第11話 ハウスメイド、疾走(その2)

「流星の……」

「そう、あなたと見た流星のあとよ。イーディス」


 お嬢様はご存知だったのだ。あの時のみすぼらしいメイドがイーディスだと。


「あの後、わたくしは悟ってしまったの。ねえ、あなたは信じる?」

 いうなり、令嬢はイーディスの手首を掴んで、部屋へ引き入れた。

「わ、わ、わ!?」

 紅茶のポットを倒さぬようになんとか耐えて、それから令嬢の部屋に入ってしまったことに驚く。イーディスは目の前の光景を見て絶句した。

「こ、これは……」




 端的に、汚部屋おべやだ。

 ぐしゃぐしゃに丸まった紙屑がそこらじゅうに落ちている。暗い室内に灯される灯りは、デスク上の白熱電球だけ。デスクはインクまみれで──まるで。

 まるで、原稿中の漫画家か、小説家か……。そんなことを考えているうちに、グレイスフィールがさらりととんでもない発言をした。


「私、この世界に生まれてくる前は──異なる世界の、売れない漫画家だったみたいなの。……漫画家。あなたならわかるでしょう?ハンバーガーとフライドポテトがわかったあなたなら」


「!」


イーディスは大きく頷いた。


「わかります、……わかりますわ、お嬢様。漫画家のことも漫画のことも、知ってます!……私もです!異なる、世界から……」

 

 グレイスフィールは紅茶のカップをデスクに置くと、イーディスにも盆を下ろすように促した。

 そして、イーディスに紙の束を差し出す。


「原稿用紙にするには悪い紙だけど、今のオルタンツィア製の用紙の中では一番高級なものなの。お兄様にわがままを言って、何枚かもらったものなのだけど……」


言い訳するように彼女は言った。


「ところどころ、滲んでしまうのよ。インクが」


 グレイスフィールの言う通り、紙の上の絵はところどころ、細かな箇所が滲んでしまっていた。けれどもイーディスは、その絵に見惚れていた。

「漫画だ……」

 グレイスフィールは頬を掻いた。

「それはボーイズラブよ」

「ボーイズラブ!?」

「嫌い?」

「好きです!」

 グレイスフィールはホッとしたように笑った。

「仲間ね」

「読んでもいいですか?久しぶりの漫画だ……!」

 ワクワクするイーディスをよそに、グレイスフィールは、ため息をついて続けた。


「前世がどうであろうが、何であろうが……お兄様の役に立てるのならって思うこともある。あるけど……ねえ、イーディス、すごく、すっっごく馬鹿なことを言うけど、信じてくれる?」


グレイスフィールはイーディスの目を見た。


「この異世界は、“私”が死の間際まで切っていたネーム筋書きのとおりになっているの」


「は……え」


 ……異世界転生ものにおいて、よくある展開ではある。

あるけど。あるんだけど。

実際に巻き込まれてみると、本当に大変だ。

 誰かが作った世界に転生する。その中で運命を切り開いていく。転生ものの一つのテンプレートと言って良い。

 そして、だ。ずっと「私」が気になっていた「アレがあってコレがない現象」にも説明がつく。納得する。この世界を、作者が完全なるハイ・ファンタジーとして作りこめていなかったのだ。自称作者──目の前の、グレイスフィールが。


「な、るほどですね……?」


「そしてね、この漫画せかい、ハーレムものであって」


「あっ」

 察してしまった。


「わたくしが社交界デビューすると同時に、お兄様は運命のヒロインと出会うわ。名前はマリーナ。本当は転生してきた日本の女子高校生で、本名を細波聖奈さざなみせいなというの。海辺の街に生まれたから、アーガスティンは故郷を思わせる懐かしい風景で」


「ああ……」


「ヴィンセントはマリーナに一目惚れ。すぐに恋愛が始まるわ。そこに現れるブラコンの妹、グレイスフィール」


「ああああ……」


「グレイスフィールはありとあらゆる手を使ってマリーナをいじめ倒すのだけれど、それがヴィンセントの怒りを買って、家を追い出されてしまうの。……まあ、他にもマリーナを愛した男性達がいて、マリーナはありとあらゆる美男に溺愛されながら最終的にヴィンセントと結婚」


「うわああああ」


イーディスはもはや頭を抱えてしまっていた。役満。


「と言う筋書きを書いている途中で火災に遭ったわ。それで、今よ」


──火災。

イーディスの頭がつきんと痛んだ。火災。火災か。

さぞ、苦しかったろうに。


「……だからお嬢様は、デビュタントに出たくないのですね」

「わかってもらえてよかった」

グレイスフィールはサラリと言った。

「お兄様の目的はわたくしの社交界デビューですから、わたくしが断固拒否すれば、マリーナとお兄様が邂逅するのを防ぐことができると思っているわ」

「なる、ほど……」

「自分で設定しておいてなんだけど。……わたくしから見たマリーナは性悪だし、お兄様には見る目がないし。……でもわたくしは、そんなお兄様が、大好き」

グレイスフィールは寂しそうに言った。

「妹としての“私”は、お兄様のことが大好きなの。たった一人の家族だもの。力になって差し上げたいし、痛みは分け合いたいと思ってる。でも」

「マリーナとは会わせたくない?」

「そう、そうなのよ、あんな女と会わせるくらいなら。筋書き通り憎まれるくらいなら、筋書きに背いて憎まれる方がマシ。お兄様が、マリーナみたいな女に取られてしまうくらいなら……」

