【居場所ならここに 02】

「今すぐに、というわけではありませんよ。アルバン先生は親切な方で、療養が必要な若子さんだけではなく、特に怪我もしていない私にまで、しばらくここに居ていいと仰って下さっていますし。だけど元の世界に帰れない以上、ここで生きていく方法は考えておかないと」

 目まぐるしい環境の変化についていくだけで精一杯で、今日に至っては呑気にだらけていた若子に対し、恋唯の考え方は冷静で現実的だ。改めて恋唯は大人の女性なのだと尊敬してしまう。

「そういえば……あのとき貸してもらったジャケット、どこかの会社のでしたよね。恋唯さんは、どういうお仕事をされてたんですか」

「パン工場の事務ですよ。社員情報のデータ入力や、出荷数の管理をしたり」

「あっ、じゃあ、あの美味しい食パンはそこのパンだったんですね! あれ、本当に美味しかったです!」

 目を輝かせた若子に対し、今度は恋唯が複雑そうな顔をする。

「どうしたんですか?」

「……私がパン工場で働いていたのは、子どもの頃に食べた、パンの味が忘れられなかったからなんです」

 恋唯は改めて、絵本の表紙に目を落とした。

「コンビニやスーパーで売っているような安いパンだったんですが、それがすごく美味しくて」

「思い出の味なんですね」

「はい。でも……その後にもっと、美味しいパンに出会ってしまって。ずっと考えていたんです。私はもう工場で作るようなパンでは満足出来ないのか。あの味を超えるパンと、出会うことはあるのかと……」

「工場じゃなくて、個人の方がやってるお店のパンってことですか?」

「ええ……そんなところです」

「パン、大好きなんですね。じゃあその……」

 若子が周囲をきょろきょろと見渡し、声を潜める。

「……ここのパン、なんかカチコチじゃないですか? 色も黒いし」

「ふふっ」

「も、もちろん、食べられるだけありがたいですよ! 文句言っちゃいけないのは分かってるんですけどっ!」

 申し訳なさそうに言う若子に、恋唯は優しい口調で教える。

「材料が違うんですよ。私たちが普段食べていたのは小麦から作ったパンですが、おそらくこの国はライ麦のパンです。小麦が育たない土地なのかもしれませんね」

「へえ、そうなんですか」

「この国の色んな事を知るためにも、やはり文字を覚えないと……。カミルくんが学校から帰ってきたら、頼んでみようと思っています」

「そ、それ、あたしも参加しちゃダメですか」

「若子さんも?」

「あたし、頭悪いですけど……恋唯さんと一緒に、頑張りたいです!」

「若子さん……」

 健気に意気込んでみせる若子の姿に、恋唯が目を細めた。

「若子さんは、とても強い方ですね」

「……あたしが、ですか?」

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