第9話:首謀者は蚊帳の外へ


「お母さん、私は自立する!」


 ガタン! と大きな音をたてて立ち上がった瑠奈を俺とお母さんは見上げる。

 とてつもなく嫌な予感がした。


「私は私の人生を歩みます」

「る、瑠奈……?」

「なので! お母さんも謳歌しなされ!」


 ねぇコイツさぁ、目的全面に出し過ぎじゃない……?

 こんな展開、おかしすぎない?

 そもそもがおかしいのは置いといてもさ、もっとやりようがあると思うんだよね。


 なんだ、その「決まったゼ!」みたいな顔。腹立つなー、決まってねーわ。

 今にもふふんと言い出しそうなそのくちばし叩いてやりたい。


「お母さんは今でも十分謳歌してるわ」

「私が千早くんと結婚してここ出たら、お母さん一人になっちゃうよ? どうするの?」

「何言ってるの。認めません」

「いいから、それ置いといて。一人になって婚活でもする? 無理だよ」


 瑠奈は揺らしていた人差し指をグッと拳にするとビシッと言い放った。


「タイミングが大事なんだから! 婚活は後回しにしちゃダメなの!」


 これが本当の『御挨拶』であったのならこんな話にはならない。

 そんな場面の経験がなくともここで繰り広げられる話はこれじゃないということだけは分かる。

 裏を知っている俺でもぽかんだもの。


 この空間でただ一人、この状況を想像出来得ないお母さんは何を思っているだろう。我が娘の彼氏紹介からどこまでもぶっ飛んでいく話に、果たしてついてこれているのだろうか。


 ちらり、瑠奈を見上げていた顔はそのままに目線だけを斜めに動かした。当然ながら娘の演説に感動している、なんて姿はなかった。

 はぁと息を吐いて二つの目頭をつまんでいる。やれやれといったところだろうか。お察しします。


「とにかく私は花嫁になりますので、お母さんも一緒に花嫁なろ!」


 瑠奈はそう言うと俺に視線を向けた。それは満足げに見えた。え、うまくいったね的なアイコンタクトされてる? まじで言ってんの。

 そうだね、と返すとお思いか。


「瑠奈、ちょっと黙っててくれる? お母さん、小柴くんと話がしたいわ」

「じゃ私ケーキ食べていい?」


 えっ、駄目でしょ。お前、無事完遂したみたいな雰囲気だけど何も成し遂げてないからね。何も完了してないからね。ひっちゃかめっちゃかにしただけだぞ。

 寧ろ今からが正念場だろうが。何、仕事上がりの一杯所望してんだ。


 お前が今すべきなのはキッチンに向かうことじゃない、俺のフォローにまわることだ! いやよ、行かないで!


「小柴くん、本気で瑠奈と結婚するつもりなの?」

「……え、えぇっと……」


 俺の願いは届くわけもなく冷蔵庫の開閉音がした。

 おぉーと声をあげている瑠奈はもう完全に成功したと思っている。ポジティブって怖いね。


 そして怖いのはこちらにも。

 俺だけに視線を注ぐお母さんの目が、全く笑っていないのだ。

 かろうじて口角をあげてくれているが、目が。

 目が、マジである。


「どうして?」


 嘘だろ、さっきまで朗らかに笑う女性だったのに。色気がありながら無邪気さも兼ね備えているナァなんて、人様の母親に抱いてはいけない感想を持ったりもしていたのに。

 今は只々、コワイ。


「そりゃ好き同士だからだよー」

「瑠奈は黙ってなさい」


 助け舟を出してくれた瑠奈の言葉は一蹴される。

 当然だよな。母親からしたらニコニコ笑って聞けるわけがない。幼稚園児が「けっこんしよーね」とキャッキャしてるのとはわけが違う。

 彼氏がいるなんて話も突然のことだっただろうし、そいつと対峙して数分でこんな状況。面食らうどころではないだろうな。


 しんと静まるリビングに時計の針の音が響く。瑠奈がケーキを吟味している気配もない。

 おい、瑠奈よ。まさかこんな風になるとは思っていなかったとは言わせんぞ。こんなん頭働かせなくても容易に想像できる事態だ。

 しかし瑠奈は口を挟んでこない。何も考えがないのか。くそ、簡単に信じちゃ駄目だった。任せてねなんて言葉は金輪際信じないぞ。


「小柴くん?」


 じとりと背中に汗が滲む。視界が少し歪む。

 あぁ怖いねぇ! あの目だけで俺の呼吸止められる気がするわ。


 バックンバックンと大暴れする心臓の音は俺から冷静さを奪おうとしている。

 だけどそれは駄目だ。こういう時こそ冷静に。


 お母さんから視線を少し落としてテーブルの木目を見つめる。

 すぅ、はぁ。呼吸を深く頭に酸素を送った。

 普段ろくに使ってないんだ、貯蓄してるエネルギーを脳へ回せ。


 ――さぁ、考えろ。

 俺がするべき行動を。発するべき言葉を。


 彼氏と紹介され否定せず、挨拶云々の辺りで俺は既に嘘を吐いている。このまま突き進むか?


 いや、こんなに真っ直ぐ見てくるこの目に返せる言葉は、真実でないと無理だ。

 どんなに熱を込めたとて見透かされるかもしれない。

 うん、良くない想像しかできねーな。


 そもそも、適当に言葉を並べられる自信がない。

 ……そうだな。嘘は、やめよう。苦手だし。


 俺は何のためにここへ来た。

 どうしてこうなった。


 それを伝えるしか、あるまい。



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