「……」

 令嬢は手ずから紅茶をカップへ注ぎ入れて、一口飲んだ。

「イーディス。これがわたくしの背負っている“悪魔”よ。あなたにこれが祓える?」

 イーディスは答えられなかった。せっかくのBL漫画も、読む気が失せるほどに、深く考え込んでしまった。

 どうしたら。



 お嬢様の部屋を出て、イーディスは精神的にも肉体的にも疲労しきっていた。朝からオルタンツィア兄妹に振り回されっぱなしだ。頭も痛い。

 情報量が多すぎて、イーディスの小さな脳が悲鳴を上げているのだ。


 おそらく、ヴィンセント様の「お嬢様を“まとも”に」という条件には「社交界デビュタントに出てくれるお嬢様」も入ってくることだろう。

 それが達成できなければイーディスは明後日から物乞いだ。

 でも、グレイスフィール様は、ご自身の社交界デビューによってヴィンセント様と「マリーナ」が出会うのを恐れている。なによりも、お嬢様自身が、「出たくない」とおっしゃっているのだ。


 平行線にも程がある。


 イーディスはへとへとで、途方に暮れていた。






『窓、ガラスの、シューゼンですが』

 そこへ渦中のヴィンセント様が、美しい男性と連れ立って歩いてきた。イーディスは慌てて距離を取る。このよれよれの姿を旦那様とそのお客人に見せるわけにはいかない。二人はお嬢様の部屋の前あたりで立ち止まり、話を始めた。


『こちら、デス』

ヴィンセントが片言で破れた窓を指差す。

……なぜ片言なんだろう。


『おお、これは真ん中ですね』

 滑らかに美青年が言った。黒い髪に黒い瞳。日本か中国か、アジア系の顔立ちだ。俳優みたいだ、とイーディスは思った。

 ヴィンセントは数拍遅れて、うんうん大げさに頷いた。

『妹ガ、開けたあな、デス』

『寸法を測ります。……ちょっと離れていてください』


 ヴィンセント様が首を傾げた。

……ひょっとして、伝わっていない?

 イーディスはハッとした。


 コレ、英語では?


『……寸法を、測ります。なので、離れてください』

 面倒臭そうな雰囲気をにじませながら、美青年はゆっくりとヴィンセントに告げた。

 ヴィンセントはニコニコしながら離れた。若干イラついている美青年は、懐からメジャーを取り出してさっさと寸法を測る。

『なるほど』

『どう、デスカ』

『モンテナからわざわざおれを呼び寄せておいてガラス窓の修繕一枚だなんて、笑わせるなよ、紙狂いの狐』


──あー!?あー!?

言ったな!?言ったな!?


 イーディスはせっかく隠れていたのに、それを聞いたらたまらなくなって、飛び出してしまった。


『まあ!修繕業者の方ですかぁー!』


 美男子はギョッとしたようにイーディスを見下ろした。よれよれのメイド服の女が踊るように飛び出してきたら誰だってこんな反応をするかもしれない。

『レスティアの海岸沿いは冬風が厳しいので、窓の穴にはほとほと困り果てておりましたの、大変助かります。屋敷の者どもも皆、あなた方に感謝しておりますわ。ところで』

イーディスは挑戦的に彼を見上げた。

『通訳が必要でしたらお申し付けください?』

黒髪の男は、誰もを魅了しそうな笑顔を浮かべて、挨拶でもする様にイーディスを見下ろした。


『……うるせえブス』

──はぁー!?


「おい、御客人になんて真似をするんだ」

ヴィンセントが「またお前か」と言わんばかりに眉間に皺を寄せたので、イーディスは努めてしおらしく答えた。

「ご挨拶の言葉を知っていたので、つい」

言い訳をしつつ、黒髪男をチラリと見遣る。それ以上、イーディスに突っ込んでくる様子はないらしい。


『では、交渉と致しましょうか』

『はイ』


 柔和な微笑みでヴィンセントを誘うと、二人で貴賓室への道を戻っていく。イーディスは、性悪なモンテナ男の高い背を睨みつけた。ついていって不躾な発言の全てを翻訳してやろうかと思ったが……。


「ちょっと疲れたな……」

 なにより、ヴィンセント様には悪い意味で目をつけられている気がするし……。


 イーディスはお嬢様の部屋をノックした。

「お嬢様。……少し、席を外します、何かご入用のものは」

「あー……」

歯切れの悪い返事があった。

「イーディス。廊下に……」

「はい?」

「……オルゴール、なかった?」


「オルゴール?」

「ええ、四角い木の箱……」


 見ていない。敗れたクッションと、ペンと、壊れた目覚まし時計だけ──それも、全て他のメイド達が片付けてしまっている。

オルゴール、オルゴール……。

 イーディスは破れた窓ガラスの向こうを見て──はたと思い当たった。この穴を開けたのは?


「探して参ります。見つけ次第、お持ちしますので」


イーディスは返事も待たず、追い縋ってくる疲れを振り切って、庭へと走った。

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