神鳥のラストフライト
夜乃 凛
第一章 運命の一歩
1話 皇帝の棺
皇帝の棺。それは伝承上の存在。
かつて栄光を極めたベルマール帝国という国があった。その初代皇帝シャガール王の遺体が納められた棺。その棺には人間を不死にする力があるとも言われ、すべてを支配する力が込められているとも言われていた。
所詮は伝説上の話。しかしそれを信じる冒険者達は多かった。奴隷を雇い土を掘らせ皇帝の棺を見つけようと目を血走らせている者たちがいた。
皇帝の棺を見つけたものに教えよう。世界の真理を。
皇帝の棺を探すものに教えよう。お前の愚かさを。
木造りの建物の一室で一人の男が白いベッドに横になっていた。金髪が枕にくっついている。男は眠っているようだった。なにか夢を見ているようだ。
『お前の愚かさを』
男はバッと飛び起きた。見開かれた瞳は美しい緑色だった。
ベッドに座りながら辺りを見回す男。小さな部屋には木製の籠と小さな机ににランプ。ドア。それくらいしか見当たらない。誰もいない。
男はふうとため息をついた。少し汗ばんでいる。夢で嘲笑われている気分だった。
男の名はエリック。彼は若い。今いる部屋は宿屋の二階だ。昨晩からエリックはこの宿に泊まっている。
エリックの職業は探検家だ。勿論誰かに認めてもらった称号ではないので自称探検家かもしれない。その自称探検家であるエリックは探し求めているモノがあった。
皇帝の棺。見つければ数え切れないほどの財宝を得られるであろう価値のある棺。その棺を探しているエリック。
エリックが棺を探しているのには理由がある。不死の伝説だ。
棺には不死の力を宿す力がある……。
エリックはそれを信じた。それが正しい道なのか愚かな行為なのかはわからない。しかし彼はしがみつくように棺を探している。
不死の力。エリックが不死になりたいのではない。不死の体を与えてあげたい。大切な人のために。
「夢を見ていたのか……」
エリックはため息をついた。嫌な夢だった。お前の愚かさを……。
首を振るエリック。そして彼はベッドから起き上がった。左手の机の上の瓶を手に取り中の水を口に含んだ。滑らかで無抵抗な水。
エリックは白い寝間着姿であったので普段着に着替えることにした。白い寝間着をベッドに脱ぎ捨て黒い装束に着替え机に置かれている鏡を見た。
自分の顔が映っている。金髪に緑の瞳。
「(エリックは綺麗な瞳をしているよね)」
エリックの頭に浮かぶ一つの声。過去の思い出。大切な……。
「クスハ……」
呟いたエリック。そして木製のドアを開け宿屋への一階へと向かった。一刻も早く棺を探し出さなければならないのだ。一刻も早く。
エリックが階段を降りていく。左手は階段の手摺をするりとなぞっていた。一階に降りると広い食堂がエリックを出迎える。人はまばらだった。
「あんちゃん、随分遅いじゃないか!折角の料理が冷めちまったよ!」
部屋に響くような声。宿屋の女将だ。ピンクの服に白いエプロン。茶髪。体型はふっくらとしていてエリックの二倍は大きいのではないかと思われた。エリックは細身である。
「ごめんなさい。悪い夢を見まして」
「まあ、いいからさっさと食っちまいな。ほら、お食べ」
女将の前に机と椅子が並んでいた。エリックはその椅子の一つに腰掛けた。女将は白い盆に白米と瑞々しい野菜と茶色いスープを乗せてエリックの前に置いた。美味しそうである。肉が無いのが気がかりだがエリックはあまり肉を食べるタイプではない。
「いただきます」
「礼儀正しいじゃないか。あんちゃん、探検家なんだろ?」
「そうです」
「何を探しているんだい?まあ、探検家なんていうのはロクなものを探しやしないけどね。この宿屋にも何十人、何百人探検家が来たことか……どいつもこいつも、財宝、財宝。財宝を探している時間を労働に使えってんだ」
