第9話 ハウスメイド、奮闘(その3)

 跳ねるように階段を駆け下りて厨房に向かう途中で、三人娘とすれ違った。彼女達は厨房へ駆け込むイーディスを見て、ひそひそと囁き合った。けれどもそんなことはお構いなしだ。


「料理長!レシピです!なるべく早く完成させてください!」

「よしきた!任せろ“金皿10枚”!お前はそこから見てな」

「ええっ!?」

「これでも譲歩してるんだぜ。皿に近づけたくないからな」

「うう、はい」


 それを言われると何もいえない。

 料理長はチラリと渡された紙を一瞥し、休憩中だった若い料理人を一人捕まえて来て、それから材料を揃えていった。肉、玉ねぎ、にんじん……イーディスは言い付けられた通り、それをちょっと遠くから見守っていた。手伝いたくてうずうずするのを我慢しながら。


「まず、ハンバーグを薄くしたものを作るんだな?」

 料理長たちはテキパキと動き回る。無駄がなく、隙もない。

 包丁を扱ったと思ったらすぐ金属のボウルが出てきた。挽肉が放り入れられたかと思うと、きざんだ野菜、塩胡椒が入って、あっという間にハンバーグのたねが出来上がる。

 2人の手で薄く薄く伸ばされたそれが、フライパンに四つ乗せられた。

「4つも?」

イーディスが尋ねると、料理長は当然とばかりに返す。

「異国料理なんか滅多に食えない。研究だよ、研究」

「万が一失敗しても大丈夫なようにでしょ」

 若い料理人の男が口を挟む。コック帽から覗く赤毛。鳶色の目がくるくる動いて、それからイーディスを見た。

「それにかわいいメイドさんの分もあると見た。ね、料理長」

「余計なこと言うな、デアン」

「余計でしたか?」


 タイミングを見て、デアンと呼ばれた青年はハンバーグをひっくり返した。それを確認した料理長は、たっぷりの油を入れた大鍋を火にかけ始める。

「フライドポテト……ジャガ芋をサラダ油で揚げて火を通し、よく油を切って……おい“金皿10枚”。このレシピの字、お前さんの字じゃないな?」

 イーディスは胸を張った。

「はい、お嬢様の字です。その挿絵もお嬢様がお描きになりました」

「お嬢様が?……すごいな」

「へぇー」

 デアンが目を輝かせた。

「お金が取れそうな絵だなぁ。綺麗だ。字も綺麗だし」

「お前はそういうことしか言えんのか!」

 料理長が呆れたように言った。


 そんな軽口を交わし合いつつ、デアンは出来上がったハンバーガーのパティを見下ろし、ちぎったレタスをパンの上に載せた。料理長はからりと揚がったポテトをつぎつぎと油から引き上げていく。

