Fragile Snow Days

しんば りょう

Obedient Dog Ⅰ


 12日午前、ラベンダーの街『レイデンレーヴ』で起きたスペンサー家令嬢の誘拐事件は、今なお解決していません。警察はさらに捜索の範囲を拡大し、誘拐された少女『シャーロット』の救出と誘拐犯の確保を目指す方針です。


 事件当時、レイデンレーヴのメインストリート『ラベンダー通り』は冬支度に臨む人々で非常に混雑していました。誘拐犯はこの混雑を利用し、犯行に及んだと考えられます。同日の正午ごろには、街の入り口付近でシャーロットを連れて歩く人影が目撃されています。


 

 目撃者による誘拐犯の特徴は以下の通りです。


 ・身長は160cmから165cm

 ・女性である可能性が高い

 ・事件当時、裾の長いローブを着ていた

 ・年齢は30代前半


 不審な女性を発見した人は、速やかにお近くの警察までご連絡をお願いします。 ――続きまして、来週1週間の天気よ……



 プツン


 

 電源ボタンを押下おうかすると白色の光が横に走り、テレビが消えた。真っ黒の画面に自分の顔が映る。私はため息をついた。


 枝毛が伸び放題の髪をかきつつ、テーブルの上に広げたビスケットを口に放り込む。安価で、短時間に、手を汚すことなく食べられる。何よりカロリーが高い。雪国を旅するには優秀な食料だ。


「もう、飽きてしまったけれど」


 不満気味に独りごちった私は、すっかりと中の綿がはみ出ているソファにもたれかかった。目蓋が差し掛かった目でボーッと部屋を見る。


 驚くほど静かな空間だ。換気したにもかかわらず、今だカビとホコリの臭いが鼻をつく。居心地は良くない。だが肉体と精神を休めるには十分だった。この小屋にたどり着いた二日前、私は泥のように半日間を眠った。


 …………

 …………。


 5分ほど目を閉じた私は、大きく伸びしつつ立ち上がった。水が出ない洗面所で雪解け水のたらいをすくうと、自らの髪に手櫛てぐしを通した。鏡にはテレビの反射よりもハッキリした自身の顔が映る。 ……ひどいクマだ。


「さて」


 発生練習も兼ね声を出した私は、小屋の奥にある扉の前へと向かう。開閉をするたびにギギと音を立てるソレの前で長めの深呼吸する。そして心の整理を。


 自分へ問いかける。


 私は平常でいられるか?

 余計な言葉を話そうとはしないか?

 その言葉と行動を、途中で止められるか?


 一つ頷いた後に私はその扉をノックした。


「ノエル、ノエル。いい? 部屋に入るから」


 返事の返ってこない扉のドアノブを握った。



 ギギギ……



 月明かりの差しこむ薄暗い部屋は、私がテレビを観ていたリビングルームと変わらず、酷く殺風景だ。部屋の右奥に設置されたシーツのないベッドが唯一の家具であった。



 ――そこに腰をかける、長い黒髪の少女が一人。何をするでもなく、ただ自身の足元を見つめていた。


 

「ノエル」


 抑揚の少ない声で呼びかける。『ノエル』と呼ばれた少女はこちらへゆっくりと振り向いた。クレヨンで塗りつぶしたような真っ黒の目……見ていると、思わず取り込まれそうになってしまう。


 …………。


 私は咳払いをした後に少女へ言った。


「今から3時間後に北上をする寝台列車が動き出す。私と君はそれに乗るんだ。食事を摂って……あとは自分の荷物をまとめなさい」


 少女は何も言うでもなくただ頷いた。それを確認した私は「荷物をまとめたらテレビの部屋に来なさい」と言い残し、寝室を後にする。




 ※※※※※




 狩人の滞在小屋として使われるソレを後にした私は、少女の手を引きつつ鬱蒼うっそうとした林道を歩いた。幸いにも小屋が道路に面していたおかげで、方向感覚は狂わずに済む。


 1時間程度歩くと、すっかり林道を抜けた。傾斜の少ない丘のふもとには中規模くらいの大きさの街が広がっており、一部分にはだいだいの光が灯っていた。駅だ。


 街の中へ入る。朝4時前という時間帯にも関わらず、駅には多くの人が集まっており、券売場には十数人程度の列が出来ていた。私は近くの手頃な壁に身を預けると、ランタンのつまみをひねり、ボストンバッグの中にしまい込んだ。