女将は鼻を鳴らした。エリックは苦笑している。
「……どうしても探したいものがあるんです。しかし話せば笑われるでしょうね」
「へえ……そいつは聞きたいね。もう一度聞くけど何を探しているんだい?」
人のまばらな食堂で向かい合っているエリックと女将。
「皇帝の棺です」
エリックは言い切った。朗らかな顔をしていた女将の顔が驚きに変わった。そしてまくしたてる。
「あんちゃん、誰に騙されているのか知らないけど皇帝の棺なんてものは無いよ。財宝のほうがまだマシだ。シャガール王の遺体だろ?いいかい、仮に遺体が残っていたとしよう。それでも伝説に出てくるような魔力をただの遺体が持っているわけがないよ。不老不死だっけ?あんちゃんまだ若いだろ?悪いことは言わない。そんな幻想に身を投じていたら破滅するよ」
「探さなければならないのです」
エリックの言葉は力強かった。己に言い聞かせているようにも聞こえる声。女将はその声に押された。
「理由は?」
「不老不死です」
「なんのために?」
「愛する人のために」
エリックの食事を食べる手は止まっていた。何度何回繰り返したかわからない誓い。愛する人のために。クスハのために。
「俺は皇帝の棺を探し出さなければならないのです。俺の恋人は病に冒されています。今はもうベッドからも立ち上がれない。それでも生きています。恋人の名はクスハといいます。クスハを救うためにあらゆる手段を使いました。しかしクスハを治せる薬師は存在しなかった。クスハの命の灯火は消えていっています。だからクスハを残して旅に出た。クスハを置いて。俺は絶対に皇帝の棺を探し出してみせます」
拳を強く握りしめるエリック。全ては愛する人のため。
女将はエリックの言葉を黙って聞いていた。そしておもむろに口を開いた。
「あんちゃんの意思はわかったよ。しかしそのクスハちゃんとやらは、どう思っているんだい?あんちゃんがいなくて寂しい思いをしているんじゃないのかい?それに……悪いけどハッキリ言わせてもらうよ。人間が他人に不老不死の力を与えたいなんておこがましいにも程がある。目を覚ましな、あんちゃん。あんちゃんが出来ることはそのクスハちゃんの側にいてあげることだよ」
「病ではないあなたにはわからない」
「確かにわからない。でもあんちゃんが人の道を踏み外そうとしていることはわかるよ」
「例えそうであっても、俺はクスハを救います。何を犠牲にしてでも」
エリックの言葉には鬼気迫るモノがあった。女将の言葉もエリックには届かなかった。
食事を摂る手を完全に止めているエリック。まだ皿には食事が残っている。
「……あんちゃんの覚悟は伝わったよ。どうせ見つかりやしないんだ。ほら、さっさと全部食べちまいな。探検家は体力勝負だ」
女将はやれやれといった様子で首を振っていた。
エリックはスプーンを手にして黙々と食事を食べ始めた。
食事を終えたエリックは女将に礼を言った。宿の代金は既に支払っている。なにかに急かされるかのようにエリックは宿を出ようとした。外の明るさが宿屋の中にまで伸びている。
「最後にもう一度言うよ。覚えておくといい。人間は人知を越えたものに手を出してはいけない。人間であればこそ人生に意味があるんだ。そこに超自然的なモノが関わってはいけないんだよ。不幸になる。あんちゃんの耳には届かないだろう。しかしいつかこの言葉を思い出してくれたなら引き下がるんだよ」
「ご忠告ありがとうございます」
エリックは頭を下げた。瞳に満ちる決意は変わらない。
「では行きます。お世話になりました」
「元気でな」
エリックは女将に背を向け光差す入り口から外へ出ていった。女将はその呪われた後ろ姿を最後まで見送った。
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