第28話:知らない話


「ねぇ千早くん」


 見てられんと俺は風呂に逃げたのだが失敗だった。ついさっきまで瑠奈が入っていた形跡が残りまくっていて、そこで四度目だ。冷静になれと思えば思う程、見たこともない裸の瑠奈を想像してしまって、何度も頭の中で瑠奈のお母さんに詫びた。「すいませんすいません」ともしかしたら声に出ていたかもしれん。


 そんなこんなで今距離があるのは、偏に俺が意識しているせいだ。瑠奈は俺の主観ではあるが、リラックスしているように思う。ちょこんとソファに座りテレビを見る目は集中しているようだった。


「千早くんのお父さんってどんな人ー?」


 会話は殆どなく俺だけが可笑しくなっている状況にも変化が訪れる。俺は何杯目か分からないお茶を飲んでいて、画面にはエンドロールが流れていた。呼ばれた声に無駄に体が反応したが、お父さんというワードにお茶を置いてそちらに体を向ける。


「……んー、のんびりした人、かな」

「じゃあ千早くんはお父さん似?」

「そーかもなー、母さんが親父の分も賑やかな感じ。千鳥は母さん似だと思う」

「ふふ、面白い」


 瑠奈は小さく笑う。けれど目はテレビに向いたままだった。さっきまであんなにうるさかった心臓の音が不思議と気にならない、それよりも瑠奈の様子に意識が持っていかれる。


「千早くんには言ってなかったんだけどさ、うちお父さん死んじゃってるんだー」

「……、そうか」

「私が六つの時だったかなー」


 ソファを背もたれにして瑠奈の足元に腰を下ろした。この前と同じ位置だ。リモコンに手を伸ばしてテレビの音量を小さくする。


「お父さんねぇ優しかったんだー。いっつも頭撫でてくれて、ぎゅうってしてくれて。……昔よく一緒にこれ見てて、だからこれ見ると無性に会いたくなるんだよね」


 瑠奈の声に何ら変化は感じなかった。いつもの調子で喋っていた。だけどもちらりと顔を窺ってしまう。すると瑠奈の目はテレビではなく俺に向けられていて、へへっと笑うと人差し指を自分の唇に当てた。


「今の内緒ね? 二人だけの秘密ね」

「……おう」


 いちいち可愛いよ、コイツは。その表情にドキリとする反面、少し瑠奈が大人っぽく見えた。表情も声のトーンも仕草だって変わらないのに。


「実はね私が千早くんに声かけたのって、お父さんに似てるなぁって思ったからなんだよね」

「え、顔?」

「んー、顔は違う。千早くんって爽やかじゃん? でもお父さんは割とねっとりしてるっていうか」

「ねっとり」


 誰かの顔を表現する際に出てくるものではない気がするが、俺のことをサラッと爽やかじゃんと言ってきたのには照れてしまった。ふーん、爽やかですかソウデスカ。


「私ね目がお父さん似なの!」

「じゃあお父さんはくりんくりんしてたんだな」

「あははっ、くりんくりん? 自分の親に言うのもアレだけどイケメンだよ。うーんとね、目鼻立ちはズバッとしてるの」

「え、ズバッ?」


 瑠奈が父親の話をしてくれている、楽しそうに父親のことを喋っている、それがとても嬉しかった。ちょいちょい不思議な擬音も瑠奈らしい。


「一年の時かなぁ、千早くんとすれ違ったんだ。その時思わず振り返っちゃったの」


 意識し過ぎてまともに顔を見ていなかったけどこうして近くで向き合うといつもと違うことに気付く。あぁなるほど、スッピンなのか。

 今のコイツはいつもよりちょっとだけ眉が薄い。まつ毛は長いけど細い。少し違うだけで随分弱そうに見えるなと思った。


「ちょっとダルそうな歩き方とか、肩の落ち具合とか。なんかね、自分でも分かんないんだけど。お父さんが通ったのかと思ったの」


 瑠奈のお父さんがどんなものか知らないがあまり喜べるものではないな。だって俺高校生。しかも一年って今より若い。なのにお父さんって。


「それからもちょこちょこ見かけてたんだよー、いつ見てもぼけーっとしてた」

「うるさいよ」

「欠伸してたりー、友達と笑ってたりー。あっ、桜見てるのも見たことあるよ!」

「んだよ、お前俺のストーカーだったの?」

「違うよー、勝手に視界に現れるの。だから見ちゃうの仕方なくない?」


 な、んだそれは。俺の特技みたいなこと言うな。……いや、俺の場合は多分、勝手に現れるのではなく探しているのかもしれないんだけど。

 え、探してるのか? 何も用事ないのに?


「誰かがポイ捨てしたゴミをちゃんとゴミ箱に捨てたの見た時は、私めっちゃ感動したからね! 誰も見てないのにそんなことするとかさぁ、褒められたくてイイコトする人ではないんだなぁって」

「え、ちょ何そのエピソード……、いつよ。恥ずかしいわ」

「その時ばっかりは声かけようと思ったね! アナタは素晴らしいって言いに行こうかと思った。まー友達に邪魔されて言えなかったんだけど」


 良かったよ、声かけられなくて。

 そういう行為は意識せずにやっていると思うんだ、そこを褒められたりしたら意識してしまう。誰も見ていないのにかっこつけて振り返ったりしちゃうかもしれない。想像したらなんと痛い姿だ。


「国語のおじいちゃん先生のお手伝いしてるのも見たことあるよ」

「も、もうほんといいです、それくらいで勘弁して」


 俺は額を右手で覆うと左の手の平を瑠奈に向けてストップのお願いをした。顔が熱い。

 人前でやってることだから誰かに見られているのはいいのだけど、それを改めて告げられるとひどくこっぱずかしい。


「計画を思いついた時ね、すぐ千早くんの顔が浮かんだの。へへ、迷惑な話だよねぇ」

「自覚あったんですね」

「私見る目あるね、やっぱり」


 うふふーと至極嬉しそうにはにかむから、俺まで口角があがってしまう。「そうかい」と言えば「うん」とまた更に笑った。



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