兵士は逝き、死神は笑う

東雲しの

第1話 終わりの死 始まりの死


「敵兵がいたぞ! 総員、一斉射撃開始!!」

「これでとどめだ! くたばれ!」

「嫌だ、死にたくない! 助け……アアアァァ!」

 15世紀の西欧にて、とある地域で戦争が起きていた。決死の咆哮や断末魔の声がそこら中で響き渡り、血や肉の匂いで辺り一面はむせ返っている。

 

 この世の地獄とも言える最中、ある一卒兵は地に伏していた。

「ハァ、ハァ……俺もここで……もう終わり……か」

 名はユーリスという。これまでの戦いにより、剣で腹や胸元を切り開かれ、背中には数本の矢が刺さっている。地面には自身の血がこびり付き、死の淵に立っていることが本能的に分かった。


 十数年来の親友の顔を思い浮かべる。

「すまない、トーマス。俺は……先に逝く。もう二度と……酒を交わせないのが……残念だ」


 次は、出立前に言葉を交わした両親を思い返す。

「父さん、母さん、ごめん。帰ってくる約束……果たせそうにない。そして、ありがとう……俺を産んでくれて」


 そして最後に、婚約者である最愛の人を想う。

「マリアンヌ、君をずっと……愛している」


 朧気な意識の中、故郷の方角へ左手を伸ばす。

「……もっと……生きたかっ……」

 口から零れ出たその言葉を最後に、彼は力尽きた。


   ◆


「……う、うぅー」

 ユーリスは意識を取り戻すと、おもむろに立ち上がった。


「ここは……?」

 眼下に見慣れぬ光景が広がっていた。空は濃紫こむらさきに染まり、月もしくは太陽といった天体は見えない。地面は枯れた草や小石で形成されていて、道の両側には青い炎を灯した灯篭とうろうが立ち並んでいる。


「……いや、待て待て。ここは一体どこだ? 俺はさっき戦場に居て倒れていたはず。あんな傷で無事で済むはずが……」

 今になってユーリスは気付いた。。服を捲って、全身を見渡すと、不思議なことに彼を致死に至らせた傷も、戦争前の怪我も全てが無かったことになっている。まるで肉体が新しくなったように……


「一体全体どうなっている? ……とにかく、故郷へ帰らねば」

「お目覚めのようだね、ユーリス」

「……!? 誰だ?」

 辺りを見渡すが声の持ち主が見当たらなかった。


「上だよ、上」

 声に応じて見上げると、一人の痩身の若者が宙を浮いて立っていた。よわいは二十代後半といったところか。黒のパーカーに、同色のスウェットパンツで身を包み、淵の薄い眼鏡をかけている。不自然なまでに白い肌と銀色の髪が特徴的で、それがある種の不気味さを醸し出していた。


「僕はグレン。職業は死神だ。少しの間だけど、よろしく」

 かの人物は挨拶を交わすと、重力を無視するように軽やかに地面に降りてユーリスに近づいた。

「死……神?」

 ユーリスは酷く混乱していた。気が付けば見知らぬ場所に取り残され、物理法則を無視した生物が現れ、あろうことか死神と名乗るのだ。理解の範疇を超える事態が続き、その全てを受け止めようにも、彼の脳内のキャパシティはとっくに限界であった。

「もしもーし? 聞こえてますかー? はぁ、やっぱり今回もそうか。全てを一から説明するの、超めんどくさいんだけどー」

 死神はため息をつく。どうやら彼にとってもあまり好ましい状況ではないようだ。

 

 そんなことよりと、頭を切り替えて、様々な疑問を垂れ流すことにした。

「ここはどこだ? 俺の体どうなっている? 戦争はどうなった? お前は一体なんなんだ?」

「待って待って。一気に質問されても困るよー。一通り説明するから、疑問はその後にしてくれる?」

「……わかった」

「よろしい。じゃあ、まずここはどこかというと、一言で言えば『煉獄れんごく』だね」

「……『煉獄れんごく』? 何だ、それは?」

「おいおい、君の家はキリスト教を信仰していると把握しているけど? キリスト教徒なら当然知っているはずなのだけれど」

 右脇腹に抱えていた、それなりにページ数のある標本大の資料をパラパラめくった後、死神と名乗る青年はジト目を向ける。


「残念だったな。俺は敬虔けいけんなキリスト教徒じゃないのでな」

「そんな威張るような言い方されてもねー。簡単に言うと、天国と地獄の間にあって、小さな罪を背負った魂が苦しみを受ける場所ってとこかな」

「罪? 自慢じゃないが、俺はこれまで一切犯罪を冒したことのない、善良な人間だ。そんな俺に何の罪があるというのだ?」

「はは。君は面白いことを言うね。ついさっき戦争で幾人の命も奪ったじゃないか?」

「それは別に俺が望んだことじゃない。国の命令で従わざるを得なかっただけだ。生きるために仕方なかったんだ!」

「上の命令に逆らえないのは、同情するけどさ、どれだけ取りつくろうが、人殺しは立派な犯罪だよ。ただ、上もそこまで冷酷じゃない。本来なら重罪者として、そのまま地獄直行コースだったのを戦争ってことで、大目に見るようにしてるんだからね」

