四日目
昨日の音ゲー祭りがかなり効いたらしく、今日の千蔓は結構いつも通り――以前の彼女に近い緩く気怠げな雰囲気に戻っていた。見た目は、何の変わりもなく触手怪獣イトコンチャクだけれど。
夜更かしした分、起きる時間は結構遅め。けれども、今更真っ当な生活リズムなんて気にするようなことでもなく。少なくとも夏休みが終わるまでは、思うままに起きて思うままに寝る、そんな時間を千蔓と過ごすつもりだった。
「とりあえずY○uTube、っと」
奇しくも昨日と同じく、昼食に近い時間の朝食を口に放りながら、隣の千蔓を改めて見やる。
テレビのリモコンを操作する灰色のこんにゃく改め触手たちは、今日も今日とて一体何本あるのかも分からないくらいに絡まり蠢いている。流石に数えることはしなかったけれども、実は初日と今日で本数が変わっていたりなどするのだろうか。
「んや、変わってないね」
聞いてみたら、あっさり返ってきた、曰く、昨日と今日で指の本数が変わったりはしないでしょ?とのこと。合点のいくようないかないような、不思議な返答。けれどもそれが自然にできるということは、それだけ気持ちの面で安定してきているとも捉えられる。
この調子で――触手の身体を受け入れる?人間に戻ることを諦める?千蔓が元気になってくれるのは嬉しいけれど、その終着点をどこに設定すれば良いのか、やはり簡単には結論が出ない。
人間に戻ることを目指すのは、もしかしたら途方もない時間や心労を費やす羽目になるかもしれない。その上で、そもそも戻れる保証なんてない。或いは逆に明日の朝、目が覚めたら理由も無く戻っているかもしれない。そのいつ来るかも分からない「いつか」を信じ続けるのは、下手をすると諦めるよりずっと辛いのではないだろうか。
「逸束」
「……ん?」
考えに耽っているうちに、視線は千蔓を外れて天上の辺りをぼんやりと漂っていた。呼ばれて再び視線を戻せば、さっきと変わらないイトコンチャクが……いなかった。
「コンドロクラディア・リラ~」
「……なんて?」
代わりに、聞き覚えの無い言葉を発する、見覚えのない形状の千蔓が。
「もう。ほらこれ、動画のやつの真似」
指し示す触手を追ってテレビの画面を見やり、次いで千蔓と見比べてみれば確かに……何とも、いや、本当に何とも形容しがたい生物の真似をしている。
深海生物の一種なのだろう。ヒトデのように五つに枝分かれした、星形というにも先鋭的過ぎる足――足なのだろうかこれ――から上方向へと垂直に、いくつもの線を生やし海底に佇む奇怪な生き物。
「どうよ」
千蔓は海の底ではなく、ソファの上に張り付いているけれど。触手を上手に絡み合わせて、触手から触手が枝分かれしているように見せかけ、見事にそのナントカ・リラの真似をして見せていた。
「確かに、似てる」
「でしょ?これはあたし、遂に擬態能力を獲得してしまいましたなぁ」
陸上で深海生物に化けることは擬態と言えるのだろうか。陸にいるなら最低限陸上生物を模倣すべきなのでは……と、そこまで考えて、一つの可能性に思い至る。
「……えと」
「……うん」
千蔓も同じように、自分の言葉で思い付いたらしい。きっと成功率は物凄く低いだろう、ある種の悪足掻きを。
「……一応試してみるか。擬態」
「……うん、頑張って」
何に化けるかというと、それは勿論人間に、だ。
正直に言って、無理だとは思う。見た目的には件の深海生物の方が近いくらいなんだから。だからこれは、糸こんにゃくで人形を作るようなもの。
でも千蔓は芸大で、立体物の作成やらデザインやらも齧っているという話だし。何とかこう、上手いこといかないかと一縷の望みをかけてしまう。私も、千蔓自身も。
「っても流石に、糸こんにゃくで等身大の人形は作ったことないからねぇ……」
「まあ、普通は無いだろうねぇ……」
テーブルをどかし、スペースを作る。その間に千蔓はスマホで参考資料になりそうなものを探し始めていた。ちらりと見れば「紐 人形 等身大」といった検索ワードが。藁人形とかも参考に……なるんだろうか?
