第26話 団長様は上の空
「申し訳ありませんが、呟く時に私の名前を出すのは、控えてもらえないでしょうか」
夕方。迎えに来た馬車の中で、私は俯いたまま、手紙の返事を改めてした。あまりにも恥ずかしい案件だったため、カーティス様を直視できなかったのだ。
向かい側に座るカーティス様が、どのような反応をしているのか、大体は想像ができた。随分と間が空いていたからだ。
「そ、それは済まない。もしや、あれを聞いて……」
私は黙って頷くしかなかった。下手なことを言えば、どちらが墓穴を掘るのか分からない。
「猫たちは普段、伝言役をしません。どちらかというと、今日のように辺りを探索することが多いんです。だから、些細なことも報告するように言っておりまして……」
「俺の呟きが、ルフィナ嬢への言伝だと勘違いしたのか」
「はい。ピナが……その私に憑いている猫が返事をしていたと思うんですが、おかしいとは感じなかったんですか?」
そっと、カーティス様の顔を窺う。
あの日、ピナの姿を見ても動じていなかったから、話題に出しても大丈夫……よね。
「いや、ラリマーが答えてくれている、とばかり思っていたから」
「ラリマー?」
「あの白猫の名前だ。しばらく滞在するのなら、名前を付けてもいいだろうか、とピナ……君に聞いてみたんだ」
今までも、伝言役の猫に名前を付けた事例はある。愛着を持ちすぎて、依頼が終了した後も手放せず、最終的に飼ってしまった人物もいたくらいだ。驚きはしない。
「ラリマーって宝石の名前ですよね」
「あぁ。ちょうど白猫の瞳とルフィナ嬢の髪色が、そんな色だったから名付けたんだが。どうだろうか」
なっ! そんなこと、聞かないでよー!
「……良いと思います。けれど私の髪色は、そんな上等なものではありませんよ」
「そうだろうか」
カーティス様は私の髪を一房、手に取り、パラパラと元の位置に戻していく。一瞬、恋愛小説の一場面のように、髪へ口づけされるのではないか、とドキドキしてしまった。
「とても綺麗だ。ドレスも良く似合っていて安心した」
「あ、ありがとうございます」
恥ずかしそうに言う私とは対照的に、カーティス様は満足そうに微笑まれていた。その中にはあの日、馬車の中で見た、慣れない眼差しが混ざっているように感じた。
そう、優しい眼差しだ。
私はそれを避けるように、顔を馬車の外へと向けた。
カーティス様が迎えに来てからすでに二十分。
マクギニス伯爵邸が首都の郊外にあるため、中央の外れにあるノハンダ伯爵邸までは時間がかかる。
夕暮れの光を浴びて、オレンジ色に染まるケイラ川。普段は何ともない川だというのに美しく感じる。それと同時に、怖さもあった。
何故なら、オークションに出品される荷物は、陸路だけではない。そう、海路もあるのだ。正規ではない以上、首都を流れているケイラ川もまた、それに利用されている。
「ノハンダ伯爵とは面識がないのですが、どのような方なのですか?」
勿論、情報としては知っている。主にシュッセル公爵の資金源。海洋貿易で財を成し、それを元手にシュッセル公爵に近づいたのだ。
数年前に爵位を継いだやり手。爵位をお金で買った成金ではなく、古くからある家柄ということも相まって、上手く取り入ったらしい。
なにせ、勢力を拡大させるのも、邪魔者を排除するのも、お金がかかる。仮面舞踏会もその一種。密約や賄賂。果ての人身売買だ。
仮面舞踏会が頻繁に開催され始めた時期は、ノハンダ伯爵がシュッセル公爵に近づいてすぐのこと。一年位前だろうか。
ドリス王女が出席し始めたのはここ最近のことだから、内情をどのくらい知っているのかまでは定かではない。けれどそれが、せめてもの救いだった。
「見たままだな。
「念のためにお聞きしますが、カーティス様のところにも?」
「俺は貴族派ではないが、取り入ろうとする連中は後を絶たない」
貴族派。主にシュッセル公爵を中心とした派閥だ。王政を支持する王党派と敵対しているのだから、ヴェルナー殿下の側近であるカーティス様に近づくのは至極当然のこと。
しかし、諸刃の刃ともいえる行為だ。
「ふふふ。忠犬と言われるほど、ヴェルナー殿下に忠誠心が篤いカーティス様に近づくなんて、随分と無謀なのですね」
「逆に上手くいけば、大きな手柄だ。それくらいシュッセル公爵の懐に入るのは魅力的なのだろう」
「中立派の我が家には理解できないことですわ」
さらに言うと、我がマクギニス伯爵家は貴族社会の中でも浮いた存在。中立派と一括りにされているが、仲間意識はない。
「だが、そのお陰で、こうして話すことができるのだ。情報が外に漏れる心配もない」
「当然です。王党派と貴族派の争いには巻き込まれたくありませんし、中立の立場を破ったら、我が家とて無事ではないでしょう」
実際は使役していなくても、余所から見れば猫を操り、裏社会を覗き見る怪しい家門。どちらかについた途端、猫の大量虐殺が起こるかもしれないのだ。
そんな危ない橋、誰が渡るというの!
「つまりルフィナ嬢が嫁ぐとしたら、同じ中立派がいい、ということか?」
「え? 私は長女ですから、嫁ぐのではなく婿を迎える側ですよ」
真面目に返事をしたものの、突然の方向転換にビックリした。さっきまで仕事の話をしていたのに……どうして?
「迎える側、か。しかし、ルフィナ嬢には妹がいたはずだが」
待って! この話、まだ続くの? 仕事の話は?
「えっと、その通りです」
「ならば、ルフィナ嬢は嫁ごうと思えばできるのではないか?」
カーティス様の言う通り、できるけど……。どうして今、その話を? これから私たちは潜入調査をしに行くのに!
「いや、それよりもマクギニス伯爵に尋ねる方が先か……」
「知りません!」
私は大声を発した。恐らく、顔は真っ赤になっていたことだろう。怒りと恥ずかしさで。けれど今はそんなことに構ってはいられなかった。
「こんな、仕事に不誠実なカーティス様なんて」
馬車が止まる音が聞こえ、ハッとなって見つめるカーティス様を余所に、私は扉を開けて外に出た。
嫌いです! と言わないでおいたことは褒めてほしい。
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