「納得いかねぇー。……ん? 待てよ? 天国とか地獄とかって言っていたが、俺は結局……死んだのか?」

「ご名答。君、頭の回転は悪い方じゃないんだね。意外だ。まぁ正確に言えば、僕が殺した、になるのかな」

「は? どういうことだよ?」

 ユーリスは思わず語気を荒げる。一方でグレンはそのことに意を介さず、落ち着いた様子で言葉を紡ぎ出した。


「人間には生まれたと同時にいつ死ぬか運命づけられているのさ。不可避の死とでも言えばいいのかな。死神はその人間が生まれた時から終始人間達を監視し、その時を迎えれば、死を授ける。だから、そういう意味で僕が殺した、と言ったんだ」

「……っ! ふざけんな!」

 感情のままに、グレンの元へ詰め寄る。

「俺はあそこで死ぬわけにはいかなかったんだ! 故郷には俺の帰りを待ってくれている人達がいる。だから俺は生きて帰らないといけないんだ……なのに!」

「知らないよ、そんなの。死の運命を決めたのは上だし、僕達はただそれにしたがって淡々と仕事を進めるだけなんだから」

「クソッ!」

 汚い言葉と共に、近くの小石を右足で蹴飛ばす。最初は勢い良く飛んで行ったが、数回バウンドすると、ほんの少ししたところで止まった。

 

 グレンはうんざりした様子で首を下に傾けた。

「はぁー、これだからこの仕事は嫌いなんだよ。君みたいに死後直後の人間に八つ当たりされるし、色々と説明することはあるし。なんの誇りもやりがいも無い」

「はっ! 知るかよ、そんなこと。文句言いたいのはこっちの方だっつうの!」

 突然の死神の愚痴に鼻で笑う。感情がぶり返したのか、再度ユーリスの語気が強くなっていた。

「仕方ないじゃないか。人間に死を与えるのが、僕達死神の役目なんだから」

「納得できるかよ、そんなの!」

「暴力は止めてよね」

「チッ……」


 それから沈黙が流れた。幾ばくかの時を経た後、ユーリスはそれを破り始めた。

「それで? 俺は……これからどうなるんだ?」

「さっきも言ったと思うけど、君には罪があるからね。その償いを受けてもらう。ほら、あそこにお城が見えるだろう?」

 グレンが差す指の方向を見る。白くて大きな城が数キロメートル先に見えた。つい先ほどまで視界には映っていなかったはずだったが、今となってはこれほどまでに大きな存在感を発揮する建物も他になかった。

「償いを受けた後はどうなる?」

「それはあそこへ歩きながら説明するよ、時間が勿体ないし」

 死神は先導するように前を進み始めた。ユーリスはその後を渋々歩き出した。


「それで償いを受けた後どうなるか、という問いだが。通常は天国へその魂が導かれる」

「『通常は』? その言い方だと例外があるように聞こえるが?」

「その通り。償いというのはいくつかあってね。通常は罪の大きさによって受けてもらう回数が異なるが、君のような死者が望めば全ての償いを受けることができる。そうした場合、

「……は? 現世に帰れるって?」

「そう。より正確に言えば、死んだ事実が無かったことになり、死亡時から人生の再スタートとなる」

 ユーリスは思わず歩みを止めた。死神の言う事が本当であれば、全ての償いを受ければ、現世に帰れる。つまり……、二度と戻れなかった故郷の地を踏むことも、大切な人と言葉を交わすことも、伝えきれずにいた想いを告げることもできるのだ。死んだという事実を告げられた中で、その可能性を提示され、思わず希望を見出さずにはいられなかった。


「なんだよ、お前、そういう大事なことはもっと早く言えよ」

「そんなことを言われてもねー。僕なりに順序立てて説明しているつもりなんだけど」

「まぁいいや。それで、特定の条件ってのは何なんだよ?」

「その説明をするよりも、まず『償い』というのがどういうものかを先に話そう。それはだよ」

「死の擬似体験? ……どういうことだよ?」

「例えば溺死の場合、実際に川や海で溺れ死ぬ。窒息死の場合、酸素が無い状態で呼吸できずに死ぬ。そんな風に様々な死に方を体験してもらうことになる。勿論その際の苦しみや痛みも併せてね」

 グレンの発言に耳を疑った。せっかく現世へ蘇る方法があるかと思えば、それは全ての死の疑似体験することだと眼前の人物がのたまうのだ。冗談にしてもたちが悪すぎる。

「ふざけてんのか? そんなトチ狂ったことを誰が好き好んでやるかよ」

「もし償いを拒否するのであれば、そのまま地獄へ行ってもらうよ。因みに償いを受けるか地獄に行くかについては、後者の方がかなりキツイらしい。まぁ僕はどっちも味わったことが無いから、知らないというのが適切だけれど」

