第10話

 





「そこを、彼女に何とかして貰いたいのだよ」

「どういった事でしょうか?」


 さっきの表情が嘘のように柔和な笑顔に戻った執事さんが、確認の為に、という雰囲気で私に尋ねてくる。


 うん、まあ、主語無いもんね。

 指示は的確にしないと、何がどうなるか分からない。

 という訳で、なるべく分り易く、尚かつ簡単に説明する。


「一旦全て分解し、新たな衣装として造り直すのだよ。勿論、デザインを今風に変えてね」


 早い話、勿体無いからリメイクしてくれって話だ。

 いくら私だって、衣装一着幾らかなんて全く想像付かないけど、高いって事だけは分かる。

 金持ちの服は全部無駄に高くて良い物ばかり、っていうのはどの世界でも共通だろう。


 なら、古いからって新しいのばっかり買ったり、捨てたりするのは勿体無い。

 そういう事です。

 女優なのに庶民臭いのは、売れてなかったからに決まってんでしょ。

 庶民ナメんな。


「まあ! なんて革新的なんでしょう! 懐かしさと、今の流行りを同居させるんですね!?」


 なんか良く分からないけど勝手に盛り上がる彼女を、とりあえず放置する事にした。

 面倒くさいからそういう事にしとこう。


「まあ、そういう事だ。アルフレード」

「は、畏まりました。後はわたくしにお任せを」

「うむ。頼んだよ」


 結果、やっぱり丸投げしました。

 仕方ないよね。


 そして、執事さんに連れられて、針子さんはこの部屋から出て行った。


 二人を見送り、無駄に大きなベッドの縁に腰掛ける。



 …………さて、これでようやく後は寝るだけ、という状況となった訳だ。


 一瞬、また書類をやろうかなとか考えたけど、いい加減後回しにして来た諸々を少しでも消化しておきたい。

 色々後回しにし過ぎて大量にある気がするけど、それも自分でやった事なので後悔は無い。

 とにかく、ひとつでも多く消化しようと思う。


 例えば、今のオーギュストさんは何が出来るのか。


 本に有った通り、知識量とか色々増えてるんだろうとは思うんだけど、私は結局オーギュストさんじゃない訳で、元がどのくらいだったかとか、全く分からない。


 なら、少しでも把握しておかないと、どうしたって戸惑うと思うのだ。


 体力とか魔力とかそういうのは今が夜だから明日に回そうと思う。

 なので、今はその他だ。


 無駄に広いベッドに転がりながら、頭の中、記憶を探ってみる。


 ふと、私の脳裏を、とても綺麗な人の姿が過ぎった。


 サラサラのストレートな長い金の髪、薄緑色の瞳、大きくて垂れ目がちな目を嬉しそうに細める、少女。

 薄い水色のドレスが良く似合う、とても綺麗な人。


 そして、その彼女の声も、記憶の中に有ったらしい。


『あのね、ヴェルシュタインさま、ワタクシ、赤い色が好きですの。でも、何故か似合わないのよ。いつも薄桃とか、薄青ばかり。もう飽き飽きだわ』


 鈴を転がすような、なんて表現がピッタリな、綺麗な、可愛らしい声だった。


『それなら、君には赤い花を贈ろう』

『本当!? でも、ワタクシに似合うかしら』

『大丈夫、君は美しいから、どんな花でも似合う』


 彼女の仕草、瞬きの回数、言葉の一言一句まで、オーギュストさんは記憶していた。

 まるで、録画した映像のような鮮やかさで。


 そして、その時のオーギュストさんの気持ちも。


 ​───……なんて、可愛らしい人だろう。


 そんな、ホワッとした、優しい感情。


 この記憶は、二人の出会い。

 親の友人の娘というので顔を合わせただけだったけど、お互い一目惚れだった。


 思わず、歯を噛み締めてしまった。


 「………………」


 なるほど、それでこの屋敷には赤い色が多いのか。

 ドギツくたって、赤ならなんでも良かったんだろう。


 ジュリアさんの好きな色だから。



 ふと、パタパタという、何かがシーツに落ちたような音がした。


 一瞬、なんだろう、と考えたけど、それはすぐに分かった。


 私は、泣いていたのだ。


 止めどなく溢れる涙に、ぼんやりと、オーギュストさんは本当にジュリアさんが好きだったんだな、と思う。


 頭の中に再生されていく記憶は、とても幸せで、そして、同時にとても残酷だ。


 出会って、好きになって、結婚して、子供が産まれて、その子供が段々大きくなって、そして。


『何故! 何故だ! 何故ジュリアが!』

『オーギュストさま、なかないで、わたくし、とてもしあわせでしたのよ』

『いやだ、ジュリア、逝かないでくれ、お願いだ、神様、誰でも良い、ジュリアを助けてくれ、いやだ、ジュリア!』


