第7話 見習い生活
ミーヤが狩りへ連れて行ってもらうようになってから数日、初日は散々だったものが少し慣れてきたのか、ウサギを仕留めることはできるようになっていた。スキルも徐々に上がっているが、それほど大きく上がるわけでもなく、身体能力的な変化も特に感じられない。
この日は初めて牡鹿に遭遇したのだが、深追いしすぎて手傷を負ってしまった上、その鹿には逃げられて悔しい思いを抱えて村へ戻ることになった。怪我自体は大したことは無く、帰り道を歩いていただけで大分治っている。これが自然治癒スキルの効果と言うことらしく非常に便利である。
「今日はごめんなさい、私が先に飛び出さなければ弓で仕留められたかもしれなかったね。
次からは気を付けるわ」
「気にしないでいいよ、どんな獲物が獲れるかは時の運、女神さまの気紛れだからさ。
でもウサギは随分獲ったじゃないか。
もっと胸張って帰ろうよ」
「ミチャ! 慰めてくれてありがとう!
あなたは本当に優しくて大好き!」
ミーヤはそう言ってガッチリした体型の女性へ抱きついた。ミチャはミーヤにとっては狩りの先生であり、村唯一の細工師でもある。初めて会ったとき、いつも食事をする時に使っている食器がミチャの手によるものだと知り、感謝の気持ちと親近感を持ったのだった。
そんな出会いだったのですぐに仲良くなれたおかげも有り、狩りのリーダーであるトク爺が、ミーヤをミチャの下へつけてくれたのだ。
村から狩りに出て行くのは25人ほどで、それを三グループに分けている。そのほとんどが弓術使いであり、剣と槍が少々、体術はミーヤだけだった。
いつもグループごとに別々の場所へ向かうのが通例らしく、ミチャグループ本日の担当地域は東の森だった。東の森には大物は少ないが、ウサギと鳥は豊富で初心者の狩りにはもってこいの場所なのである。
「はやく南の森に行かれるようになりたいなあ
でも今日みたいに牡鹿が仕留められないなら難しいんでしょ?」
「そうだねえ、猪も出るから危険だし、神人様に何かあったらそれこそ大騒ぎになるよ。
ミーヤ自体はあんまり気にしてないみたいだけど、本来神人様って言うのは高貴な存在なんだよ?
村人と狩りへ行ったり親しげに話すものじゃないらしいと聞いていたんだけどねえ」
ミチャにそう言われてもミーヤは別に神様ではなく、たまたま神様に救われた、ただ幸運なだけの存在なのだ。それを崇めたり祭ったりされても困るし、なによりミーヤはみんなと友達になりたかった。
幼少期を除けば全くいなかった友人と言う存在は、カナイ村で生きるミーヤにとって大切なものになっていた。別に友人は必要ないと考えていたわけではなかったが、気がついたらいつの間にか一人になっていただけなのだ。
でも今はマールやミチャや村のみんながそばにいてくれる。それだけでありがたく、彼女たちこそ神人なんかよりもよっぽど神に近い存在に思えるのだった。
村へ戻って広場で解体を始めていると、モックのグループも戻ってきた。モックたちは大草原方面へ行っていたため、獲物はウサギが中心だったが、ハーブっぽいものもたくさん摘んできたようだ。
ミーヤたち下っ端はウサギの腹を裂いて内蔵を取り出す係だ。それをミチャ達ベテランが皮を剥いで部位ごとに解体していく。やることは単純だが、なんぜ村人約100人分の仕込みなのでなかなか重労働である。取り出した内臓は肥料にするため大きな桶に入れておいて、あとで堆肥小屋へ放り投げに行くのだ。
ミーヤは、最初から当たり前のようにウサギの腹を裂いていたが、腹に刃を入れると血がドバドバ垂れてくる。よくよく考えると、そんなものを見るだけじゃなく自分でやるのだから卒倒してもおかしくない。
しかし、幸か不幸かなんとも思わなくなっているのはここが異世界別世界のせいか、獣人となったせいかのどちらが理由だろう。ミーヤ自体は後者だと考えており、その理由として今はとにかく肉が好きだからだ。以前は野菜と穀物中心でヴィーガンと間違われるような食生活だったのだが、カナイ村で生活するようになってからは、粥と果物だけでは物足りなくなっていた。
とまあ、こんな生活をしながらさらに数か月が経過した。
人はいつの間にか環境に慣れてしまうものだ。
相変わらず狩りには行っている。しかし、最初は毎日行っていたものが今は三勤一休くらいのペースになっている。しかし村長もミチャも、もちろんマールも責めたりはしないし、ご飯が減らされることもない。元々働く必要はないと言ってくれていたのだからそれも当然だろう。
だがそれがまたミーヤにとっては心苦しく、気に病んでしまうのだった。かといって酒に逃げるようなことは無く、いたって健康的に生活していることは間違いない。
それに気に病んだとしていても、一晩経ったらさっぱり気にならなくなっている。不思議なのはそういった精神的なことだけでなく、肉体的にもおおらかになっていることだ。これも環境への順応なのだろうか。
