EnDoll・Roll エンドール・ロール

語辺 カタリ

Episode1:幸せで満ちた世界にて

 『私は幸せで満ちている』少女はその変わらぬ思いを抱きながら今日も笑顔をこぼす。この、狭い、狭い箱庭の世界で、何も知らないまま――――




 目覚めかけの意識の中、一人の男の優し気な声が聞こえてくる。


「起きなさい。朝食がもうできているよ」


 少女は自らを包み込む毛布を取り、霞む視界を手で擦る。視界が安定してくると、先ほどの声の主が少女には確認できた。


「お父さん、おはよ~」


「はい、おはよう」


 眠気から出るあくびを堪えながら父とのあいさつを交わす。今日も変わらず父は満面の笑みで少女を起こしに来た。


「朝食できてるから僕は先に行くよ」


「は~い。私も顔を洗ってからすぐ行く~」


 そう言って去る父の背中を伸びをしながら少女は眺める。そして「今日も一日頑張ろう」という気持ちを作り、ベットから飛び出した。向かった先は洗面台。少女にはまだ背が高く捻ることのできない蛇口のハンドルを、中ぐらいの脚立に足を乗せ、手を伸ばす。蛇口から出てきた冷水に体を震わせながらも、少女は手ですくい、溜まった冷水へと顔を沈める。水で霞む視界の中、少女は手探りにタオルを掴み、水滴が残らないように顔に覆い被せる。


 そして、私は今日という爽やかな朝を実感し、前に置かれた大きな鏡に映る自らの赤い瞳を覗き込む。





 身支度をしてから向かったテーブルには卵焼きの乗ったトーストと、こんがり焼けたベーコンなどが並んでいた。その奥には難しそうな本を読みながらコーヒーを飲む父の姿があった。私は席に着くと、お父さんの方を見つめながら手を合わせて声を出す。


「いっただっきまーす!」


「はい、召し上がれ」


 父とお話をしながら少女の食卓は笑顔に満ちていく。そんな幸せな空間には父は居ても、少女の母の姿はなかった。






 私の母は「私の赤子の頃に亡くなった」と父から聞かされていた。死因はある難しい病気からだったそうで、父は母を救えなかったことをずっと嘆いていた。だから私は母を知らない――知れない――――


 だけれど私は父に母がどんな人だったかを聞いたことがない。それは単に興味が無かったとかそういうことではない。私は楽しんでいるのである。母という理想を想像することを。父曰く、私の瞳と母の瞳はとても似ているようで、私はそれ以上の情報を耳に入れずに今日まで鏡の前で自らの瞳をのぞき込み、亡き母を想像してきた。


 どんな言葉を使って、何が好きで、何が嫌いで、父とは喧嘩なんかしちゃうのかなんてことを考える。実際の母がどんな人かなんてこの際、正直どうでもいい。ただ、今の私の中で今も生きる母が私の信じる人なのであればそれでいいのだ。


 ところで、父の方はというと、とても気さくで優しくて、物知りの私の尊敬できる人物だ。いつも私のおままごとにも嫌な顔を一つせずに付き合ってくれる。


 そんな父の瞳の色は澄んだ青色だった。


 




 あの朝食から数日経ったある日の夕食。父は私に一つの報告をした。


「明日の朝から仕事で一週間ほど家を空けるけれど大丈夫かい?」


 父は少し心配そうな顔をしながら私に目を向けてくる。


 私の父は仕事で月に二回程度の周期で一週間、家を留守にする。これは私が幼かったころから変わることのない、家族の日常なのである。だから、何も恐れることなどない。こんなの私にとっては慣れっこなのだから。それに私には心強い存在がいる。


