第110話 鬼さんこちら


 『所詮人の身に堕ちた貴様らに何が出来る! 狐風情が!』


 『お前も同類じゃろうが、吠えるでないわ!』


 叫ぶ”烏天狗”に、受け答えしながら相手を蹴り飛ばすコンちゃん。

 何と言うか不思議な感じだ。

 何もしなくても体が動くと言うか、喋ると言うか。

 皆と一緒にやったゲームの”オートモード”みたいな感じだ。


 『サボるでない娘! 体が動かしにくいであろうが!』


 すみません、シャンとします。

 なんてやっている内にも肉弾戦は進んでいく。

 途中から加わった俊君も、なんかすんごい成長してた。

 蹴るわ殴るわ、まるで草加先生と共闘しているみたいな感覚だ。

 しかもちゃんと効いてるし。

 男子三日どうとかこうとかって言うけど、これがそうなのか。

 私三日も寝てたのかな?


 『この小僧……何か”憑いて”おるな。まだ馴染んではいないが、元々の肉体が優れているのだろう。見事なもんじゃ』


 何気にコンちゃんが疑問に答えてくれた。

 マジか、俊君にも何か憑いちゃったか。

 瞳も赤くなってるし、ついに一般人卒業しちゃったか。


 「合わせます! ご自由にどうぞ!」


 『全く、”アレ”に鍛えられるとこうも人間辞めるモンかのぉ!』


 意味深な発言と共にこめかみに向かって蹴りを繰り出せば、反対側のこめかみに俊君が拳を叩き込んだ。

 これ絶対普通の人にやったら死んじゃうやつだ。

 でも、それでも倒れない”コイツ”は本当に何者なんだろう。

 ちょっと硬すぎませんかね?


 『貴様ら……貴様らぁぁ!』


 ”烏天狗”が大きな黒い翼を広げると同時に、つるやんの音叉の音が部屋中に響く。


 「何度もやらせると思わないで下さいね?」


 「”おじいちゃん無理しないで横になりましょう? はーいそのまま、お布団に横になりましょうねぇ”」


 絶対遊んでるだろ天童君。

 なんて言いたくなる状況だったが、弱っている所の追撃だったからなのか、目の前で羽の生えた老人が横たわった。

 嘘でしょ?


 「もらったぁぁ!」


 情け容赦なく俊君の踵が顔面に突き刺さる。

 床を突き抜けて、相手の頭が地面に陥没してしまった。


 『羽をもぐぞ! 娘、しっかり同化せんか!』


 「え、えっと引っこ抜けばいいのかな!? 了解!」


 コンちゃんの残虐非道な発言に慌てて同意して、意識を集中させる。

 仰向けのまま頭が床にめり込んだ老人を容赦なく回転させ、うつ伏せになった所で二本の羽を両手でつかむ。


 「でぃやぁぁぁ!」


 『おまけじゃ、”狐火”』


 ブチブチブチ……っと嫌な感触をその手に残しながら、必死で引っこ抜いている間。

 コンちゃんが何か呟くと尻尾の先から紫色の炎が生れ、一直線に相手の後頭部に直撃する。


 「燃えてる! 燃えてるよ!?」


 『いいから取り去ってしまえ! こんな忌々しい羽!』


 急かす様に叫ぶコンちゃんの声に従って、相手の背中に足を掛け思いっきり引っ張った。

 結果。


 「き、キモイ……」


 『言うな』


 ブチョッ……みたいな音を上げて、”烏天狗”の背中から黒い羽を引っこ抜いた。

 両手に残るは羽が、未だにビクンビクン動いていている。

 超キモイ。


 『は、ははは。ふあはははは!』


 顔面を床に突っ込んだまま、御老体が爆笑し始めた。

 なにこれ、今まで以上に怖いんですけど。

 この人羽引っこ抜かれた上、頭燃やされて笑ってるんですけど。


 『まさかここまでされるとはなぁ……儂も最近の弱者と舐めておったとしか——』


 「ふんっ!」


 セリフの途中で、俊君が再び踵落としをかました。

 引っこ抜こうとしていた頭が再び床に埋まる。

 どうしよう、言葉に出来ない。


 『いい加減にせんかクソガキがぁ!』


 頭が埋まったままの体からは黒い霧が噴出し、俊君を包み込む。

 不味い、この人キレた。

 そう思って動き出そうとした時には、俊君の姿はその場に無かった。


 「油断も隙もありませんね、このジジィ……」


 そんな言葉が背後から聞こえる。

 あれ、君いつ移動したの? なんか”神様”とか言われてたコンちゃんより強くない?


