マーガレットの咲かない日曜日
山南こはる
プロローグ
(1/1)
二〇二一年十二月二十六日 日曜日。
あの旅が不条理な終わり方をした後、今日という日が来なければいいのにと、何回も願った。でもわたしは神さまじゃないし、いくらお祈りしたところで、神さまはわたしの願いを聞き入れてはくれなかった。
だから今日という日が来てしまった。
オリガの十六歳の誕生日。
永遠に来なければいいと思っていた、わたしたちの『別れ』の日。
※
冬の午後、窓からこぼれてくる柔らかい日差しが床板に陽だまりを作っている。陽だまりは冬なのに暖かくて、使い込まれた木の階段や手すりに、琥珀色の影を落としていた。
昨日まで飾られていたクリスマスツリーは撤去されていて、床に静電気で張り付いた銀色の紙吹雪が、まるで本物の雪みたいにオリガの足元で輝いている。
床から足へ、足から体へ。視線を這い登らせても、その先のオリガの顔を、フローラは直視できなかった。オリガがどんな顔をしているのか分からない。泣いているかもしれないし、笑っているのかもしれない。あるいは、いつのもオリガらしい無表情か。
「さあ、フローラ」
イライザ先生の声に促され、フローラは一歩前に出た。手にした花束は鉛みたいに重くて、甘い香りが場違いに空気を漂っている。
足が銀色の紙吹雪を踏んだ。
爪先の先端が、陽だまりに触れる。
二十四人の『妹』たちと、三人の『先生』たち。暖かな琥珀色の陽だまりの中で、今日、十二月二十六日の日曜日、オリガの『卒業式』は行われた。
「……オリガ」
何千回、何万回と呼んだその名前を、フローラは絞り出すようにして呟いた。白や黄色やピンクの花束。花越しにオリガを見つめると、案の定、オリガは無表情だった。
「オリガ、元気でね」
元気な未来。明るい未来。そんな希望を、自分たちは与えられていない。でもそれを知っているのは、自分たちだけ。
まやかしの言葉を聞くと、ようやくオリガの表情が動いた。悲しそうな、微笑みだった。
花束が手渡される。白、黄色、それからピンク。色とりどりのマーガレットの花に埋もれたオリガは、いよいよ悲しそうな目をしてフローラを見つめる。フローラはそれを見ていられなかった。
だから、彼女を抱きしめた。花びらが数枚、琥珀色の陽だまりに散った。
「ねえ、オリガ」
「……」
オリガの口は動く気配がない。彼女の体に胸を埋めると、温かい生き物の鼓動が聞こえた。
「……マーガレットの花言葉、知ってる?」
マーガレット。この花以上に、自分たちの心に影を落とした花は見つからない。
「……知らない」
「『わたしを忘れないで』だよ」
マーガレットの花言葉はいろいろあるけれど、自分たちによりふさわしい言葉はきっと、それのはずだ。
あの手入れされた小さな庭園にマーガレットは咲かず、そしてあの日はたぶん日曜日だったはずで、もちろん今日も日曜日だ。クリスマスの後の日曜日は暖かくて優しくて平和で、それでいて残酷だった。
「オリガ」
抱きしめたオリガの体から、ふんわりとレモンの香りがした。レモンの石けんの香り。レモンの石けんは好きじゃないけれど、この香りのする彼女のことは、大好きだった。誰よりも誰よりも、大好きだった。
「オリガ、今度はわたしが――」
この匂いを忘れてはなるか、と思う。
この今の気持ちを、誰にも奪われてなるものか、と思う。
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