 少女は自信に満ち溢れた目を向けて心配する父に返答する。


「心配し過ぎだよお父さん。大丈夫だから!」


「本当にいつもごめんね。でも心配で仕方がないんだ」


「もー、お父さんは悪くないんだから謝らないで!それにも私の側に居るんだから最悪のことなんて起きないよ」


「そうだよね。も居るのだから心配はいらないか…」


「だからお父さんは心置きなく仕事を頑張ってきて!私、応援してるから!」


「ありがとう…!」


 先ほどまで暗かった父の表情かおが次第に明るくなっていくのが分かった。それを見て私の心は知らぬ間に踊っていた。






 「それじゃあ行ってきます。ラーカスさん娘のことをお願いします」


 私の隣に立っている大柄の男は父の言葉を聞き首を縦に振る。この男の名はラーカス・フロイト。父が留守の時に必ず駆け付けてくれる言わば、第二の育ての親ともいえる人物である。歳は父よりも高く、性格は穏やかというか、マイペースというかなんというか――とにかく不思議な人である。


 出会った時からラーカスは無口であったこともあり、自分は嫌われているのではないだろうかと私は苦悩していた。だが、時を重ねるごとにラーカスという人間を知っていき、今では彼の独特な雰囲気が私は大好きである。


 ラーカスのことを私は愛称を込めて「おじさん」と呼んでいる。


「おじさん今日は何して遊ぶー?」


「遊ぶ前にまず勉強ですよ」


「えー面倒くさいよー」


「勉強をしない人に自由はありません」


 一つ言い忘れていた。おじさんは昔から勉強に関しては超が付くほど厳しい人であった――






 おじさんと生活し始めて8日が経った頃、私は勉強を終えておじさんと共に積み木を組み立てていた。ひたすら高くなる連なる木目の搭は遂には家にある積み木を使い切りそうな程に高くなっていた。最後になってくると、私の背では届かないためおじさんに持ち上げてもらっていた。


 そして最後の一つを乗せようとしたその時、家の扉が開いた。二人は扉にすぐさま目を向ける。


「ただいまー今帰りました」


「お父さんだ!!」


 少女は自分を持ち上げてくれていたおじさんの手を振りほどき、完成しそうな搭を放り出して父に抱き着きに行った。その際、積み上げられた搭は掛けた時間と反比例するように、一瞬で崩れていった。


「お帰りお父さん!!」


 私の元気な声にこたえるように父は私を思いっきり抱きしめた。


「元気だったかい?風邪とか引かなかった?怪我はなかったかい?」


「ちょっと娘を心配し過ぎじゃないか?」


「あ―― ラーカスさん!今回は僕の留守の間をありがとうございます」


「そんなことは全然大丈夫だ。でもキミ娘を心配なあまり、走って帰ってきただろ」


「!!」


 子供の私が見ても分かるくらいに父はラーカスさんに図星をつかれていた。確かに父を思い返してみれば、少し冷え込み始めた季節であるというのに、額には少しの汗が垂れていた。


「娘を心配する気持ちは分かるが、仕事で疲れ切った体をそのように扱ってはいけないよ」


「はい…… 心得ておきます……」


 反省する父は何だかいつもとの違いがあって面白く、少女はいつしか二人の会話を遮るほどに笑っていた。そんな少女を横目に見ながらおじさんは喋り出す。


「まあ、キミも帰ってきたことだし私は帰ることにするよ」


「もう帰るんですか?少しくらいゆっくりしていけばいいのに。僕がお茶か何か出しますよ」


「いや、遠慮しておくよ。キミも疲れてしまうであろうし、私が居ては家族水入らずの時間が減ってしまうだろ?」


 父は渋々ラーカスの言葉を了承し、二人でラーカスが帰るのを見送った。その時、少女が大きく手を振ると、ラーカスは応えるように小さく手を振った。少し悲し気な赤色の瞳を見せながら――――





 おじさんの姿も見えなくなり扉を閉める。私は先ほど積み上げた積み木が崩れているのが目に留まり片付けようと、父から離れようとする。だが、私の手は父に摑まれ離れられない状態になっていた。それはまさに楔のように固いものだった。私はそっと父の顔を覗くと、いつもと同じ笑顔な表情の父が居た。そんな父と目が合い、父は口を開く。


「帰って来て早々で申し訳ないんだけれど、に行ってもいいかな?」


 いつもと変わらぬ父のお願いに私は当然、快く「いいよ!」と返事を返した。それを見た父は私と再会を果たした先ほどよりも嬉しそうな声で言う。


「いつも本当にありがとう。被検体№014」


 少女の絶望はまだ始まってもいない――――


 


 

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