 オーギュストさんの悲痛な声と、痩せ細り、まるで老婆のようになってしまったにも関らず、幸せそうに笑うジュリアさんの姿。


『ほんとうに、あなたにであえて、よかったわ』

『いやだ、私を独りにしないでくれ、置いて逝かないでくれ、ジュリア、ジュリア? っ...ジュリア!!』


 そのすぐ後に反響したのは、獣みたいな悲しい慟哭。


 それから後の記憶は本当に曖昧で、訳の分からないボヤけた思考だけしか認識出来なかった。


 所々ある記憶は、ただ喚き散らしていたり、訳の分からない思考で誰かを殴ったり、

 国にとって都合が悪くなるような事を考えて、実行しようとして、失敗したり。


 失敗するのは、オーギュストさんのツメが甘いっていう訳じゃなくて、ジュリアさんを思い出して記憶がボヤけるから、っていうのが理由のようだ。


 オーギュストさんは、そんなにたくさんの悪い事が出来ていた訳じゃないらしい。

 国からの印象はきっと、取るに足らない小悪党、大体そのくらいだったかもしれない。

 血筋的にも取り潰すような事が出来なくて、どうせ小物だからとそのまま放置されていたんじゃないだろうか。


 だけど、噂に尾ヒレや背ビレが付いて、領民からは最低の領主だと恨まれているらしい、というのが微妙に記憶にある。

 それを聞いたオーギュストさんは、それを歓迎している様子だった。


 ……本当に悲しい人だと思う。


 ……しかしなるほど、それであの計算出来ていない中途半端な書類になる訳か。


 頭の中を探れば、治めていた領地の風土や人々がどんな生活をしているのかという記憶もあった。

 今後は執務する時にお世話になりそうな記憶だ。

 12年前のだから今はあんまり役に立たないかもしれないけど、無いよりはマシな筈。


 魂は私だけど、でも、体はオーギュストさんの物だから、頭の中には記憶がちゃんと残っていたらしい。

 めっちゃありがたいけど、なんだかオーギュストさんの心を覗き見してるみたいで申し訳なくなってくる。

 ……プライベートはあんまり検索しない方が私の心の平穏の為かな。


 あ、でも、貴族の一般常識とかは調べさせて貰おう。

 これから生きるのにどうしても必要だし。


 執事さんとか息子さんの部分の記憶はどうしようかな。

 ……一応プライベートだし、その辺は置いとこう。


 涙は、まだ止まっていない。

 ポロポロと零れ落ちていく涙を頬の感触で感じながら、歯を噛み締めていた口を無理矢理開けて、ふう、とひとつ息を吐いた。


 泣くというのは、ストレスを発散させる行為だ、というのをどこかで聞いた気がするけど、女優としてはこれも全て演技の糧。

 悲しい、苦しい、悔しい、楽しい、嬉しい、とにかく全部、何も考えず引き出す事が出来るのが俳優というものだと思っている。


 だけど、人としても、一人の女としても、どうしてオーギュストさんばかりこんな目に遭っているんだ、と憤ってしまう。


 だって、可哀想過ぎるじゃない。


 記憶を手繰れば手繰る程、幸せだった頃の記憶でさえ悲しくなって来る。


 頭の中に反響するのは、様々な声だった。


『とうさま! どうして!? ねぇ! ぼくはもう、いらない子なの!?』


『オーギュスト様! 見て、今ミカエリスが笑ったわ、なんて可愛らしいんでしょう、まるで天使ね』


『貴方はもう、私の父などでは無い』


『あいしているわ、オーギュストさま』



 ……彼は何も悪くない。


 何もかも全部、戦争が悪いのだ。


 苛立ちと歯痒さに、また歯を噛み締めそうになった所で、ふと気付く。


 あれ、でも、なんで?

 例え戦争であっても他国の薬くらい、貴族なら手に入れられるんじゃないの?


 偉い人がそんな事も出来ない状況って、なんだ?


 それを考えた時にふと、頭の中で、か細い声が響いた。


『だめよ、オーギュストさま、わたくしいがいにも、くるしんでいるひとは、たくさんいるの』


 …………なるほど、あの当時、その病気が流行ってたのか。

 戦争中に、ただでさえ手に入りにくい薬を、貴族で、めっちゃ偉いからってだけで取り寄せたら、民衆から反発されるだけじゃなく、そこら中の人達から反感を買う恐れがあったんだ。


 だから、オーギュストさんは何も出来なかった。


『オーギュスト、すまない、今は、今だけは堪えてくれ……!』


 男の人のそんな声が記憶の中で反響した。


『分かっている、分かっているのだ、だが、このままではジュリアは……!』


 この声の主が誰だか、私は知るべきなんだろうか。

 でも、まあ、いいや。

 だって、これはオーギュストさんのプライベートだ。


 私は、見ちゃいけない。


 涙は、いつの間にか止まっていた。



 つーか、この世界の貴族の中で、この家ってどの辺の位置にいるんだ?