「レタスの次に、ハンバーグ、チーズ、トマトソース、ピクルス、からし……?これ、からし載せてもいいんですか、料理長」

「知らん、レシピ通りに作ればいいだろ」


「ちょっとだけです!からしはちょっとだけ!」

イーディスは場外から叫んだ。

「トマトソースは味付けのつもりで!」


「なるほど、メインはトマトね」

 デアンは呟き、最後の仕上げを施していく。

 グレイスフィールの描いた絵通りのハンバーガーがひとつ出来上がった。

 一方で、料理長が揚げ終えたポテトに、塩が振られる。

「こんなもんかね」


「お二人とも、さすがです!すごい!天才!」

イーディスは拍手喝采と共に二人を労った。

「お疲れ様です!これでお嬢様にお届けできますね!」


「待て、“金皿“。味見だ味見」

料理長が言い、デアンがハンバーガーを差し出した。

「へ?」

「お出しする料理の味くらいわかっておけ」

「あ、感想とか改善点とかあったら教えてくださいねー」

 デアンはサッとノートと鉛筆を取り出した。イーディスは二人を見比べてから、ありがたく「最初のハンバーガー」を頂くことにする。


一口め。


「うーん。ちょっとトマトソースが多いかも。ハンバーグにお味がついているので、少し控えめにして」

「なるほど?」

「レタスはもっときっちりお水を切った方がいいですね、パンに染み込んでしまうから……」

「ほうほう」

「ピクルスとからしはこれで丁度いいです。おおむね、ハンバーガーと呼べる……と思います。多分」

「了解」

 デアンはメモを取ってから、二つめを作りにかかる。料理長はそんな弟子の姿を見送ってから、ポテトを盛った皿を勧める。

「これはどうだ。火は通ってると思うが」


 イーディスはポテトの皿にも手を伸ばした。


「……うん、おいしい。大丈夫だと思います。きっとお嬢様にご満足いただけます」

「よかった、あとはあっちだけだな」


「改良品、どうですかねー」

 ちょうどデアンが二つめを持ってきた。料理長がすかさず口を挟む。

「それは俺にも食わせろ」

「じゃあ切ってみますか。僕も味見したいですし」

 ナイフで綺麗に切り分けたハンバーガーを、それぞれ食べる。


 うーん、と声が漏れたのは料理長だった。

「……すごく美味しいな、いいな、ハンバーバー」

「ハンバー”ガー“です、料理長」

「さっきと比べてどうです?イーディスさん」

イーディスはデアンを見つめた。

「良くなりました。お嬢様の分も、この配分で作ってみてください」

「了解です。……なんだかイーディスさんて、”金皿10枚“って感じしませんね」


 思いもかけないデアンの言葉に、イーディスは目をしばたいた。”金皿10枚“はもはや挽回できないイーディスの代名詞だとばかり思っていたからだ。ここで働く以上、ついて回ってくる過去の汚点だとばかり。


「そう……ですか? なぜそう思うんです?」

「うーん、前の方が可愛かったから」

「え?」

 聞き間違いか? 難聴か?

「なんてね」

 デアンは手についたトマトソースを舐めた。イーディスはなぜか目を逸らしたくなって、でもどうすることもできなくて、俯いた。


 料理長が大きくため息をついた。

「デアン。とっととお嬢様のお召し上がりになるハンバーバーを作るんだ。俺は盛り付けるだけだからな」

「了解です」

「あの、料理長。ハンバー”ガー“ですけど」

「……いいか”金皿10枚“。あいつは女となれば誰にでもああだから、惑わされるな。泣くぞ」

 イーディスの訂正は無視された。






「行けるか?”金皿10枚“。支えなくて大丈夫か!」

「大丈夫です、大丈夫ですってば。金皿10枚の二の舞にはしませんから!」

 そう振り切って、イーディスはハンバーガーとフライドポテトを乗せた盆を抱え直し、階段上へ向かった。

 


 お嬢様の部屋がある二階の廊下に差し掛かると、メイド長が黙ってお嬢様の部屋のドアを見つめていた。

「メイド長」

「イーディス。それは?」

「お嬢様がお召し上がりになる料理です」


メイド長はそれを聞いて深々と息を吐いた。

「よかった。今日も何もお召し上がりにならないのではないかと」


 メイド長はメイド長なりに、お嬢様のことを心配していたようだ。それもそのはず。彼女はお嬢様が幼い頃からここに勤めていて、お嬢様の今までのことを全て知っているのだから。


