あの時倒された狼です、だそうです

 中庭の人垣がざわつく。



「どうした? なんの騒ぎだ?」


「い、いや、あの獣人の嬢ちゃんが動いたんだよ!」


「マジか!一週間くらいびくともしなかったあの子か!?」


「それよりあの男誰だよ……見たことねえ面だぞ」


「バッ、おま、ルルノアお嬢様の恩人だよ!」


「なにっ!? あの弱そうなのが!?」


「それ、ルルノアお嬢様の前で絶対言っては駄目ですよ……! 同じようなことを言った騎士がどうなったことか………」



 中庭で休憩をしていたであろう騎士や給仕の人達が好き勝手に話している。

 

 だが、今そんなことはどうでもいい。

 問題は俺に傅くようにしている目の前の少女だ。



「えっと……とりあえず、立ってください……! 傅かれるような覚えもありませんし……」


「ん、あるじが言うなら、立つ」



 立ち上がった少女は、それでもなお俺の前から動こうとしない。

 ボロ布が上半身をすっぽりと覆い、風に揺られている。太ももの半ばまでを覆うそれは、服と言えるものではなく、その下から覗く白い陶器のような肌をさらしている。


 ホントに誰だよ……。

 主とか覚えないぞ俺。

 それに服もないとか……何が起こってるんだよ……。


 とりあえず話を聞かないことにはどうにもならないか。

 


「それで、あなたは………」


「シュヴァテ……敬語も不要」



 あ、名前か……シュヴァテさんね。

 敬語が不要って言われてもな……。



「それで、そのシュヴァテさんは」


「シュヴァテ」


「ええ、だからそのシュヴァテさんは」


「シュヴァテ、敬語も不要」



 あ、話進まねえや。


 表情に乏しく声に抑揚がないのだが、頑として呼び捨てとタメ語を強要してくる狼少女。

 初対面相手に不遜すぎない?とは思わなくはないが、こうなっては仕方ない。



「………シュヴァテはなんでここに?」


「ん!あるじに会いに来た」


「あるじ……って、俺……?」


「そうだよ」



 さっぱりわからん!


 まずい……話が掴めないぞ……!

 しかも、内容もまずい……!

 こんな観衆のなかで、あるじ、あるじと連呼されるのはいたたまれない。


 俺には、こんなロリ美少女とご主人様プレイを敢行した覚えなど皆無だ。



「えっと……初対面……だよね……?」



 そう聞くと、シュヴァテは首を横に振った。

 あれ、違うの?



「森で、痛いのと苦しいのと辛いの、治してもらった。あるじ、強かった。あと、ちっちゃくなってこいって言われたから元のかっこで、きた」






 待て、待て。


 めっちゃ身に覚えあるぅ………!

 いやでも……あり得るのか……!?

 めっちゃデカイ狼だったじゃん!


 その思考に行き着いた俺は先程と遜色ない困惑に陥る。

 彼女が言ったことを纏めると……。



「え、てことは……死塚の大狼……?」


「ん!そう!」



 異世界すげえなぁ……。

 俺は場違いな感傷に浸った。

 






■    ■    ■    ■




「ホントに申し訳ございませんでしたっ!」


「いや、リュート。顔上げてくれ……別に気にしねえよ……驚きはしたけどな」



 俺は今、先程の執務室でアルト様に土下座をしていた。アルト様の横には、ここまで再度案内してくれたフィーナさんが立っている。

 俺は、勝手な小さくなってこい発言のせいで要らぬ心労をかけてしまっていたことを謝罪していた。


 俺に土下座をされ、なんとも言えない顔をするアルト様。


 俺はアルト様に言われた通り顔を上げると、ソファーに座った。そこへ、俺の横に立っていたシュヴァテが膝の上に座ってくる。


 柔らかっ!

 いや違うそうじゃない!なにやってんのこの子!?



「へえ、随分と懐かれてんじゃねえか」


「そう、みたいですね……どうしよ……」


「あるじ、元気出して」



 元凶、君だけどね………。


 膝に座り、耳をピコピコと動かしながら、机に置いてあった菓子を頬張るシュヴァテ。俺の腹に当たっている尻尾も嬉しそうに跳ねている。


 かわいい。けど、あの狼なんだよなあ……。



「んで、どうすんだリュート。そいつ」


「……とりあえず、元いた場所に帰ってもらうのが良いかと思うのですが………」


「……あるじといたい」


「って言ってるが?」



 そんなこと言われても……。


 どうすればいいかわからない俺を見て、アルト様は仕方なさそうに笑った。



「リュート、そいつ、死塚の大狼だろ?」


「なっ……!ご存知なんですか……?」


「ああ、よく知ってるよ。 ちょっと重い話になるが、悪いな、聞いてくれ」



 そう言ってアルト様はシュヴァテについて話し出した。


 一族郎党が皆殺しにされた、人狼族のただ一人の生き残りであること。

 彼女が行った殺戮の内容や、その後行方がわからなくなっていたことなどを包み隠さず、全て。


 膝の上のシュヴァテが震えているのがわかる。

 何に対してなのかはわからないが、身体が強張りながらも耳が垂れている。

 あまり、いい感情ではなさそうだ。



「と、まあ、こんな経緯な訳だ。 お前、なんであの森にいた?」


「……わからない。…気づいたらあそこにいて……呪いをつけられてて……あるじが助けてくれた」


「俺達のことを襲ったのは呪いがあったからってことか?」


「動くものを見ると……攻撃しちゃうようになってた……ごめんね、あるじ」



 俺の質問に答えるシュヴァテは、なお震えながら意気消沈している。

 そんなシュヴァテの頭を優しく撫でる。そうしたくなったんだ。


 人族の身勝手な理由で一人にされたシュヴァテ。


 似ている、と思った。

 シュヴァテは大変な思いをして、辛く、寂しいこれまでを送って来たんだ。俺なんかと重ねるのもおこがましい苦痛だっただろう。

 けど、共感してしまった。同情してしまった。

 