 肺いっぱいに炭混じりの冷えきった空気を吸い込む。この空気は嫌いではない。


「ケホッ、ケホッ」


 しかし、すぐ隣から小さな咳が聞こえてきた。風邪の時にする咳ではない。むせた咳である。


 私は軽く深呼吸をした後に、少女の側にしゃがみ込んだ。


「慣れないうちはあまり空気を吸い込まないほうがいい。タオルを口元に当てがうとか……タオルはかばんの中に……あぁ私が探さないと……」

「お子さんには辛いでしょう?」


 突然に呼びかけられた声に私の体はビクンと跳ねた。気温は氷点下を下回っているはずなのに、じわじわと体が熱くなる。


 恐る恐るその顔を上げた。目の前に立っていたのは、黒のツバ付き帽子を被った若い駅員の男である。


 男は柔和な笑みを浮かべつつ言った。


「風下では炭のちりが混ざった空気を吸ってしまいますから。あちらへと移動したほうがよろしいですよ」


 男が指を差した方向は、ベンチやテーブルが設置されているちょっとした広場だ。コーヒーやスープ類を販売する簡易的な店構えもあり、繁盛している。


 私は心の動揺が見透かされないよう、平常を意識しつつ返事をした。


「……随分と人が多いですね。私たちが行くとご迷惑になるでしょう」

「とんでもない! ベンチを陣取っているおじさんであれば、僕がどかしてしまいますよ」

「お気遣いありがとうございます。しかし――」


「ケホッ、ケホッ、ケホッ、ケホッ」

 

 …………。

 

「娘さんのことを第一に考えてあげてください」

「……はい」

「荷物をお持ちしますよ」


 少女の手を軽く引き、私は広場へ向かう。その隣を駅員の男が小さな歩幅で付いてきた。


「寝台列車に乗ってどちらまで?」

「『オルコウホ』までです」

「あぁ! 極北の地域では最も栄えていますからね。醸造酒を求めて来る人は多いですよ」

「主人がその関係で働いています。会うのは3年振りでして」

「それは楽しみですね。 ……良かったね、お嬢ちゃん」


 その腰を屈めて少女へと話しかける男。しかし少女は何も返事をしない。男の方向へ少しだけ目を寄越し、すぐに視線を戻してしまった。


「許してください。娘は内気な性格で」

「いえ、いいのですよ。 ……ほら、この飴をあげよう。列車の中で食べるといい」


 せめてもの、ということだろう。駅員は胸元のポケットから取り出した飴玉の包みを少女の華奢な手に握らせる。少女がソレを落とさず握り込んだことに私は胸を撫で下ろした。


「ではよい旅を。あなたたち親子にまた出会えることを願っています」


 私と少女が広場の一角にあるベンチに腰をかけたところで、駅員の男はツバ付き帽子をくいと浮かせ、柔和に微笑んだ。それに対し私は小さく会釈だけをした。駅員の男が去ってゆく。


 そうして男の背中が見えなくなったところで、私は再び胸を撫で下ろした。願わくば二度と会いたくないものだ。




 ※※※※※




 乗客300人を乗せた寝台列車は極北へ向けて走り続ける。私は何を言うでもなく、窓隅まどすみへ吸い込まれてゆく弾丸の雪を眺めていた。


 その隣には少女が居た。先刻に手渡された飴玉の包みを取り出し、しかし開けようともせずに、ただボーッと眺めている。


「食べたいなら、食べればいい。せっかく貰ったのだから」


 私がそのように言うと、少女はゆっくりその包紙を剥がしだした。中から出てきたのは淡い赤色の飴玉だ。


 てっきり私は、少女とは勝手に飴玉を食べることを遠慮しているのだと思っていた。だから少女は飴玉を口の中に放り込むものだと。 ……しかしそのようにしなかった。

 

 飴玉の中央付近にその爪を突き立てる。なんとカリカリと飴玉をき始めたのだ。全緘黙ぜんかんもくの、酷く大人しい少女なのだから、そのような奇異な行動は予想外であった。

 

 私は少女の掌に痩せた手を添える。


「やめなさい。口の中に入れるものだから、執拗しつように触るのはした方がいい」


 私がそのように声をかけると少女はこちらを向いた。クレヨンで塗りつぶしたような真っ黒の目だ。


 …………。


「ほら、お食べ」

 

 少女の手から飴玉を拾い上げ、口元に運んだ私は再び弾丸の雪を眺める。少女はダメだ。少女のことを見ていると、を考えてしまう。今はもっと直近のことに思考を巡らせないとならないのに。


 食糧の問題、水も足りていない。路銀だって心細い。どこかで調達をする必要がある。見なりは問題ないか? ……いいや、大きな懸念事項だ。大々的にニュースで映し出された似顔絵とは、そこそこに特徴を捉えていた。


 私はため息をつき目を閉じた。考えることは山ほどある。その一つ一つに答えを出す必要があった。なんて億劫おっくうな作業なのだろうか?


「でも……そうしなければならない」


 そうしなければ終わってしまう。ただでさえ壊れかけのこの雪の日は、簡単に壊れてしまうのだ。それもそうだろう。私はただこの愛おしい日々を胸に抱いていたい。その思い一つで、少女を連れてきてしまったのだから。


 …………。

 

 逃避行はまだ始まったばかりだ。

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