朝起きたらずっと片想いしてた幼馴染が触手の化け物になってた話
にゃー
一日目
※全七話、一日一話ずつ投稿していきます。比較的取っ付きやすい全年齢向け触手百合だと思いますので、是非是非読んでみて下さい。
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指先に何かぷにぷにしたものが触れて、目を覚ました。
目を開くのも億劫で、ただその、硬めの寒天ような気持ちの良い何かを握る。離す。握る。離す。握る。この辺りで、私の部屋にこんな感触のものがあるはずないことに気が付いて。膨れ上がる違和感に押されるように、どうにか瞼をこじ開けた。
「……イソギンチャク?」
もしくは糸こんにゃく。
灰色っぽい色合いや、一塊に絡まってる感じは後者のように見えるけれども。全体的にうねうね蠢いてるその姿は、どう見ても生き物のそれ。だからこそ抱く感想としては、前者が正解なのだろうか……などと、寝ぼけたことを考える。
「…………???」
いや、なんだこれは。
何故私の部屋に、1/2私ほどのサイズ感のイソギンチャクが。意味が分からない。普通に考えて恐怖だ。事実、私の心臓はこの理解不能な状況に、急激にテンポを上げ始めている。ぞわぞわと鳥肌が立つ。未知の生物。目覚めたらそれが目の前にいた、名状しがたい不安。身体は確かに、アラートをけたたましく鳴らしてる。
だというのに。
心はさほどの嫌悪も見せずに、じっとその生き物を観察してしまっているのは、きっと。
その灰色が彼女の髪と全く同じもので。
隣に敷いていた布団に、彼女が寝ていたはずの布団に、そいつはいて。
「ん……んぅ~……?」
間違いなくこのイソギンチャクから聞こえてきた声が、彼女のそれと全く同じものだったから、なのだろうか。
「
私を呼ぶ彼女の声音は、あまりにもいつも通りのトーン。うちに泊まっていた朝に決まって聞こえる、眠たげなふやけ声。聞き慣れたイントネーション。
「お、はよう、
だというのに私の声帯は、私の意思を無視して勝手に引き攣った返事をした。
だから彼女も気付く。いや、そんなこととは関係なく。普通すぐに気付くだろう。
自分の身体が、大きなイソギンチャクに変わってしまっていたら。
「……ん、ん?なん、か……なんか変な感じす、る……あたし、飲み過ぎた……?」
飲み過ぎでこうなるなら、私だって今頃仲良くイソギンチャクだ。真っ黒の。毒とか持ってそうなやつ。いや、イソギンチャクは大体が毒を持つんだっただろうか。生き物にはあまり詳しくないから分からない。少なくともさっき触れても何ともなかったわけだから、千蔓は毒がないタイプのイソギンチャクなのかもしれない。
或いはイソギンチャクではないか。というか普通、イソギンチャクは陸にいないし、こんなに大きくもない。となるとやはり、糸こんにゃくなのかもしれない。意思を持った巨大糸こんにゃく。
さてどちらがあり得そうな話だろうか。どちらもあり得ないけれど。でも間違いなく、これが夢じゃないのなら、私の幼馴染は巨大イソギンチャクもしくは糸こんにゃくに変身してしまっているわけで。
「……んまって、なんか……ほんとに身体が変、なんだけど……なんか、なんかこう、なんか……全身に違和感が……」
私の脳みそが混乱してる間に、千蔓も要領を得ないながらも声に震えが乗り始めている。けれども、ほんの数分早く起きただけな私が、この状況を説明できるわけもない。
悩んだ末に……というか、纏まらない頭が直感的に、姿見の存在を私に思い出させた。
「……千蔓、見て。これ」
こんな時にも湧くらしい火事場の馬鹿力が、身の丈ほどの鏡を軽々と持ち上げてくれる。ごすっと、今の今まで私が寝ていた布団の上に立てて、見せる。見せてから気付く。目、あるのだろうか。
「はぁー?……――ぁ、はぁ?え、ぁ、えぇ、うん?ん?んん?は?なに、……なに?」
「なんだろうね」
見えてるらしい。
鏡に映った自分の姿に、はてなだらけの声をあげる千蔓。同時にいくつもの糸こんにゃくの筋たちが、目が覚めたようにぶわわーっと騒ぎだした。海流に揺られるイソギンチャクなんて比じゃないくらいに、見ているこっちの身体が勝手に鳥肌を立たせてしまうくらいに、激しく生々しい蠢き。
「ちょ、っと待って、え、これ、鏡だよね?うん?どっきり?」
「だとしたら、私も仕掛けられてる方、かな」
どんな手品を使えば、人間をイトコンチャクに変えるドッキリなんてできるのだろうか。誰が、何の理由で、どのように。そのどれ一つとしてとっかかかりがない現状で、ドッキリなんて現実的な説はむしろ非現実そのものに思える。