 シュヴァテは頭を撫でる俺を不思議そうに見ている。



「アルト様。それが、人族の自業自得って言うのは……主観が入りすぎでしょうか?」


「いんや、同意見だな。現にその殺戮以来、そいつの姿は確認されていなかった。復讐を終えた後は、人族を襲うこともしなかったしな」


「そう、ですか」



 あまり、いい考えではないかもしれない。


 けど、正直……顔も名前も知らない人達の死に涙できるほど聖人ではない。

 目の前にいるシュヴァテの孤独の方が、よっぽど寂寥として俺に降りかかった。



「シュヴァテ……なんで、俺といたいんだ?」


「……シュー、帰る場所、ない……どこにいても魔物に襲われる。でも、他の種族に見つかったら怖がられる」



 怖がられる、か。優しいな。

 きっと襲われたこともあるだろうに。

 謎の声も言っていたが、好きで人を襲う子ではないのだろう。

 ただ、大切なものを奪われた事が堪えられなかったんだ。



「でも」



 シュヴァテは、縋る様な目で俺を見る。



「あるじ、シューより強い。シューのこと怖がらない。一人にしない。一緒にいたい。寂しい。話したい。遊びたい。一緒にごはん食べて、一緒に寝て、おはようって言いたぃ……っ……死にたくないよ……シュー、ひとり………やだ……っ」



 もう、だめだな、これは。



「………アルト様」


「おう、いいぜ」


「……まだ、何も言ってないです」


「んな泣きそうな顔してたらわかる。お前、もう身内なんだから遠慮すんなよ。そこまで懐狭くないつもりだ。俺、魔王だぜ?」



 かっこいいな、親子揃って。

 

 俺はシュヴァテの目を見つめる。



「シュヴァテ、俺で良かったら、一緒にいさせてくれ」


「……いいの? 迷惑じゃ……ない…?」


「ああ、一緒にいたい。それに、ここには俺より強い人もいるし、シュヴァテを怖がらない人もいるはず」


「………っ……ん、あるじと、いる…っ」



 シュヴァテは俺の胸に顔を埋め、震えている。

 でも、先程の震えとは違う理由だ。

 胸元が熱くなる感覚を覚えながら、シュヴァテの背中をさする。



「フィーナ、とりあえず服用意してやれ。部屋は……リュートのとこでいいか」


「はい、かしこまりました。それと、『魔核三姫』のご帰宅の報告があがっております」


「お、ルル達帰ってきたか。それじゃ、俺も早めに仕事終わらすか!の歓迎会もあるしな!な、リュート」


「……はい、ありがとうございます」



 アルト様は俺の返事を聞くと、フィーナさんを伴い部屋から出ようとする。



「色々手続き済ませてくっから、お前らは落ち着くまでここにいていいぜ。行くぞ、フィーナ」


「はい。リュート様、シュヴァテ様のお洋服を持って参りますのでお待ちください」



 そう言うと二人は部屋を後にした。

 

 もらってばっかりだな。

 ちゃんと、返していかないとな。



「頑張ろうな、シュヴァテ」


「?………ん、あるじと、がんばる。…………! そうだ、あるじ。支配権」


「支配権……? ああ、あったなそんなの。 でも、要らなくない?」



 支配って言葉が、なんか聞き心地が良くない。

 でも、シュヴァテは首を振り、俺の服を掴む。



「あるじとシューのつながり、欲しい。おねがい」


「……そうか、わかったよ」



 まだ、不安なのだろう。

 やっと見え始めた希望を、見える形でとっておきたいのだろう。



『保留中の支配権行使の意欲を確認。行使しますか?』



 ああ。 



『支配権を行使します。行使に伴い『強欲なる黒死の仮面マヴァリティア』へ保管中のステータスの返却が行われます、よろしいですか?』



 構わない。


 すると、シュヴァテの首が光り始めた。

 その光が消えると、シュヴァテの首に、黒い首飾りが着いていた。


 シュヴァテはその首飾りを愛おしそうに撫でた。



「あるじ……ありがとう!」


「ああ。……ところで、その"あるじ"ってのやめない? ちょっと、慣れないというか……」


「?……あるじは、あるじだよ?」



 心底不思議そうに首を傾げるシュヴァテ。

 本当に理解できないといった様子だ。


 思えば、中庭で会った瞬間からあるじと呼んでいたな。



「その、なんで、あるじなんだ?」


「………わかんない」



 おい。

 

 しかし、シュヴァテは「でも」と言い、自分が羽織っているボロ布をぎゅうっと掴むと、目を潤ませ顔を上気させる。息も少し荒くなっている。


 あれ? なんか様子が………。


 不安になる俺を他所に、シュヴァテは続ける。



「あるじに縛られてっ………地面に押し付けられてっ、勝てないって思ってっ………その時にね………」



 シュヴァテの目は肉食獣のそれであった。



「――――お腹の奥がぎゅうってなってっ……あるじだって……ゆうの」



 これ、ちょっとまずいかも。





 

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