第3話【執事視点】

 





 旦那様が、お目覚めになられた。



 その知らせは屋敷中を駆け巡り、旦那様付きの執事である、わたくしの元にも届いた。


 アルフレード・シュトローム、36歳の初夏の事だった。


 当主である旦那様、オーギュスト・ヴェルシュタイン公爵はある日を境に床に伏されていた。


 原因は不明。

 ......いや、不明とされているが、実際はそうでは無かった。


 暗殺者。


 それが当家に紛れ込んでいたのだ。


 だがひと月経った今、旦那様は目覚められた。

 喜んだのは、きっとわたくしと、昔から共に在った執事や私兵、メイドだけだろう。


 それ程迄に、旦那様は変わられてしまっていたのだから。


 全ては、奥様である、ジュリア様を病によって亡くされてから。


 国同士が啀み合い、戦争している間に、ジュリア様は亡くなられてしまった。

 よりによって、その病の特効薬が採れる隣国との戦争の最中であった。


 何故、彼女が犠牲にならねばならない、と旦那様は泣き崩れ、そして、そのお心は欠けてしまわれた。


 そして、国の為と尽力していた旦那様は、正反対の事をなされるようになった。

 国が疲弊するように、少しでも、死者を増やすようにと増税し、無駄な浪費を繰り返された。


 そして、ご自分さえも、早く死ねるようにと、暴飲暴食を繰り返し、お姿さえも変わられてしまった。


 わたくしは、旦那様を止める事は|疎(おろ)か、お諌めする事さえ、出来なかった。


 何故なら旦那様は、誰の話も、聞いてすらいなかったのだから。


 実の息子であるミカエリスぼっちゃまの言葉でさえも、耳に入ってはいなかった。


 それはまるで、生きながらにして、死んでいるかのようで。


 毎日毎日、呪詛のように繰り返される言葉は、こんな国など滅べば良い、というようなものばかり。

 意志もあり、会話は成り立つ。

 だが、しかし、口を開けば暴言、残酷な命令、そして、すぐに理不尽な暴力を振るおうとしてしまう。


 唯一それが無い時など、姪であるクリスティア様が当家に来られた時のみ。


 そんな旦那様は、とうとう、してはならない事をしてしまった。


 公金横領、人身売買、薬物販売など、多岐に渡って王国を困らせていた伯爵と和議を結び、支援を始めてしまったのだ。


 そんな事をしていれば、国から目を付けられるのも、他人から怨みを買うのも、必然。


 ゆえに旦那様は、毒を盛られ、床に伏せてしまわれたのだ。


 床に伏されている間、わたくしは旦那様のお世話をしていた。


 どれだけ苦しい思いをされているのか、床に伏されたひと月の間に、暴飲暴食で形成されていたお身体は以前のようにまで戻られたが、お心まで戻られている保証など無い。


 その事に、わたくしは陰鬱な気分になった。

 ヴェルシュタイン公爵家の執事として、これでは相応しくない、と思いながら。


 重い足で旦那様の寝室へ向かえば、そこでは不可解な事態が起きていた。


 先々月程前に入ったメイドが、旦那様の寝室に入り込み、あまつさえ、無作法にも旦那様に意見していたのだ。


 「何故でございますか!?この方は今まで旦那様を診て下さっていたお抱えの医師にございます!」


 廊下にまで響き渡る大声で、旦那様に向けて喚くメイド。

 こんなメイドが当家に居たなど、認めたくないくらいには、無様。

 だが、それよりも、わたくしはその後に聞こえた声に、心臓を掴まれたかのような錯覚を受けた。


 「......そんな稚拙な演技に騙されると、本気で思っているのか?」


 呆れ果てて物も言えない、とばかりに告げられる、冷徹な声。

 ここ12年で聞き慣れた、あの喚くような暴言でも、冷静さを欠いた言葉でもない。


 「演技だなんて、そんな!」


 「先程までは様子見の為、放置していただけだ」


 絶対零度の、冷め切った声だった。


 “|氷焔(ひょうえん)の|白騎士(しろきし)”と恐れられていたあの頃の、懐かしい旦那様の声音だ。


 「そんな...!誤解です!私は、何も...!」


 もはやメイドなどどうでも良いくらい、真剣に旦那様の声だけに集中する。


 「ふん、素直にその医師を捕らえれば良かったものを。貴様の演技はわざとらしいのだよ。そろそろ観念したまえ」


 嗚呼、旦那様だ。


 旦那様が、お還りになられた......!


