第6話 先生の秘密

 ……聞いていなかった。


 上司のネムランドもなにも言っていなかったし……いや、仮にアンジェリカが新入社員になったとして、ジオに教えるか?

 アンジェリカとジオに繋がりがあると分からなければ――、しかしアンジェリカのことだ、嬉々として喋りそうではある。


 ジオとアンジェリカ。

 苦手意識を持っているのはジオだけであり、アンジェリカの方は元々好意があったことで、接し方に違いは見られない。

 ……そうなのだ、ジオが避けているだけで、アンジェリカの方は昔のようにジオの背中を追っている……。


 懐かれ度合で言えば、アイニールよりも上だろう。


「そうか……、ってことは、施設にはいないってことだよな?」


「うん。……ほっとしてるの? あの子と、なにかあった?」


「別に、なにも」


 ふーん、と分かりやすく唇を尖らせるアイニールである。

 教えて、と視線が突き刺さるが、教えるわけにはいかない。

 アンジェリカから聞けばいい……。

 彼女の口の軽さは戸が立てられないほどだが、なにも聞いていないのか? まあ、さすがにアンジェリカも、言いたくないことを言いふらすことはしないか。


「なにかあったんだね」

「言わねえぞ」


「なにかあった、ってことが分かったんだから今はこれでいい。……あとで暴いてやる」

「やめてくれよ……」


 とは言ったが、ばれて困ることではない。

 ジオからすれば、間違ったことをしたわけではないのだから。……間違ったとすれば、言い方だ。もっと他にもやり方があっただろうが、肯定も否定も半々くらいだろうか?

 大人なら、意見が割れるところである。


 話しながら移動をしていたので、体感、あっという間に辿り着いた。

 先生が眠る、棺が置いてある部屋だ……。


「先生、ジオお兄さんがきてくれたよ」


「よお、死に顔を見にきてやったぞ、自称・不老不死――」


 結局死んでんじゃねえかババア、とは、アイニールを気遣って言わなかった。


 だが、先生と二人きりならきっと言っていただろう……そういう関係性である。


 ジオにとって先生は……、親であり、姉であり――悪友だった。



「もういいの?」


「ああ、一目見れたんだ、充分だ」


 久しぶりに生で見た先生の顔。当たり前だが、死人の顔だった。記憶の中にあった思い出よりも、随分と細くなり、不健康そうだ……そうか、死んでいるんだったな、とジオはポケットから煙草を取り出し……火を点ける寸前で、アイニールの指が煙草を取り上げる。


「……あ、悪い。全室、禁煙だったな……」


「まあ、そうなんですけど……子供たちがいない場所なら、吸っても構わないから。本当はダメなんですけどね!」


 先生は遠慮なく吸っていたらしい。

 さすがに子供がいる前では吸わなかったようで安心したが。……長いパイプを咥えて、白い息を吐くその光景には、ジオ少年も子供ながらに格好良いと憧れたものだった。


 現実は、さっと吸える市販の煙草に落ち着いたが……。大人になれば子供の頃に憧れた見た目重視よりも、手軽に手早く体験できる実利を求めるようになる。


 大人になった証拠だが、しかし寂しいものだった。先生のように老いてしまえば、風情を楽しむ余裕があるのだろうか。まだまだ、二十年、三十年後の話だろうが。


「じゃあ外で吸ってくる……、アイニールもくるか? 喫煙者なのか?」


「私は吸いませんよ。先生と同室だったので、煙は嫌いです。

 煙草なんてなくなればいいのに……」


 アイニールの怨嗟は、煙草に向けて、ではなさそうだ。


「煙草もタダじゃないんです」


「あー、そうか。先生のことだ、煙草も多く買っていたんだろ?」


「大量に、です。……煙草の吸い過ぎで死んだんですよ、きっと」


 口が悪いな……、有害な煙を吸い過ぎたのか?