何かこう、神様のいたずらだとか。世界のバグだとか。そういう突拍子もない可能性の方が、まだ納得できるような。それくらい意味不明で理解不能な出来事。
「ねぇ、意味わ、分かんない。ちょっと、なんで、なに……はぁ?……どうなってんのこれ?」
「イソギンチャクっぽく見えるけど、どうだろうね」
「や、どうもこうもないというか。なに、あたしイソギンチャクになっ、ったの?」
「もしくは糸こんにゃく」
「マっジで意味分からん。ねぇ、ちょっと。こわ、怖いんだけど……あたしの身体、どうなってんの、よ、ねぇ。逸束、っ」
いよいよもって、当人の混乱が極まってきた。声はどんどん上擦り、糸こんにゃくもより一層激しく揺れ動く。その動きにまた、千蔓自身が怖がって。泣き叫んだりはしないけど、でも。
元々ローテンション気味な千蔓がここまで声を震わせてる時点で、限界が近いことが分かる。表情は分からなくても、幼馴染なのだから。
だから。原因の究明やら何やらより、もっと大事な、私がすべきことがあると思った。今この瞬間に、すべきことが。
「千蔓」
「っ!ちょっ、とっ、逸束、触っちゃ駄目。何かこう、か、かぶれたりとかっ、何か起きたりとかっ」
「大丈夫。さっきも触ったけど、何ともなかったから」
「はぁ?」
「寝ぼけて、手、握っちゃってたみたいで」
どれが手かは分からない。起きた時触れていたそれが、手と呼べるものなのかも不明瞭。けれども、隣り合って寝た時はいつだって、私の身体は無意識に千蔓の手を求めていたから。だから恐らく、手を握っていたのだと思う。さっきも、今も。
「い、つか」
「千蔓」
名前を呼ぶ。呼ばれたら呼び返すように、私の心はできているから。
「あたし、どうして、どうしよう」
「……残念だけど……何でこうなったのか、どうやったら元に戻れるのか、今は何にも分からないよ。私も、千蔓も。だから、その。ちょっと、落ち着いてみよう?無理かもしれないけど、無理やりにでも、心を落ち着けないと。千蔓に、良くない気がする」
「いつか」
「うん、逸束だよ。千蔓の、幼馴染の。逸束」
「逸束はあたしの」
「うん。そして千蔓は、私の幼馴染。昨日も、今日も。これからも」
そう、幼馴染。
長い長い片想いには、ずっと蓋をしたままの。
ちょっと……いや、結構不本意なその関係性が、だけど今、千蔓を繋ぎ止める楔になってくれる気がした。心が上擦って、浮き上がって、体と乖離してしまいそうな、この瞬間の千蔓を。
「あたし、あたしは。千蔓?」
「うん、千蔓だよ」
さっきもそうだったけれど、これだけは何故か、何の根拠もなく確信できた。
このイソギンチャクのような糸こんにゃくのような生き物が、間違いなく千蔓なんだって。
「あたし、こんな化け物、……みたいな姿になっちゃったの?」
本人が化け物だと思うのなら、そうなのだろう。彼女の身体なのだから。
千蔓は、私の幼馴染は、化け物になったんだ。
「怪獣、イトコンチャク」
「……ははっ、なにそれ。糸こんにゃくと、イソギンチャクだから?」
「そうそう」
「ダサかっこ悪い」
「残念」
良いところが一つもない。
美大に通ってる千蔓からしてみれば、著しく芸術性とやらに欠ける名前だったのかもしれない。それでも良いと思った。千蔓が、今日初めて、笑ってくれたから。
今もまだ、イトコンチャクたちは蠢き慄いているけれど。でも、少なくとも。私が握っている一本と、それから千蔓の声音は、少しだけ落ち着いてきたように見えた。
「逸束」
「うん?」
「もう少し、手ぇ握ってて」
「うん」
やっぱりこれ、手で合ってたんだ。
そんなこと言うのは無粋だってことぐらいは、芸大生ではない私にも分かる。
「千蔓」
「うん?」
「後で考えようね。色んなことは」
「そうね、あとで。あとで」
今はもう少しだけ。少しでも、千蔓の心を落ち着ける時間が大切だと思った。
そして、そのもう少しはどれだけ長くたって構わないとも思った。
握る手に少し力を籠めれば、弾力のある表面が、骨なんて到底通っているようには思えない柔らかさが、手のひらに返ってくる。
「逸束」
「うん」
か細い声。
私に触れているのだって、この細長い糸こんにゃくたった一本だけ。
それでも、その細い二筋があれば、とりあえず今、繋ぎ止めるには十分だ。
「千蔓」
「うん」
もう少しの間に、昼も過ぎて夜も過ぎて。気が付いたら私も千蔓も、並べた布団の上で丸くなって眠っていた。
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