第30話 潜入調査(3)

「そんなに警戒しないでください。というのは無理な話のようですね」

「あぁ。たとえいい話を切り出されても、難しいだろうな」


 私はカーティス様の腕の中で、大いに同意した。嫌な空気が肌まで伝わってくる。

 ピナと感情や、時には感覚さえも共にすることがあるからなのか、自然と私も敏感になった。


「そうですか。私としては、あまり騒ぎ立てられるのは困るのですよ。特にそちらのお嬢さんには」

「なっ、私は無闇に――……」


 騒いだりしません、と言うためにカーティス様の体を押し退けて、振り返った。直後、ふわりと浮き上がる。


「え?」


 気がつくと私は背後にいるカーティス様に腰を掴まれ、まるでダンスのステップを踏むように百八十度回転した。カーティス様の体ごと。


 何? 何が起こったの?


 そう思った瞬間、目の前にあったのはカーティス様ではなく、壁だった。


「用があるのは俺ではないのか?」


 その問いは、明らかに私に向けられたものではない。振り返ると、カーティス様の背中が見えた。どうやら、私は庇われたらしい。

 それがちょっと悔しくて、前に手を伸ばす。


 騎士として、非戦闘員である私を背に隠すのは、当然の判断だと思うけれど。私だって……一緒に潜入調査をする仲間……じゃないの?


 背中に触れると驚いたのか、カーティス様が首を横に向けた。


「大丈夫だ」


 違う。心配な気持ちはあるけれど、そういう意味で触れたわけじゃないの。

 私はただ、足手まといにはなりたくないから、黙って頷いた。


「実は困った案件が起きまして。近衛騎士団長様とマクギニス嬢に手伝っていただきたいのです」

「国民を守るのが我々の使命だ。余程のことがない限りは聞こう。だが、マクギニス嬢は我々の傘下ではない。協力者だ。彼女に強制することは控えてもらおうか」

「こちらを見ても、同じことが言えますか?」


 ノハンダ伯爵の言葉が終えると、扉が開く音がした。

 そこから漂ってくる気配。

 先ほど感じた嫌な空気よりも、親しみやすい。けれど鳥肌が立つほど感じる、この恐怖は何?


 私はカーティス様の肩と腕を掴み、真横まで歩み寄る。


「っ!」

「ルフィナ嬢!」


 扉から現れた人物が抱えるソレに、私は駆け寄った。驚くカーティス様の声は耳に入らず、抱える人物も目に入らなかった。

 ただただソレが、その子が痛々しくて。


 私は奪い取るように、布に包まれた虎柄の猫を抱いた。

 オレンジ色の縞模様が特徴の茶トラ猫。人懐っこくて、調査にはもってこいだが、目的をしばしば忘れることが多い、可愛い猫ちゃん。


 触ると柔らかくて、いつまでも撫でていたくなる胴体が硬い。動き回るのが好きなのに、ピクリとも反応を示さない。

 冷たくなった体に、少しでも温もりが戻って欲しくて、私は茶トラを抱き締めた。頬を流れる涙で、茶トラが濡れることもお構いなしに。



 ***



 しゃがみ込む私に、影を落とす者がいた。


「マクギニス嬢……」


 愛らしい声に似合わない憂いを帯びた声音。床に広がる私のドレスを気遣いながら近づけるのは、一人しかいなかった。


 そう、休憩室に茶トラを連れてきてくれた女性。

 私はお礼すら言っていないことに気がつき、顔を上げた。涙を拭える余裕がなかったから、酷い顔をしていたことだろう。

 それでも女性は気にせずに私の頬を撫でた。今、私が他の誰かに茶トラを触られたくないのを、理解してくれているようだった。


「ごめんなさい。私がもう少し、速く動けていたら、こんなことにはならなかったのに」


 紫色の瞳が悲しげに私を見つめ、茶トラへと移動する。


 何故、そんな目で茶トラを見るの? 茶トラは野良だ。本来なら、彼女の目に留まることなどあり得ない存在。

 いや、王城にいる猫にすら、膝を折って挨拶をする女性だ。猫がお好きなことも知っている。


 恐らく、ノハンダ伯爵邸で茶トラを見かけたのだろう。ここに連れてきたのがその証拠だ。

 ならば何故、このようなことが起こったのか。それを知っているに違いない。


 私は震える声で尋ねた。


「どういうことですか? ドリス王女殿下」


 再び視線が向けられる。美しい銀髪と相まって、その姿はとても儚げに見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る