第41話 尋問

 ファブレットの画面には顔面に二発の拳を喰らってよろめく大門啓介の姿が映っていた。すぐさま駆け寄る黒服たちに取り押えられる高英夫こうひでお、そして映像のアングルが少しばかり低い位置になったことでミエルもまた押さえつけられていることが動画を見守る晶子にも理解できた。


こう先生、マジでなんてことするし。てかミエル、ミエルは無事なの?」


 画像に妙な揺れや振動が見られないということはミエルに暴力は振るわれていないようだ。いや、そう思いたい。夜の舗道でモニタリングすることしかできない自分にもどかしさを覚えながらも晶子はファブレットから目を離さずにいた。

 画面の中では二人の男に両肩を押さえつけられた高英夫こうひでおがもう一人の男に二発、三発と殴られていた。彼が打たれるたびに晶子もまるで自分が殴られているように顔をしかめる。ついに彼が崩れるように床に膝をつくと今度はボディーや背中に蹴りが入る。そのときミエルのチョーカーに仕込んだ隠しカメラの視界が黒い影に遮られた。おそらくミエルも残る二人の黒服に囲まれているのだろう。暗転した画面に音声だけが伝わってくる。


「もういいでしょう、縛り屋はそこいらに括り付けておきなさい。いつもはこのバニー君を吊り下げているご自慢のパイプに自分が縛られる気分はいかがですかな?」


 ハンカチで頬を拭いながら大門啓介が黒服たちにそう命じる声が聞こえた。次はミエルの番なのか。為す術のない晶子は居ても立ってもいられなかった。


「私にはレディーに暴力を振るう趣味はありません、ただし騒がずにおとなしくしていればの話ですが」


 晶子の手元に映し出される映像のアングルが微かにゆっくりと左右に振れる。そう、ミエルは大門たちに気付かれぬように飲みものを持ってきたあのバーテンダー、悠然ヨウランを探していたのだ。前に彼女は言っていた「目的は同じ」だと。それが本当ならばミエルたちに勝機があるかも知れない。しかしそんな思惑は大門啓介もまたお見通しだった。


「あなた方に味方する者はここにはいません。さっきのバーテンダーもこの騒ぎに紛れて下がってしまいました。残念でしたね」


 大門啓介が勝ち誇った顔で見下ろす姿が映る。続いて彼が黒服の一人に顎で合図すると短い噴射音が聞こえた。同時に映像のアングルが床を向く。催眠ガスだ。どうやらミエルは眠らされてしまったようだ。

 ミエルの言葉を借りるならばこれぞまさにピンチだ。それでも助けに行くことはできないのか。晶子が焦り始めたそのときだった、ファブレットからママの言葉が聞こえてきた。


「焦ってはダメ、すべてが台無しになるわ。ショーコちゃん、今は我慢よ。それに丸腰のあなたが行っても足手まといになるだけよ」


 ミエルからの音声もママの声もどちらも片方向通信、晶子が自分の意思を伝えることはできない。


「ミエルちゃんから映像が送られ続ける限りそれを確実に中継すること。それが今のあなたのミッションよ」


 その言葉を最後にママからの通信も途絶えてしまった。


「いったい何なのよ、もう!」


 晶子は自分ではどうにもならない焦燥感を抑え込まんと舗道のガードレールに身を預けて今はとりあえずファブレットの画面だけに集中するのだった。


 晶子が見つめる画面の右上に小さく表示される時刻は二〇時、いつしか通りの角ごとに客引きの姿が目立ち始めた頃、画面の中でも変化が起きていた。視界の中には黒服たちの黒い革靴、それが二人、三人と集まったかと思ったら今度は映像がグラグラと揺れだした。


「おい、起きろ。会長がお呼びだ!」


 その声と同時に映像のアングルも正面を向く。どうやらミエルは彼らにたたき起こされたようだ。微かではあるが高英夫こうひでおのうめき声らしき音も聞こえる。すると数メートル先に立っていた大門啓介が緊縛ショーの小道具であるバラ鞭を手にしながら近づいてくるのが見えた。


「これからこう先生には私の質問に答えていただきます。なあに、素直になってくれればすぐに終わりますし開放もして差し上げます」


 これから尋問が始まる。それは亡くなった亜梨砂ありさが残した権利書のことに違いない。道行く雑踏のほとんどが酔客になっていく中、晶子は画面の向こうでの会話を一言たりとも聞き漏らさんと今一度イヤホンを耳に強く押し当てるのだった。



――*――



 そこはダイモングループの牙城、ミエルは催眠スプレーでぼやけた意識を取り戻さんと首を振っては周囲を見渡していた。彼の両腕はバンザイするようにショーに使うパイプに括り付けられている。右隣ではこっぴどく痛めつけられた高英夫こうひでおが同じように拘束されていた。正面には大門啓介、奥の壁には大きなスクリーンがあり、その傍らにはビルの完成模型と小さなドローンが飾られていた。ただ広いだけの殺風景な空間のそこは普段は会議ホールであろうことはミエルにもすぐに理解できた。

 大門啓介がすぐ目の前に立つ。バラ鞭を弄びながら彼は高英夫こうひでおに問いかけた。


こう先生、単刀直入にお聞きします。芥野あくたの家の土地権利書はどこです?」

「知らねぇよ」

「もう一度聞きます。権利書はどこですか?」

「知らねぇよ」

芥野あくたの家に権利書はありませんでした。実印もです。預金通帳や小切手帳はそのままなのに権利書と実印だけがなかったのです。不自然だと思いませんか?」

「……」

「私は簡単なシナリオを考えてみました。引地ひきち地区の再開発に反対していた芥野あくたの氏は根っからのギャンブル好き、それが災いしてまんまと闇カジノに嵌まってしまった、ついには馴染みの仲間までも巻き込んで。しかしその負けは遊びの範囲を超えてしまい、ついに返済困難になってしまった。このままでは返済のために土地家屋を手放すことになる。巻き込まれた仲間もまた同じ、彼らは当然彼を責めたことでしょう。そして彼は我が身を挺して謝罪をした」

「……」

「しかしそのままでは地上げにあらがいい続けた土地と家が人手に渡ってしまう。ならばせめて一人娘にそれを託そう。こうして彼は占有屋の裏をかいて権利書と実印を娘の亜梨砂ありさに届けた」

「なるほど、よくできた話だぜ。あんたそろそろ隠居して小説家にでもなったらいいさ」


 高英夫こうひでおが挑発するも大門啓介はどこ吹く風、眉ひとつ動かすことなく手にした鞭を振り下ろした。乾いた炸裂音、まるで自分が打たれたかのように隣で拘束されているミエルも眉をしかめた。


「とぼけても無駄です、高先生、あなたと亜梨砂は事実上の内縁関係、あなたが知らないはずはない。そろそろお話してください、権利書はどこにあるのですか?」

「知らねぇよ」


 相手に負けじと虚勢を張っての薄ら笑いとともに同じ言葉を繰り返す高英夫こうひでおだったが、大門啓介は周囲の黒服たちに目配せした後、今度はミエルに顔を近づけた、不敵な笑みを浮かべながら。


「ふふふ、小さなレディーにはもう少しだけこのままお付き合い願いますよ。どうぞこの状況を目に焼き付けておいてください、その衣装のどこかに仕込んだカメラとマイクを使ってね」


 やっぱバレていた。今回は本当にピンチだ。いやな動悸の高まりを感じながらミエルだけでなくビルの外でモニタリングしている晶子までもが固唾を呑んで大門啓介の一挙手一投足を注視するのだった。

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