言の葉きらり
あじろ けい
第1章 言の花
1-1 花言葉は「ごめんなさい」
《ごめんなさい》
謝罪の言葉がいきなり目に飛び込んできた。
目の前に掲げられたスマホのスクリーンに「ごめんなさい」の文字が浮かんでいる。
藤野樹はスマホを掲げている少年の顔をまじまじと見つめた。
十四、五歳くらい、小柄で華奢な体つきだ。下手な美容師にあたったか自分で切ったのか、散切り頭で、不揃いな前髪の間に目が見え隠れしている。くりりとした可愛らしい瞳だが、思いつめた表情である。
見知らぬ少年だ。謝られるようなことをされただろうかと首を傾げている樹の顔近くにスマホが迫った。
《『ごめんなさい』という花言葉の花をください》
よくよく見れば「ごめんなさい」の後に文が続いていた。
「『ごめんなさい』という花言葉の花ですね。それなら――」
樹はその花を探して店内を見回した。あたりには色とりどりの花が所せましと並べられている。
樹は「ことの花」という名の花屋を営んでいる。子供の頃に通っていた駄菓子屋の閉店した店舗を改築した狭い店だ。二階は一人暮らしの居住空間になっている。
面白いもので、花屋の客はたいていの場合、花の名前がおぼつかない。バラやユリといった一般的によく知られている花は名指しで買っていく客もいるが、ガーベラとマーガレット、下手をするとコスモスとは同じ花だと勘違いされている。花には違いないし、客は花という物そのものではなく、花がもつ「優しい」だとか「柔らかい」「癒し」といったイメージを買っているのだから問題はない。イメージを買っていく客は、花の名前ではなく逆にイメージの方を指定する。そのイメージの代表的なものが花言葉だ。
言葉にするには照れくさい思いだとか、面とむかっては言いにくいといった場合、花に託して気持ちを相手に伝える。少年のように花言葉を指定して、その意味合いをもつ花を買いたいという客は多い。もっとも、大抵の花言葉は「好き」「愛している」「ありがとう」といった明るいイメージが多く、「ごめんなさい」と内向きの思いを指定する少年は珍しい客の部類に入る。
花屋というが、樹の店は普通の花屋ではない。樹の店に並ぶ花は大地が育てたものではない。
人がうみだした言葉には魂が宿り、言霊となる。宙を漂う言霊を樹は花として摘むことができる。そうして摘んだ花が樹の店に並ぶ花の正体だ。
母の日である今日、母親への愛や感謝の言霊が生まれたため、店内にはカーネーションが目立つ。その中に、「ごめんなさい」の言葉から生まれた花があった。愛と感謝の言葉があふれる日にどうして「ごめんなさい」という花が咲いたのだろうと、開店前の準備をしていた樹は不思議に思っていた。ひょっとしたら、目の前の少年が生み出した言霊だったのかもしれない。
「梓!」
樹は、店の隅で背を丸めながらスマホをいじっている弟を呼びつけた。
「カンパニュラを持ってきて」
「カン……なに?」
振り向きざまにカーネーションの花桶の間から顔をのぞかせた梓が「あ」と小さく叫んだ。視線は少年へと向けられている。
「ええっと、確か、同じクラスの森川……静佳くんだよね?」
少年――森川静佳の表情がスイッチでも入れられたかのようにパッと明るくなった。静佳少年は梓にむかって笑顔でうなずいてみせた。
十歳年の離れた弟の梓はこの春から高校に通っている。母の日の今日は猫の手も借りたいほど忙しいため、アルバイトにかりだした。借りた人間の手はスマホをいじってばかりで役に立っていない。借りてきたわけでもないのにふらりとやってきた地域猫は店先の日当たりのいい場所に居座り、人間に代わって客の相手をしている。
「名前、覚えてもらってるかなあ。僕、藤野梓」
知っていると言わんばかりに静佳少年が二度続けてうなずいてみせた。
「よかった。ここ、兄さんがやってる花屋なんだ。今日は一年で一番忙しい日だから手伝っているんだ」
《知らなかった。ネットで調べて見つけた花屋だったんだ》