 鬱陶しい、言外にそう言って溜息を吐く旦那様の声と、


 「......なら、潔く死んで!」


 そう言って動いたメイドだった女。


 だが、たかが暗殺者一人、国一番の騎士と謳われたあの頃のご自分を取り戻された今の旦那様に敵う訳が無い。


 様子を見れば、案の定、女は旦那様に無力化されていた。


 慌てて逃げようとしていた医師は手刀で気絶させ、近くのカーテンを纏めていた布で軽く縛っておく。


 「...やはりか。芸が無いな」

 「っうるさい!何故死んでないんだ!致死量だった筈だ!」


 呆れた声で呟かれた旦那様の声が、耳が痛くなるような女の喚き声で掻き消される。

 だが、旦那様は気にされた様子も無く、嘲笑った。


 「さあね、カミサマというモノは余程性格が悪いんだろう。貴様に運が無かっただけだよ」


 神という者が本当に居るのなら、わたくしはどれだけ感謝しても、足りない。

 よくぞ、当家にオーギュスト様を還して下さったと泣いて喜び、神の為に供物という供物を集められるだけ集めよう。


 「クソっ!何故!何故死なない!お前さえ!お前さえ死ねば!」


 女の声が耳障りだ。

 旦那様のお声が聴き取り辛い。


 「...しつこい女だ。運が無かっただけだと、何度言えば分かるのか。おい、誰か居るか」


 「お呼びですか、旦那様」


 旦那様の呼び掛けに、直ぐ様お側へと侍る。

 呼ばれても居ないのに部屋に入るなどという無様な事はしない。

 そんな事をすれば、ヴェルシュタイン公爵家の執事の名折れ。


 旦那様は、わたくしが傍に在る事をさも当たり前であるかのような態度で口を開く。


 「捕らえろ」


 その言葉に、一瞬耳を疑った。

 冷徹なあの旦那様が、わざわざ、こんな暗殺者一匹を?


 「......生かしておいて宜しいので?」


 わたくしの問いに、旦那様は冷静な言葉を返した。


 「...蝿が鬱陶しい、それだけだ。…皆まで言わせる気かね?」


 ───...お前なら何をすべきか分かるだろう?

 暗にそう仰られる旦那様。


 ...嗚呼、あの頃の、旦那様だ。


 歯向かう者には情け容赦無く、完膚無きまでに、叩きのめす。


 今回の事で、旦那様はようやく、12年間見失っておられた本来のご自分を、取り戻されたのだ。


 ならば執事として、やる事は決まっている。

 この女から情報を搾り取れるだけ搾り取り、雇い主を見付け、首謀者を旦那様に献上する。それだけだ。


 旦那様のご意向に納得し、頷きながら、また一礼した。


 「そういう事でしたら。後はお任せを」

 「では、頼むとしよう。...あぁ、それと」


 まずは、この女を確保すべきだと判断した所へ不意に旦那様に呼び止められる。


 「は。なんで御座いましょう」


 「どうも記憶の混乱と大幅な欠損があるようだ。早急に記憶の照らし合わせがしたい。後程で構わん、資料を見繕え」


 何という事だ!

 ご自分を取り戻される対価に、記憶を失ってしまわれたとでもいうのか...!