「でも、煙草じゃないんでしょうね、理由は……」


「まあ、歳だからなあ……普通に病気、だろ?

 死因は分かっているんじゃないのか?」


「過労、です」


「過労? ……働かないで有名だろ、あの人は」


「実は働いていたんですよ、私たちの前ではサボっていた――意味が分からないことに熱量を捧げる人でしたから……。

 私が知らないところで必死に働いていたみたいです。追加の援助資金は、そうして得たものだったのだと、今なら分かります……」


 そうか、とだけ、ジオが言った。


 もう本音を聞くことができない。真実は明かされないままだ。


「俺たちが見ていた先生の姿が本当でいいだろ。必死に働いていた、実は良い奴だった、なんてどんでん返しを望んじゃいねえはずだ……、だからいいんだ。

 サボり癖があるヘビースモーカーのババアで変わらない。それが格好良く見えたんだ……、先生が築き上げた人物像を壊す必要なんかねえよ」


「そこまで理解があると、先生も恥ずかしがりそうな気も……」


 アイニールはそこで、ふふ、と笑って、


「天国で恥ずかしくて悶えているのが、最大の罰なのかもしれませんね」


 天国にいけるとは限らないが……まあ。


 地獄でも天国のように喜びそうな人であることは確かだ。



 最後に顔も見れたし、ジオの目的は達成した。


 泊まっていく? とアイニールに部屋へ誘われたが、当然のように断っておいた。

 日帰りのつもりだし、明日も仕事である。


 今日、急遽休んだ分、仕事は溜まっているだろうし、代打で入ってくれた同僚のフォローもしなくてはならない。

 社長のネムランドは無理やり休めと言ったが、そのせいで後々に苦労をするのはジオなので、これからやってくる膨大な量の仕事に辟易する……。

 ちょっとは負担を減らしてくれてもいいのに、と言っても、どうせ聞いてくれないだろう。聞いた上で以前と変わらない物量を任せてくるので、言うだけ無駄である。もう学習した。


 帰り支度を済ませて施設を出る。

 最後に一服だけ、と煙草を取り出したら、背中に衝撃が走った。

 ……敵意はなかったので注意していなかったが、許すにしては抵抗があるような痛い一撃である。鈍器で背中を殴られたような……――正体は地面が凹むほどの重たい鉄球である。

 それが投げつけられた? ……ではない。


 振り向いたジオが見たのは、目深に帽子を被った、ふっくらとした少年と小汚い少女である。汚さを言えば少年も同じようなものだが、少女の方が汚れが目立っていた……、原因は地中から飛び出ている筒状の……大砲? だ。

 拳が入るほどの幅の砲口が、ジオの背中を狙っていた。

 飛び出た鉄球は、その砲台から出たのだろう。


 少女が土を集めて砲台の根本へ寄せている。

 砲台は地中と繋がる部分から、ごいんごいんと土を吸い上げ――ぎゅっと固めて撃ち出しているのだろう。それがジオが持つ鉄球になっているようだ。


 飛び散った土が少女の体を汚していた。


 それにしても、土……? 手の甲で軽く叩き、硬さを確かめると、本物によく似ている。

 叩きつけただけでは壊れない硬さだった。土だが、その球は鉄のように硬い。


「お前ら……」


「大丈夫だ、ちゃんと作動してる。大の大人が痛がってたし、改良の余地はあるけど威力も充分だ――初めて完成したぞ、これがおれたちの『プレゼンツ』だ!」


「ほんと!? やっと……これで一人前になれるのかな!?」


 濃い黄色い帽子と作業着を身に付けている二人組だ。

 小柄な少女が少年の背中に覆い被さっている……、子供なので特別な意味はないだろうが、男女として見ればかなり近い距離感の二人だ。

 兄妹でないのなら、子供だからこその距離感でいられる友人だろうか。


 どちらかが気づいてしまえば、この距離感は簡単にはできなくなる。

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