみがえってくるので歌そのものが嫌いになったのかも》
「それはありえる」
響がぽんと手を叩いた。
「おっさん、五十代ぐらいだよね? 『風の街』は二十年ぐらい前の曲だから――三十代ぐらいか。何かあったんだろうなあ」
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