第35話:手作り弁当


 またも月曜日がやってきた。ここ最近、週末が異様に短い気がする。


 昨日はのんびりと過ごせたのだけど、それは体だけだ。心は休息など出来なかった。うちに瑠奈がいたんだということを思い返しては悶えてしまって忙しかった。

 瑠奈が着ていたスウェットを洗う際も、あぁこれでかかったよなぁなんて思っては洗濯機に突っ込むのを躊躇った。あ、言っておく、匂いとかは嗅いでいないぞ、それはさすがにしていない。

 ちょっとしんみりしただけだ。


 それより何よりアイツがあの日、帰る間際に残した言葉が頭から離れなかった。

 私服に着替え玄関に立った瑠奈がふいに切り出してきたんだ。「千早くん、一ついいかなぁ」と。


「今朝さぁ、変なことって言ってたけどさぁ、私はそんなこと思ってないから」


 そう言われて俺は多分赤面したと思う。

 麗華が現れたから随分前の出来事に思えるがそんなことはないのだ、ついさっきの出来事なのだ。なので簡単且つ鮮明に思い出せてカァァと体温が上昇していった。

 だけど次の言葉はそんな全てをぶっ飛ばす。


「私は千早くんとキスしたかったよ」


 え、と言葉を失う俺を玄関に置き去りにして瑠奈は帰ってしまった。

 数秒してドアを開けたけどもういなかった。


 この言葉はずっと頭を占拠した。おかげで昨夜は眠れなかった。学校で会ったらどんな顔をすればいいんだと悶々としていたから。

 ついでに言えば土曜の夜だって眠れなかった。だってアイツと一緒に寝ていた布団なんだぞ。眠れるわけがなかった。


 なので休息は不十分である。眠い。

 なのにちゃんと学校に来ている自分を褒めてやりたい。


「麗華」

「おはよう」


 教室に入り既に来ていた麗華に声をかけると「土曜のことなんだけど」と切り出した。


「何、挨拶もしないで」

「お前、瑠奈と何話したの」

「聞いてないの?」


 俺の態度に怪訝な顔をしてみせたけど、聞いてないと答えると麗華は顎に拳を添えて、そう。と呟いた。

 そして表情をいつものものに戻す。


「言わないわ」

「あー、ですよねー」

「分かってるならどうして聞くの」

「瑠奈に男子禁制って言われたんだけどさー、相手お前じゃん? そんな話するかねぇと思って。一応聞いてみた」

「……そうね、確かに男子には聞かれたくないわ」

「へぇ?」

「特にアンタは駄目よ」

「俺が男の中の男だから?」

「頭、大丈夫?」

「ひどい」


 俺が席に着くと麗華は前へ向き直す。その横顔はいつもよりキリッとしているように見えた。



 ♢♢



「千早、今日もパン?」


 昼休み、田川が前の席に座り俺の机に弁当を置いた時だった。鞄からパンの入ったビニール袋を出す俺に麗華が声をかけてきた。


「ん、おー」

「それ、ちょうだい」

「へ。あ、お前昼ないの?」

「違うわよ」


 そう言うと麗華は俺の手からそれを奪い取り、青地に花の刺繍がされた巾着袋を机に置く。


「交換よ」

「え、何で。これ弁当?」

「もしかして竹下さんが作ったとか?」

「えっ、まじで」


 田川の言葉に思わず麗華を見れば、思いっきり顔を逸らされた。


「……早く開けなさいよ、時間なくなるわよ」


 そんな。まだ昼休み開始したばっかだぞ。


「おぉ……。麗華、料理出来るようになったんか」


 袋から取り出す長方形の箱。女子にしてはでかいサイズの黒い弁当箱は麗華の親父さんを思い出させた。余談だが麗華は父親似だと思う。優しい人だが真面目で厳しい人で、小さい頃俺と千鳥はよく𠮟られたものである。

 それはさておき、パカと開ければ左側に白米、右側にからあげとミニトマト、ハンバーグと詰め込まれていた。……そしてこれは多分卵焼きだな、ちょっと茶色が強いけど。


「冷食使ってるわよ、悪い?」

「いやいや」


 ということはこの卵焼きだけが手作りということだろうか。いやぁ、あの麗華が。米を炊くのも一苦労だった麗華が。包丁を握っては千鳥を泣かせていた麗華が。

 感慨深いものがあるな。


「どう、小柴。おいしい?」


 いただきますと手を合わせて卵焼きに箸を伸ばした。掴むとハラリハラリと黄色(正確には茶色)のドレスが垂れ下がるから慌てて口に含んだ。


「うん……、苦い」

「えっ」


 ごくんと飲み込んで素直に答えれば田川が声をあげる。「ちょっと小柴……」と苦笑いを浮かべる様は慌てているようだ。

 だが麗華は俺の答えに表情を変えることはなかった。じっと箸を進める俺の手元を見ている。

 よくあるだろ、普段料理しない女子が作った飯が超絶甘いとか辛いとか。調味料間違えちゃったパターン。それではない、ただ焦げが強いだけだ。食える食える。苦いけど。


「ありがとな、麗華」


 気になってるのは卵焼きだろう、とまずそれを全て平らげてから言えば、麗華は僅かに前のめりになっていた体を正した。


「でも何でまた弁当を?」

「……べ、別に」

「あれか、日頃お世話になってますーってお礼か」

「お礼をするほど世話をされた記憶がないわね」


 言ってくれるね。

 だがその言葉には同意する。世話などしていないからな。

 にしても……。俺は麗華から弁当へ視線を落とし改めてそれをじっと見た。


「どうしたの? 小柴」

「いやぁコイツこう見えて料理とか裁縫とか、てんで駄目なんだけど」

「そんな情報、田川くんに流さないでくれる?」

「なのにこんなもん用意してくれるとかさぁ」

「嬉しい?」

「んー、なんかこう、グッ! ときたわ」

「あははっ。めちゃくちゃ力込めたね」


 いや、まじで。感慨深いだけでなく不覚にもしまったよ。ギャップだな。そしてこのギャップはきっと俺にしか発揮されないであろう。

 声をあげて笑う田川の隣で麗華の笑顔が見えた。

 普段目にするものではなく、ここ最近は滅多に見ることのなくなっていた満面の笑み。くしゃっと顔を崩して目を細く細くして。

 思わず目を見開いてしまったが、そういえば小さい頃はこういう顔で笑う奴だった。


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