 

 煉獄に来て二度目の絶望だった。一つ目は死んだ事実を聞かされた時だったが、今回は更に酷く感じる。『償い』それ自体も、それより更にキツイとされる地獄行きもどちらも到底受け入れられるものではなかった。

「案の定というか、やはりというか、これまで全ての償いを受けて現世に蘇ったものは誰一人としていないらしいよ。罪相応の償いを受けて天国へ行くか、それを拒否して地獄へ行くか、償いの途中で精神を壊して廃人になるかのどれかだよ。はたして君はどの道を辿るんだろうねー」

「……」

 言葉はもう出なかった。自身が今置かれている状況について考えれば考えるほど狂ってしまいそうになった。

 そのことを察したグレンは続ける。

「これでようやく『特定の条件』について説明できるよ。それで、その条件というのはね、。具体的には、さっきの例でいうと、溺死の疑似体験すると現世で溺死により死ぬことは出来ない。窒息死の疑似体験をすると現世で窒息死により死ぬことは出来ない。そうして、全ての償いを受けた者は不死として現世に戻れるわけだよ。おっと。そうこうしているうちに着いたよ」

 グレンからの説明に集中していたためか、それとも別の理由によるものか、気が付けばいつの間にか城の入り口へ着いていた。


「さて、ユーリス。君はどうする?」

「俺は……」

 死神からの問いを前にして、再度考える。正直まだ意志は固まっていない。償いを受けることに対する不安。現世に対する未練。地獄に対する恐怖。煉獄や死神に対する疑問や不信感。様々な想いがユーリスの胸中で渦巻く。

「俺は進むよ。辛くても苦しくても、その先に希望があるなら、俺は進みたい」

 

 彼の言葉に満足したのか、グレンはふと笑みを浮かべた。

「そうか。では入るといい。扉を開けて部屋に入ると一つの償いが始まる。それが終われば扉が開き、次の部屋へ行ける。そして、その部屋でまた償いを受けるんだ。いいね」

 死神の言葉を合図にユーリスは足を踏み入れた。


   ◆


 それからはずっと苦痛に苛まれる日々だった。


 ある部屋では、爆弾のカウントダウンがゼロとなって、爆死した。

『まだ償いを受けますか?』

 はい  ⇒ 続ける

 いいえ ⇒ Bad Endへ進む


 ある部屋では、猛吹雪が吹く中で、凍死した。

『まだ償いを受けますか?』

 はい  ⇒ 続ける

 いいえ ⇒ Bad Endへ進む


 ある部屋では、部屋の天井が一瞬で落ちて来て、圧死した。

『まだ償いを受けますか?』

 はい  ⇒ 続ける

 いいえ ⇒ Bad Endへ進む


 餓死。墜死。事故死。毒死。窒息死。斃死。溺死。焼死。etc……

 死んで。生き返って。また死ぬ。そんな時間を過ごした。


「俺は一体何のためにこんな目に遭っているのだろうか……」

 部屋に入るたびに、償いを受けるたびに、死ぬたびに、心が曇ってきたように思えた。痛い。辛い。苦しい。そんな感情が湧くたびに歩みが遅くなった気がした。

『まだ償いを受けますか?』

 はい  ⇒ 続ける

 いいえ ⇒ Bad Endへ進む


 そして、次の部屋の扉を前に立ち尽くした。そんな時、死神の声が聞こえた。

「やぁ、そろそろ限界のようじゃないか? そんな君に良い知らせだ。もう君は十分に償いを受けた。だからもうこれ以上償いを受けることなく天国へ行けるんだが、どうする? 続けるかい?」

「それは、本当か?」

「ああ、本当さ」

 グレンの言う通り、ユーリスはもはや限界であった。これ以上は償いに耐えられないそうになかった。楽になりたい……心底そう思った。現世の事はもう既に頭の中から消えていた。


「俺は……天国へ「……!」


 彼が投げ出そうとした瞬間、何かにさえぎられた。しかし、その何かはどんどん大きくなる。

「……ス! ……リス!」


 その何かはどこか聞き覚えのあるものだった。


「ユーリス!」


 いくつもの声であった。


「ユーリス! ユーリス!」


 それは同僚の声だった。上官の声だった。部下の声だった。先輩の声だった。後輩の声だった。隣人の声だった。酒場のマスターの声だった。行きつけの花屋の声だった。友の声だった。両親の声だった。愛する人の声だった。色んな人の、声だった。


 ああ、そうだ。そう思った。……何故これほど大事なことを忘れていたのだろう。何故、こんな苦しい想いをしてまで手にしたいものを忘れていたのだろう。


「嘘、やっぱりまだ続けるわ。俺が行くべき道は、帰る場所は……たった一つしかないんだ」

「そうか。なら進むといい、君の行くべきところへ」


 そして、彼は最後の償いを受け、光に包まれた。

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