静佳がスマホのスクリーンの上に指をすべらせる。スクリーンに浮かんだ文字を梓はくいいるように見つめている。
「母の日のカーネーションを買いに来たの?」
首を横に振る静佳。
「カーネーションじゃなくて、カンパニュラ」
「カ……なに?」
「カ、ン、パ、ニュ、ラ」
「ごめんなさい」という花言葉を持つ花の名前だ。樹が、わかりやすいように音を区切ってゆっくりと花の名前を言うと、静佳がスマホで検索し始めた。
「どんな花?」
「薄紫色で釣鐘の形をした――」
というやり取りをしていた樹と梓の顔の前にカンパニュラで埋まったスマホ画面が突き出された。
丈は三十センチほど、茎の右に左にふっくらとした袋状の花が咲いている。
「釣り鐘ね、なるほど。これって、神社でお祓いされる時に神主が振っている鈴に似てない? あれって何て言うんだっけ?」
すかさず静佳がスマホをいじり、検索結果のうつしだされた画面を差し出してみせた。
「そうそう、これこれ。へえ、神楽鈴っていうんだ」
梓と静佳とは額を突き合わせるようにしてスマホ画面に見入っていた。神楽鈴に興味をひかれたらしく、鈴について検索しているようだった。
「鈴は、上から三つ、五つ、七つとついているんだってさ」
放っておくと神道についてまで調べていきかねない。
「カンパニュラ」
樹は梓を促した。
「あ、うん。忘れてないよ。カンパネルラね。さっき見かけた気がする。何ていう花だろうなと思ってたんだよね」
「カンパネルラじゃなくて、カンパニュラ」
「うん、それ、カンパネラ」
梓は、カンパニュラを探して花桶の間を歩き始めた。花の名前は間違えっぱなしだが、写真を見た以上、簡単に見つけられるはずだ。狭い店内だ、見逃しようがないはずだというのに、梓はきょろきょろと見回すばかりで一向にカンパニュラにたどりつかない。
「アジサイの横。アジサイがどんな花かはさすがにわかるよな?」
「アジサイぐらい、わかるって」
そう言いながら、梓は床に置かれたバラ、ユリ、カーネーションの花桶を覗いて見て回っている。
「壁」
樹に言われて梓は顔をあげ、あたりの壁をぐるりと見渡した。狭い店内であってもできるだけ多くの花を置こうと手の届く高さまでの壁面には花桶が設置され、花が入れられてある。まるで壁から花が咲いているようだ。壁だけではない。空間すらも利用しようと、天井から人の頭の位置まで吊り下げた花桶にも花が入れられ、花が降っているかのようだ。
カンパニュラは、さっきまで梓が隠れるようにしてスマホをいじっていた場所の壁面、アジサイの横にある花桶に入っていた。
「初めてみたけど、きれいな花だね」
梓の漏らした感想に静佳が力強くうなずいてみせた。
「今日、母の日だけど、もしかして、お母さんにこの花を贈るの?」
戸惑いつつも、こくりとうなずく静佳。
「きれいな花だけどさ、母の日といえばカーネーションが定番だよね。なんでこの花? もしかして、お母さんの好きな花だったりする?」
首を横にふりながら静佳の指がスマホのスクリーンの上を走る。
《『ごめんなさい』っていう花言葉の花だから》
「『ごめんなさい』って、お母さんと喧嘩したんだ?」
静佳がうなだれるようにうなずいた。その姿がうつむき加減に咲くカンパニュラの花を思い起こさせる。カンパニュラに「ごめんなさい」という花言葉が与えられた根拠は、下を向いた花が後悔にさいなまれる人の姿に似ているからなのかもしれない。
「そっかあ。ごめんなさいってなかなか言いにくいもんなあ。でも、この花を贈ったらきっと喜んでもらえるよ。こんなにきれいな花だからさ。仲直り、できるといいね」
「思いはきっと伝わりますよ」
母への感謝を花言葉としてもつカスミソウをそえ、樹はカンパニュラの小さな花束を静佳にわたした。
支払いをすませた後、スマホ画面に「ありがとうございます」の文字を打ち込み、静佳が深々と頭を下げた。
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