「やつれておいでのようだったから……でも、私の顔など、見たくないでしょうね……」


 あのメイド長でも流石に今朝のことを気にしているようだ。

……だからイーディスは、こう言った。


「メイド長。これを持っていただけませんか」

「お盆を?」

「ええ。……メイド長の手で、お渡ししてください」

「で、でも……」



 続いて手ぶらのイーディスは3回ノックをする。

「お嬢様。ご希望のお料理をお届けに参りました。温かいうちにお召し上がりいただきたいので、ドアを開けてもよろしいですか」

「いいわ。許します」

「失礼いたします」


 イーディスがドアを開けると、すぐ前に令嬢が立っていた。グレイスフィールは、イーディスの後ろにメイド長の姿を見つけて目を丸くした。

「キリエ……」

 イーディスは続けた。

「お嬢様、こちらがハンバーガーとフライドポテトになります」


 メイド長はうやうやしく盆の覆いを取って、ドアの隙間から彼女にそれを差し出した。

 料理長とデアンが作り、イーディスが味を確かめ……そしてメイド長が持ってきた、お嬢様のためだけの料理。

 グレイスフィールはしずかに微笑んだ。


「ありがとう。イーディス。わたくしのわがままを聞いてくれて」

「いいえ。お嬢様のお役に立つのが、わたくしの務めですので」


 それからグレイスフィールは、青い瞳をついとメイド長に向けた。

「……あのね。キリエ。聞いてくれる?」

「はい、なんなりと」

 メイド長が頭を垂れる。グレイスフィールはいちど部屋の奥へ戻り、盆をどこかへ置いたあと、またドアの隙間から顔を覗かせた。


「わたくし、勝手に部屋に入られるのが嫌になってしまったの。……本当に、嫌なの。ですから、今度用があるときは、イーディスのようにいちどノックをして、わたくしに聞いて欲しいの。入っても良いかと。良い時は良いと言うし、ダメな時は入らないでと言うから」

「……承知いたしました。メイド達にも、そのように伝えます」

「それから、……今朝はあんなことをしてごめんなさい。何度言っても言いたいことが伝わらなくって……カッとなってしまったの。怪我はなかった?」

「お嬢様……」

 グレイスフィールは、メイド長の顔を覗き込んだ。

「許してくれる?キリエ……」


 イーディスはただ、二人を見守っていた。

 しばらくして、頭を垂れたままのメイド長が、がっくりと泣き崩れた。


「お嬢様! 許しを請いたいのはわたくしです!お嬢様に悪魔が憑いているだなんて、一瞬でも信じてしまったわたくしをお許しください!お嬢様は以前のまま、お優しいお嬢様です!私が、私が間違っておりました……!」


……メイド長。イーディスは小さく丸まった彼女の背中を見下ろした。しかし、グレイスフィールは──。

「──いいのよ、キリエ。悪魔が憑いたのは本当なのだから」


イーディスははっとグレイスフィールを見た。


「もうどうしようもないの」

 お嬢様の顔は暗く陰っていた。

──どうして。どうしてそんなに、絶望しているの、グレイスフィール……。

──あなたは、「私」と同じなんじゃないの……?


「2人とも、下がってよろしい。お食事はゆっくりいただくわ。お皿は廊下に出しておくから、見つけ次第下げて頂戴な」

「かしこまりました、お嬢様」

「イーディス。また明日来てね。お話ししましょう」

 グレイスフィールは、ドアを閉める間際にそう微笑んだ。イーディスも、笑って礼をした。

「はい」

 





 メイド長はまだ涙を拭っている。イーディスはハンカチの持ち合わせがないことに気づいて、ポケットに手を突っ込んだ。ポケットの中には、お嬢様のペンと、絵皿のかけらしか入っていない。


 イーディスの中に、大きな達成感と──新たな疑問がある。


 グレイスフィールお嬢様は、自分の中に悪魔がいると言う。

 悪魔が、仮にイーディスが想像している「もの」であるなら、なぜあんな暗い顔をなさるのか。


 あんな絶望の表情をなさるのは、何故なのか。



「……メイド長。宜しければ手をお貸しします」

「立てるわよ。バカにしないで頂戴」


 メイド長が立ち上がる横で、イーディスは破れた窓ガラスの向こうを見た。夕日が指し込んでくる。そろそろ屋敷にランプの灯りがともり、会社からお戻りになる旦那様を迎えるため、メイドやボーイが動き始めるはずだ。


 あと2日。イーディスは残された時間を数える。

 考えなければならないことも、やるべきことも、山ほどあった。








 ──これはまったく余談だが、厨房発「ハンバーバー」なる料理がしばらくオルタンツィア家の使用人の間で大流行することになる。













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