第6話 侍女ベルの活躍(上)
エドヴァルドがベルと話してから、更に2ヶ月程が経過した。あの時のやり取りのお陰だろう、エドヴァルドの態度は随分と改善した。
出された食事はきちんと自ら食べるようになったし、侍女のベルが言わずとも、身の回りの事も身体の事も、自分で面倒を見るようになった。
そして何よりも、最もまともになったのは、彼がきちんと感情を表に出すようになった事だろうか。
「あの……ベル? もうちゃんとするからさ、着替える時くらいは部屋の外に出ないか?」
朝。差し出された衣服を手にかけながら、エドヴァルドはその日、おずおずとベルに申し出た。それに対して、彼女はツンとした態度は崩さずに、まるで言い聞かせるように言う。
「何をおっしゃいますか。エドヴァルド様、お持ちするお召し物をお一人でまともに着られたことが無いじゃぁありませんか」
「ゔ……それを言われると……」
「魔王様にお会いする時は特に、まともに着ていただかないとベルの名前に傷が付きますわ」
そう言われると弱いエドヴァルドで、結局その日もそして次の日も、侍女のベルに
「俺も元々は平民なんだから、もっとこう、雑なので――」
「何をおっしゃるのか、ベルは理解しかねますわ。仮にも一国の主人である魔王様の客人ですから、そんなもの着させる訳にはいきませんもの」
「…………」
なる程、こと魔王城での生活においては、この侍女には一生敵わないのだろうな、とエドヴァルドは認識を新たにする。
そんな毎度のやり取りを飽きもせずに行いながら、エドヴァルドはいつものようにめかしこまされる。こういう、お小言を言われながら念入りにチェックされる日は、決まって魔王アレクシスと行動を共にする事になっているのだ。
その傾向にいつしか気付いてしまったエドヴァルドは、そうだろうと分かる日、どうしてだかソワソワとしてしまう。別に、魔王と会うのが嫌な訳では無い。
余程浮き足立っていたのだろう。その日はとうとう、ベルに指摘されてしまった。
「どうなさったので? 本日はいつにも増して挙動不審ですよ」
ある種当然の流れだった。エドヴァルド本人でさえ、その自覚があるのだから。腕を動かしながら問うたベルに、彼は視線を泳がせながら言った。
「いや、何と言うか……緊張して」
「何を今更。そんなに魔王様にお会いになるのが嫌なので?」
「いや! そんな、滅相もない。何と言うか……嫌な訳ではないんだ。俺にもよく分からないんだが……、あの人に見つめられると緊張してしまって。見た事無いくらい、綺麗なひとだし――」
言葉の最後の方は、本当に呟くような声だったのだが。
エドヴァルドはその瞬間、引くほどにギョッとした。
「緊張されるので?」
「えっ――、うん」
顔をこれでもかとにじり寄せながら問い詰めるくるベルに、エドヴァルドは上半身を中心に逃げを打った。しかしすかさず、ベルは両手でエドヴァルドの二の腕をガッシリと掴みかかり逃げ道を塞ぐと、更に質問を続けた。ある種の迫力のようなものがあって、エドヴァルドは内心で悲鳴を上げる。
「魔王様をお
「そりゃぁ、あんなに美しい人、俺見た事なくって。平民なんてみんな
「エドヴァルド様!」
その時突然、ベルは叫ぶように言った。エドヴァルドの言葉はそこで途切れ、そしてその迫力に圧されるように叫ぶことになった。ふたりきりしかいないその部屋に、元気声がこだまする。
「はっ、はい!」
「魔人とお付き合いされたり、そういうのに抵抗は?」
「は、えっ……? お付き合い……? 何でまたそんな」
「いいから、今おっしゃって!」
「はいっ! べっ、別に、俺だって今はもうそういう存在だろうし、魔人に悪い印象なんてな――」
「エドヴァルド様、今日はお部屋に帰ってこなくて良いです」
「は!? んなっ、……君さっきから一体、何なんだ」
「いえ、こちらの事情でございますのでお気になさらず! オホホホホホッ、では今のところは一旦失礼致します!」
今日のベルはまるで嵐のように、聞きたいことだけを聞いて次の瞬間には、無表情に口だけの笑い声を上げながら、そそくさと部屋から出て行ってしまったのだった。
突然の豹変に、部屋に残されたエドヴァルドはひとり唖然とする。彼女が突然の凶行に走った理由がわからず混乱する。こんな意味の分からない雑な扱いは、この城に来てからは初めてのこと。一体何をしに部屋から出て行ってしまったのか、と彼は首を
普段ならば、ベルの服装チェックが終わればそのまま部屋で待機するよう伝えられ、他の侍女の伝言をふたり一緒に待つ事になるのだが。
ベルほどの侍女がその
「さあエドヴァルド様! 年貢の納め時でございますわよ!」
侍女にあるまじき、なんとも興奮した調子で、ベル自身がエドヴァルドを迎えに来たのだった。薄ら頬が上気し柔らかな笑みを浮かべて、普段の黒髪を結い上げた淑女の美しさに人間味が加わる。するとベルは、瞬く間に愛らしい女性へと変貌してしまって、エドヴァルドはほんの一瞬見惚れる。
だがそれも、彼女の言葉を瞬間に終わった。そのセリフは大変、奇妙なものだった。彼には理解しかねた。
「ささ、エドヴァルド様、魔王様の元へと参りますよ」
「年貢の納め時って……」
「いじらしい態度を取られて、可愛いのは少年までですよ。ハッキリとおっしゃられたら好いではないですか。魔王様もその言葉をきっとお待ちですわよ」
「だから君は、一体、何の話をしてるんだ? さっきから訳の分からないことを……」
ベルにそう言われる理由が全く解らず、エドヴァルドは思いきり困惑した様子でベルを見返した。そんなエドヴァルドの思いが伝わったのか、ベルはようやくその意味を察した。そして同時に彼女は驚きに目を見開いた。
「なんと、もしやエドヴァルド様は、鈍感クソ野郎でございましたか」
「ちょっとベル、君、俺が慣れて来たからって随分と遠慮が無くなったんじゃないかい」
「いやはや、もしやと思っておりましたが。良い歳をした大人がまさかコレとは……」
「なぁコレ、さすがに怒ってもいいよな?」
「申し訳ございません。ベルたる者がそんなことにも気付けなかったとは……世界は何とも広ぉございます」
「…………」
「いえ、失礼、余りにもアレでしたので興奮してしまいましたわ。さぁ、張り切って魔王様の元へ参りましょう」
そんな、言葉通り妙に張り切ったベルに連れられ、エドヴァルドはおとなしくその後ろを歩いた。
何とも形容しがたい気分で、彼はもやもやとする心のまま、先程のベルの言葉の意味を考えてみる。鈍感クソ野郎だなんて、そんな事を言われる理由など何も思いつかなかった。
けれども、先程のやりとりでベルに何やら煽られた事もあって、一歩一歩魔王の元へ向かっていることを妙に意識してしまう。その部屋近付くにつれ、胸の高鳴りが抑えられなくなっていくのを自覚する。
彼自身、妙に甘やかされているなぁという自覚位はあるのだ。どうしたって、他の魔人に対するソレと、自分に対する接し方の違いには嫌でも気付いてしまう。それがどうしてなのか、エドヴァルドには皆目見当もつかない。ただ一つ言えるのは、自分は魔王アレクシスの特別であると言う事。それだけは確かなのだ。
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