 旦那様から告げられた言葉につい驚きを表情へ乗せそうになったが、執事として、なんとか取り繕った。


 「...恐れながら旦那様、医師による診察は宜しいので?」


 「記憶の欠損が広がるようなら、な」

 「畏まりました、では、そのように」


 旦那様の言葉を受け、一礼。

 それから、未だ喚き続ける喧しい女の手を旦那様の手より受け取ると、そのまま手早くシーツで縛り上げ、引き摺りながら部屋から去った。

 部屋から出る前に、旦那様へ向けてきちんと一礼するのを忘れずに。



 それから、昔馴染みである旦那様の近衛隊の隊長、ガルフ・トラッセに、女と、ついでに拾っておいた昏倒している医師を預け、旦那様がご帰還された事も伝える。


 今まで余程悔しく、無念だったのだろう。

 ガルフは泣いて喜んだ。


 今晩は美味い酒が呑めそうだ、と、その顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら、彼は笑った。


 その後すぐに取って返し、旦那様の書斎にて手早く資料を見繕い、寝室におられる旦那様の元まで戻る。

 ノックをしてから返事を待つが、一向に許しの言葉は無かった。


 ......どうやら旦那様は、昔の悪い癖まで取り戻してしまわれたらしい。

 あの方はいつも、考え事に集中してしまうと周りの音が聞こえなくなってしまわれていた。


 自然と笑顔を浮かべてしまって、慌てて顔を引き締め、執事らしい表情を取り繕う。


 そっと扉を開けて様子を見れば、案の定、旦那様はじっと宙を見つめ、何か思案しておられるようだった。


 しかし、自分は執事。

 旦那様からの命令は絶対。


 お邪魔をしてしまう事は大変申し訳無いのだが、お声を掛けさせて頂く事にする。


 「旦那様、資料をお持ち致しました、取り急ぎ、当家の名簿と、過去帳だけですが、宜しいでしょうか」


 そう告げながら、旦那様にそっと二冊の本を差し出せば、まるで、さも当たり前であるかのように、平然とそれをお受け取りになられた。


 「そうか、ではまた後程、その他の資料も見繕え」

 「は、畏まりました」


 わたくしの言葉も半分に、早速名簿へ目を通される旦那様に、内心で苦笑する。


 集中すれば、それ以外が疎かになられるのも、お変わりない。


 余りの歓喜に、諸手を上げて喜びを叫びたい衝動に駆られるが、なんとか踏み止まる。


 そして、そんな旦那様のお姿を見て涙が出そうになった。


 「......旦那様」

 「...どうした」


 「...いえ、そうして書物などを読んでおられると、まるでジュリア様がご存命だった頃のようだ、と、思いまして」


 あの頃も、こうして、たまのお一人の時間に書物を読んでおられた。

 その際に読まれる書物は、いつも、当家の今年の名簿であったり、作物の収穫量などを纏めたものであったり、おおよそ読書とは言えないものばかりだったけれど。


 「そうか」


 読書中に話しかけても、旦那様はお怒りになられない。

 それは、執事であるわたくしを、信頼している証。


 「そのように痩せられますと、お召し物も新調せねばなりませんな、後程、針子を連れて参ります」


 「......そんなに、変わったか」

 「半分、よりも少々、痩せられたかと」


 言ってしまって、焦る。

 嬉しさの余り、何を言っているのか理解しないまま喋るなど、何をしているのだ自分は。


 「...不躾な事を申しました、申し訳ありません」


 「ふん...気にするな」


 慌てて謝罪したが、旦那様は特に気にされた様子も無く軽くあしらうだけであった。


 「ところで、どれだけ経った?」


 ...問いに主語が足りない所も、お変わりない。


 「ジュリア様が亡くなられてからでしたら、12年、かと」


 「そうか」


 この12年、長かった。

 本当に、長く感じた。


 「ご子息のミカエリス坊ちゃまも成人を終え、随分と大きくなられました」


 「息子...か」


 「旦那様のご自慢のご子息と言っても過言ではありますまい。ご立派に、成長されておられます」


 「......そうか」


 記憶が欠如しているとの事だが、息子であるミカエリスぼっちゃまの事は覚えておられるようだ。

 どこか、感慨深そうなご様子で宙を見つめていらっしゃる。


 「旦那様、……もう復讐は止めに致しませんか?」


 気付けば、そう口にしてしまっていた。




 

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