 とりあえず、その辺の記憶を漁ってみる事にする。



 ……うん?


 ………………えーと。



 大公

 公爵←イマココ!

 侯爵

 上級伯爵

 下級伯爵

 子爵

 男爵



 うん?



 えーと、大公は、国王に準ずるくらいめっちゃ偉い人で、前は居たけど、結構前の戦争で死んだから今は居ない。

 次に偉いのは公爵で、国王の一族に連なる者。

 その後に侯爵、上級伯爵、下級伯爵、子爵、男爵という順番で偉さの度合が低くなっていってる。



 うん、うん?


 あれ、私、めっちゃ偉い人?



 いやいやいやいや! やだよ! 面倒くさいよ! ただでさえ貴族ってだけで面倒くさいのに、その上、王様の次に偉いとかなんなの!?

 無理だよそんなん! どうしろってのさ!


 まあ良いや、とにかくオーギュストさんは、地位的にも血筋的にもめっちゃ偉い人という事は理解した。


 なら、色んな人にこの地位、狙われてたんじゃないか?

 ……誰かに陥れられた、とか、有り得なくも無い。


 華やかな芸能界でもあんだけドロドロしてたんだから、この世界の貴族がドロドロしててもおかしくないよね。


 もし、可能性としてだけど、全部、今までの何もかも、誰かに仕組まれた事だと考えたら、犯人は?


 また、頭の中で声が響いた。


『戦争なんて、この平和な国にそんなもの、必要ないだろう』

『そうは言いましてもヴェルシュタイン公爵、かの隣国は攻める用意を整えているんです』

『その情報は、一体何処からのものなんだね? 私の元にはそんな情報は一切来ていない。証拠を提示したまえ』

『証拠、ですか。民の声では証拠になりませんか』

『何を当たり前の事を、何者かに扇動されていないと言い切れるのかね、宰相閣下』

『いえ……』


 オーギュストさんの声と、さっき聞こえた声とは別の、宰相と呼ばれた男性の声。


 なんか、オーギュストさんの声が冷た過ぎるからか、一番の黒幕みたいな、そんな感じの悪役みたいに聞こえる。

 しかも、宰相さんが物凄く優しそうな声だから、国の為を思って立ち上がろうとしてる宰相さんを、証拠も無いからと突っぱねてる黒幕みたいにしか思えない。


 だけど、私には分かる。


 この声は、偽りだ。


 多分この宰相さん、滅茶苦茶腹黒い。


 記憶の中の宰相さんの姿は、初老の、優しそうなオジサン。

 今はきっと凄く優しそうなおじいちゃんになってるだろう。


 表情も、声も、雰囲気も、何もかも本当に優しそう。


 だけど、目が笑ってない。


 全く笑ってない。

 むしろその他が優しい分、恐怖さえ起きる。

 めっちゃ怖い。


 ラグズ・デュー・ラインバッハ侯爵。


 うん、黒幕、絶対この宰相だ。



 ………………いや、うん、でもなあ。

 間違ってたら困るよね。

 なんも関係無かったら意味ないもん。


 その時の記憶っていうのは、その時の印象で記憶される訳だから、オーギュストさんが宰相さんの事滅茶苦茶嫌いなだけ、という可能性もある。


 今、判断するのは早すぎかもしれない。

 とりあえず、もし調べられそうなら誰かに調べて貰えばいいか。


 ……さて、オーギュストさんの記憶から色々と必要な情報はゲット出来た。

 記憶力は確かに、物凄い事になっているらしい。


 人間は脳の80%使用してない、というのをどこかで聞いた。

 そして、記憶は引出しに全て入っていて、それが消える事は脳細胞が破壊されない限り有りえない。

 つまり、今までのオーギュストさんの人生は全て頭に入ってる事になる。

 人間じゃなくなったから、その全て自由自在に引き出せる、って感じなんだろう。


 ついでに、思考能力とかも本来の私なんぞとは比べ物にならないくらい、上がってる気がする。


 完璧超人って訳ですね!


 そんな事をのんきに考えたけど、私は、『私』の事を考える事は放置していた。


 いや、違う、放棄だ。


 『私』が死んだ後、家族はどうしたのか、あの後どうなったのか

 これからどうなるのか、このまま記憶に引き摺られてオーギュストさんになって、いつか『私』が消えてしまわないか、

 そういう諸々は、何もかもすべて、考える事すらせずに。



 ごろりと、ベッドの上で寝返りをうつ。


 なんか……頭、使い過ぎて疲れた。

 いい加減寝よう。


 そう考えた次の瞬間、私の意識は闇に沈んで行ったのだった。




 

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