 『こら小娘。存分に力が発揮できないのはお前のせいなんじゃぞ? お前の貧弱な身体のせいなんじゃぞ?』


 負け惜しみの様な言葉が聞こえたが、聞かなかった事にしよう。


 「良し、避けられない事は無いし……もう一回!」


 そう言って走り出した俊君は急に、運動会で頑張り過ぎたお父さんの様な感じで盛大にスッ転んだ。

 丁度巡達と”烏天狗”の真ん中辺りで、そりゃぁもう盛大にズゴンッ! と音を立てて。


 「は? え? 俊君どうしたの——」


 『馬鹿者! お前が一番良く知っているであろうが! ”電池切れ”じゃ!』


 一瞬何を言っているのか理解出来なかったが、コンちゃんの言葉をすぐさま理解する。

 電池切れ、”獣付き”になった最初の頃によくあった急に体が動かなくなるアレだ。

 不味い、それは不味い。

 あの状態になると、指先一つ動かすのにさえ辛くなるほどの脱力感に襲われる。

 今の彼がそんな状態であるのなら、間違いなく”的”にされるだろう。

 しかもタイミング悪く、”烏天狗”が床から頭を引っこ抜いたのだ。

 これは、非常に不味い。


 『もういい、いい加減に儂も頭に来た。とりあえず男どもは死ね』


 今までにないくらい冷めた言葉と共に、”烏天狗”は周囲に黒い霧を発生させる。

 ヤバイと思った瞬間、体が動いた。


 『おま! ほんっと! 後先考えんか馬鹿者!』


 コンちゃんの叫びを耳にしながら、私は俊君を庇うように抱きかかえた。

 相手に背を向ける様な形で、完全に無防備な姿を晒してしまった。

 ほんと、これはやっちゃったかも……。


 「くそ! ”影”を使います!」


 「早瀬先輩!? 俊君!」


 「”止まれ! 数秒だけでもいいから止まれ!”」


 どこからか皆の声が聞こえてきた。

 それでも、”カレ”の怒りは収まる事を知らないらしい。


 『もうよい、逝け』


 あ、これは終わったかな。

 背後に迫る恐怖、目の前の皆の表情。

 どう考えても、助かる見込みはないのだろう。

 そう思ったその時、ふいに気の抜けた声がその場に響いた。


 『はいはーい、とりあえず一旦そこまでー! 皆お話でも聞きましょうかー』


 いつか聞いたその声が響いた瞬間、皆の注意がそちらに向いたのが分かった。

 山小屋の玄関から真っすぐ続いた通路、そこに立っている人物。

 見間違う筈もない。


 「茜……さん?」


 『ども、黒家茜です』


 「……姉さん?」


 少し前に見た巡のお姉さんが、笑顔でその場に立っていた。


 ————


 このままでは夏美を俊も助からない。

 そう思って”影”を準備したその時、ありえない人物の声が聞こえた。

 よく耳に馴染む、懐かしい声。

 でももう聞く事は無いと覚悟していたその声が、室内に響き渡った。


 「姉さん?」


 そこに立っているのは、記憶の中に残る私の姉そのものだった。

 あの時の恰好、あの時の表情、そして最後に掛けてくれた声。

 全てが記憶の中の姉と、まったく一緒のソレだった。


 『感動の再会だっていうのに、巡も俊も反応が寂しいねぇ……お姉ちゃんは悲しいよ』


 このふざけた態度も、昔のままだ。

 もう意味が分からない。

 何故ここに居る? 何故このタイミングで出てきた?