兎に角、千蔓がやりたいというのなら。私はその意志を最大限尊重したいし、出来る限りのサポートはするつもりだ。……とは言っても、今回は見ていることしかできなそうだけれど。
◆ ◆ ◆
「――んんんん駄目だぁーっ!」
駄目らしかった。
始めたのは昼頃だったはずなのに、気が付けばもう夕飯というにも少し遅いくらいの時間。触手をわさーっと解き糸こんにゃく形態に戻った千蔓の言葉通り、進捗はあまり芳しくない。
「……中々、上手くいかないね」
飲み物を――今日はコーラだ――千蔓の
実際に立ったり歩いたりしてみると、その動き一つ一つに「芯」が無い。体を支える骨、それを支える筋肉。どちらも再現できないただの「人の形」では、どうしても動きがくねくねと不自然にぶれてしまう。
「何かそんな感じの都市伝説あった気がする。見たら気が狂うくねくねした人影、みたいなヤツ」
嘆く本人の言葉通り人間というより、どう頑張っても人型の怪異のような存在になってしまう。顔なんかは結構頑張って、人間だった頃の千蔓を再現していたけど……こう、縄文土器?だとかを真似して、触手を積層させて立体感を出したり……それでもやっぱり、大雑把な輪郭と髪型を再現するくらいで、とても生きた人間の顔とは呼べないそれ。
今は崩して元のイトコンチャクに戻ってしまったけれど、あの毛先の跳ねたミディアムショートなんかは、確かに千蔓らしくは見えた。というのは恐らく、私だから言えることで。
「これで外出たらあたしが都市伝説になっちゃうわ」
千蔓の言う通り、他者の視線に耐え得るほどの物では到底なかった。
「千蔓……」
希望が。儚いものだと分かってはいても、それでも手を伸ばさずにはいられなかった希望が潰えて、何と声を掛ければいいのだろう。そう悩む私の声音は、自然と重く沈んだものになってしまって。
「――ま、しゃーないか」
対する千蔓のそれは、ビックリするくらい軽い雰囲気のそれだった。
まるで、さほどのショックも受けていないかのような。
「――なーに眉間にしわ寄せてんの。あたしだって、まあ無理だろうなーって思ってたわよ」
それは。可能性の低さは、理解していただろうけど。そんな簡単に、割り切れるもなのだろうか。
「違う違う。割り切る為にやったの。これでもう、人間社会とはおさらば。なんかの奇跡で元に戻れない限り、外の世界は諦めまーす……ってね」
あっけらかんと、千蔓は笑って見せる。
私の方がむしろ、気にし過ぎだったとでも言うように。
「……そ――」
そんな簡単に、と言いかけて。そんな簡単なわけがないとすぐに思い直す。今しがた千蔓が言ったではないか。奇跡でも起きない限り、諦めると。それがどれだけの、どれほどの決断だったかなんて、見ていただけの私に想像がつくはずもない。「まだ四日」だなんて、軽率に言えるわけがない。
それでも千蔓は、本心から言っているのだ。
ならば私が、それを尊重しないはずがない。
「――ささ、夕飯の準備でもしよっか?出来もしない擬態なんかより、料理の練習とかしてた方が後々役に立ちそうだし」
最初の頃のような不安定さはない、本来の彼女そのものな言い草で。私の手を引いてキッチンへと這いずっていく千蔓。
その前向きな諦念に、私は寄与できたのだろうか。幼馴染として、それくらいは自惚れても良いのだろうか。甘えるように緩く巻きついた千蔓の手を一瞥し、一つ息を吐けば。自然と、肩の力も抜け落ちていくようだった。
「千蔓」
「うん?」
「チャーハン食べたい」
「えぇ……
「頑張って」
「ぜ、善処します」
私も千蔓も、何も気負っていない自然体でのやり取り。何となく私たちの間に漂っていた憂いが、ゆっくりと解けていくのを感じて。いつも通りが、返ってきた気がした。
そうやって安心するのと同時に、実は先程から抱いていた罪悪感が、少しだけ軽くなる。
――人もどきの化け物めいた、千蔓のようなシルエットをしたあの擬態姿に、言いようもない胸の高鳴りを覚えていたことの。千蔓の
どうやら私は、自分で思っていた以上に変態だったらしい。
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