たとえば、匂いのきつい堆肥作りも数日で気にならなくなったし、なんならトイレはその堆肥小屋の二階にの床に開けられた穴から下へ落とすだけ。致した後はお尻を振って終わりにしていて紙で拭くなんてする気にもならないし、そもそも紙自体まだ見たことがない。
そう言えば未だお風呂にも入っておらず、たまに濡らした布で体を拭く程度だが、それすら数日に一度くらいのペースだ。もしかしたら臭っているかもしれないが、村人全員がそんな感じなので全く気にならない。
そう、そんな細かいことを気にしていたら、大自然の中で生きていくことはできない。まあそれでもミーヤだけは獣人だからいいとして、マールやミチャは髪を洗った方が良さそうだ。きれいとか汚いとかではなく、マールの黒髪も、ミチャの栗色の髪も、いつもごわごわでくすんでしまっているのがもったいないと感じてしまう。そう考えると言うことは、ミーヤにもかろうじて美意識のかけらは残っているようだ。
かといって男女差について誰もなにも考えていないわけではなさそうで、女性はしっかりと胸を隠す気があるようだし、狩り仲間でまだ若いモックの視線が、ミーヤやマールのふくらみへ向いていると感じることもしばしばである。
豊穣の女神もこの世界に恋愛観はあって、デートをしたり同じ家に住んだりする習慣はあると言っていた。まあその相手が必ずしも異性とは言っていなかったけど。
ミーヤだって今のところモックに興味は無く、かといって他に気になる異性にも遭遇していない。なんなら一番好きなのはマールである。彼女となら一緒に出かけたいと思えるのだが、この辺りで出かけるとしたら森か草原くらいでムードも何もなさそうなのが残念だ。
そんな日々を送っていたある日、最近トク爺から許しが出て立ち入るようになっていた南の森で牡鹿を仕留めることが出来た。初めて怪我を負わされたのと同じ相手ではないだろうが、それでも嬉しさは変わらない。
牡鹿の風下からゆっくりと近づいて飛びかかる瞬間の興奮と言ったら! 環境に適応しすぎたミーヤは、頭の中まですっかり野性的になっているようだ。牡鹿には立派な角が蓄えられており、その角はキャラバンが来た時に高値で売れるらしい。
し・か・も! こういったレアアイテム的なものは、売却代金の半分は仕留めた人のものになると言うではないか! 複数人で仕留めた場合は半分を山分けだそうだが、今回はミーヤひとりで仕留めたのだからウハウハである。
いったいいくらくらい貰えるのか、その金額がどのくらいの価値なのかはいまだにさっぱりわからないが、なんにせよ何だか自由に少し近づいた気がしてご機嫌になる。まあ別に今が不自由なわけでも不満があるわけでもないので、あくまで精神的な自由と言う意味でだ。
「キャラバンではね、お菓子や魚も売っているし、薄い生地の衣類もあるんだよ?
このワンピースだってキャラバンで買ったのよ」
ミチャが見せてくれた若草色のワンピースは、今着ている作業着のような分厚い麻で作られたものではなく、かといってシルクでもない。普通に考えれば綿だと思うが、カナイ村では綿花を栽培していないので、綿がこの世界に存在しているのかはわからない。
「いいわね! ステキな色だなあ。
私も早くこれ以外の服が欲しいよ」
ミーヤは自分の作業服を摘まみながら笑った。
初めて見るワンピースに心が躍り、キャラバンが来たら絶対買うと意気込むミーヤ、あとは甘いお菓子も魅力的だし、他にも…… と考えてはみたものの特には思い浮かばない。どうやら欲も少なくなっているか、物がない生活に慣れてしまったようだ。
その晩は全員にシカ肉が振舞われた。一人分にするとホンのわずかだが、口にできるのは獲れた時だけなのでみんな嬉しそうだ。ミーヤはこうやってみんなに喜んでもらえることがとても嬉しく、また気恥ずかしさも感じていた。
マールが調理してくれた薄切りの鹿肉を焼いた料理は、思っていたよりも固くて残念ながら好みではなかった。これならしょっちゅう食べているウサギのほうがおいしいし、その中でも、たまに作ってくれるウサギと香草の煮込み料理は今までで一番のお気に入りで、鹿の肉を食べながら思い浮かべるくらいだった。
それにしても今まで毎日ではないものの、それなりに狩りを頑張ってきた成果が出ている。レベル2までに必要な経験値はほぼ折り返しまで来ているし、体術スキルも大分上がってもうすぐエキスパートクラスだ。他にもいつの間にか勝手に取得していた武芸スキル、狩り対象のステータスを確認することで生体研究スキルも少しだけ上昇している。
もう一つ上がっているのは召喚術だ。毎日顔を洗ったり、明かりをともしたりと便利に使っていたら、いつの間にか上がっていた。この使うごとに熟練度が上がっていくと言うのは、なかなか良く考えられていると感じる。もし七海のころにこの仕組みがあったなら、客先でのプレゼンをするたびに上達し、もう少しマシに出来ていたかもしれない、なんてことを考えながらミーヤは床についた。
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