 何がどうなっているのか。


 『ほぉ。自分から帰ってくるとは、随分と殊勝な心掛けじゃな。そこまでして儂の人形に……待て、貴様どうやって”呪い”を解いた? しかも今の状態はなんじゃ、まるで……』


 『おーやっぱり専門家へんたいは一目で分かるモンなんだねぇ。ご名答、今の私はアンタの呪いに犯されても無ければ、普通の”怪異”でもない。言うなれば、アンタの使ってた”人形達”に近い存在かなぁ?』


 訳の分からない会話が進んでいく。

 出来ればこっちにも分かる内容で話してほしい、さっきから頭が全然付いてこない。

 困惑顔を浮かべていれば、姉さんはチラッとこっちに視線をやると困った様に微笑みを浮かべる。


 『皆にも分かるように話すとね? 私このジジィに飛ばされたすぐ後”八咫烏”に捕食されて、使い魔的何か? ”烏天狗”でいう所の人形さん達みたいな? になってる訳ですよ。まぁ強制労働もしてないし、むしろお願いすれば”八咫烏”がお願い聞いてくれるホワイト企業だったけどねぇ』


 あははっと笑う姉に対して、もう何も言えなくなっていた。

 ぶっ倒れている俊だって目を見開いている。

 そりゃそうだろう。

 必死こいて探してた上、私と同じ呪いを受けて、私が死んだ暁には”怨霊”になって苦しみ続けるなんて言われていた人物が。

 今こうして目の前でヘラヘラ笑っているのだ。

 なんだか無性に腹が立ってきた。


 「それで? 勝手に無事問題解決した姉さんは、何故今もこの世に留まっているんですか? そして何で姉さんの主人たる”八咫烏”が俊に憑いてるんですか? おかしいでしょう」


 握ることも出来ない拳をプルプルさせながら、目の前に立つ姉に向かって怒りをぶつけるが。

 それを欠片も感じる事もなく、姉さんはニヤッと笑った。


 『だって巡の”呪い”解かないと不味いでしょ? どうせ見つかったら私を祓おうとするし、とりあえず影から見守る事にしました。俊に関しては単純にご褒美かな? 頑張っている弟に対して、お姉ちゃんとして何か後押ししてあげられないかなぁって。そしたら”八咫烏”が試してみようか? なんて言うもんだから、思わずお願いしちゃった訳ですよ』


 「茜姉さん! 大好きです!」


 『うんうん、お姉ちゃんも大好きだよぉ俊。ちなみにちゃんと頑張らないと”八咫烏”も今回限りだって言ってたけど』


 「気合で起きます! 今は無理でも絶対起きます!」


 ダメだコイツら、早く何とかしないと。

 ていうか何してんの? 馬鹿なの死ぬの?

 いや死んでるけどさ、それだったら早く成仏しなよ。

 私の事なんか気にしてる場合じゃないでしょうに。

 どれだけ私が心配したかと……。


 『そんな顔しなくても分かってるよ巡。頑張ったね? 辛かったね? でももう大丈夫だよ。お姉ちゃんが何とかするから』


 いっつもいっつも、何無責任な事言ってるんですか。

 なんて口に出そうとしたところで、”烏天狗”が口を開いた。


 『そろそろ別れの言葉も済んだであろう? もういい加減この”げぇむ”も終わりにしようか。少々飽きてきたのでな』


 呆れかえった表情を浮かべる”烏天狗”が、錫杖を一つ鳴らすと周りからは黒い霧が広がり、私達を包囲するように包み込んだ。

 不味い。姉さんの登場で毒気を抜かれたが、状況は変わってない。

 動けない俊に、役に立たない私と非戦闘員である椿先生。

 唯一賭けられるのは”九尾”となった夏美のみ。

 天童さんと鶴弥さんはサポートに回って貰って……姉さんははっきりいってどうにもならない。

 見た感じ『上位種』だし”八咫烏”経由で何か違うらしいが、今は確かめている暇はない。

 戦力として数えるのは間違いだろう。

 さて、どうしたものか……なんて考えている時、姉さんが余裕の笑みを浮かべて笑った。


 『遊戯が随分とお好きなようだけど、ちょっと遊び過ぎたねお爺ちゃん? 鬼ごっこにしろ、かくれんぼにしろ、いつから自分が常に追う側だと錯覚してたのかな? これだから自分最強とか思ってるイタイ連中は困るんだよ』


 挑発する様に……というか完全に煽り言葉を放っている姉は、随分と余裕なご様子だ。

 その彼女に対抗する様に、”烏天狗”も盛大に笑う。


 『だったらどうする? お前が儂に立ち向かうか? その狐も、人の身に落ちている以上ろくな力は出せんだろう。そこにお前が加わって、儂が殺せるか? ん?』



 どっちもどっちで、余裕の笑みを崩さない。

 これ、どう見てもこっちが不利なんじゃ……。

 ”九尾”になった夏美の力がどれ程のモノか分からないが、”私達”という枷がある以上充分には戦えないだろう。

 そして姉さんがちょっと異常な存在だとしても、”九尾”に匹敵するモノとは思えない。

 これはちょっと、本気で死ぬ覚悟で“感覚”を使う事になるかも。

 諦めて再び“影”を準備し始めたその時、姉はとんでもない事を言い始めた。


 『だってもう勝負はついてますし。ホラ、そんな窓際にいると……”鬼”に捕まっちゃいますよ?』


 次の瞬間、”烏天狗”の後ろにあったガラスが盛大な音を立てて砕けた。


 『なにっ!?』


 その声が上がるころには、”烏天狗”の腰はガッチリと背後から伸びる太い腕にホールドされ、身動きが取れなくなっていた。

 そして。


 「みぃーつっけたぁ……」


 とんでもなく不安を誘う低音ボイスが、空気を震わせた。

 きっと離れていたのは数十分程度だったのだろう。

 だというのに、随分と懐かしく聞こえる声。

 そして何よりも聞きたかった声が、その場に響いた。


 『あ、ちなみに”鬼”さんには貴方の事、女の子を攫ってはコスプレさせて、夜な夜なハーレムパーティしてる変質者って伝えてますので』


 『貴様は本当にふざけるな——』


 「そぉぉい!」


 その声と共に、”烏天狗”は窓の外に姿を消した。

 体が持ち上がる様にして頭から窓の外へと飛んでいったかと思うと、直後にはとんでもない衝撃音が聞こえる。

 アレだ、ジャーマンスープレックスってやつだ。

 それくらいは分かる。

 ぶち破られた窓の向こうで呻き声が聞こえる中、その人は立ち上がった。

 窓の向こうから私達を眺めて、悔しそうに顔を顰める。


 「遅かったか……」


 まて、何がだ。

 何を見て遅かったと判断した。


 『え、先生? 大丈夫ですよ? とはいえ、囮をやるから隙をついてぶっ殺せって言った本人が言うのもなんですけど……登場の台詞が結構酷いですよね。あれじゃ先生がホラーですよ?』


 なんとかフォローを入れようと、姉さんが身振り手振りで返事をしているが彼の表情を優れない。


 「だってほら……早瀬とか既にコスプレさせられてるし……悪くないけど」


 残念そう? に呟いた彼の言葉に、慌てた様子の夏美が返事を返した。


 「だ、大丈夫です! えっと、これは……その、自主的なアレです!」


 その返しはどうかと思うんだ。

 でも、効果は抜群だったようだ。

 彼は親指をビシッ! と立てながら、満面の笑みで答えた。


 「ならば良し! 終わったら是非じっくり見せて下さいお願いします!」


 待ちに待ったヒーローの登場シーンだと言うのに、何故こんな残念な気持ちになるのだろう。

 とにもかくにも今回もまた、彼はここぞという所で登場してくれたようだ。

 これはもう、いつも通り返しておけば大丈夫な気がしてきた。


 「先生……遅いですよ?」


 「わりいな、ちっとばかし遠かったからよ。後は任せとけ」


 ニカッと笑って返事をすると、先生は私達に背を向けて宣言した。


 「このうらやま……けしからんクソジジィが。俺の生徒に手ぇ出した事後悔させてやらぁ。オラ、とっとと起きろ」


 気迫は充分だが、ここだけはせっかくなら格好良く決めて貰いたかったと思うのは私の我儘なんだろうか?

 まぁいい、これでこそ彼だ。

 私達の顧問の先生は。

 ”草加浬”という人物は、こう言う人なのだから。

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