第8話 現実
不器用ながらもなんとかムーンウルフの素材をはぎとりバックパックに詰めて俺はまた北東に向かい歩き始める。
巨木が乱立するこの森をひたすらに歩きながら俺は昨日見た夢を思いだす。夢の世界で夢を見るなんて不思議だとは思いながら。
俺の思い出したくない過去を映し出す夢だった。前世で俺の命を奪った忌まわしきあの事件の時の夢だ。
あの時、俺をかばって致命傷を負った幼馴染の凛香が、いまわの
―――最後まであきらめないで。私の分まで強く生きて……。
凛香は自分の命が尽きるのを分かっていて、それでも涙を浮かべながら笑顔でそう言ったんだ。
でも俺は、結局その後にしぶとくも復活した雄我と刺し違える形で命を落とした。だから、凛香の約束を果たせなかった。それが俺の大きな後悔のひとつだ。
このタイミングでなぜそんな夢を見たのかわからない。
だけど、この時のことを思い出すたびに俺は己の無力さを突き付けられるような気分になる。前世で俺がもう少し力があったなら、もう少し違った未来があったかもしれない。
そう思わない日は無い。
確かに俺はひどい虚弱体質だった。だけどそれは言い訳にならない。正直、前世で俺は強くなろうと最大限の努力をしていたのか問われれば自信をもって答えることができないからだ。どんなに体が弱くたって何かできることはあったはずだ。
俺の前世の後悔を思うといつも憂鬱な気分になる。だけどこの気持ちは忘れちゃいけないとも思うのだ。
今俺は夢の世界にいるのだからあまり意味はないのかもしれないけど、そうであってもこの時の後悔を糧に強くなるという強い意志だけは持ち続けなきゃいけない。
そうじゃなきゃ俺は凛香に顔向けできないから。
凛香のことを想っていたら目頭が熱くなり、いつの間にか涙が零れ落ちていた。それを腕で拭って前を向き、俺はまた歩き出す。
――――――
そうして森を一人歩いていると、ふと嫌な予感を覚えた。肌を刺すようなピリピリとした感覚だ。
俺はこの眼を持つからか、子供のころから自分の身に降りかかる不幸な出来事の前触れとして不吉な予感を感じることがあった。この予感はたいてい当たる。
そして同時に気付いた。
「静かすぎる……」
この森は魔物だけではなく動物や虫などの生き物にあふれている。普段はどこかで鳥の鳴き声や虫の音が聞こえ、時々小動物が動く音も聞こえるというのに、今は完全な静寂が森を支配していた。
まるですべての生き物が何かに怯え逃げ去ってしまったかのようだ。
俺はなぜかこれ以上進んではいけないような気がして立ち止まり、すぐさま《彗心眼》を強く発動する。
メガネは何も反応していない。
……いた。遥か前方、草陰に紛れてよく見えないが、200メートルほど先に何かが光るのをとらえた。その光の強さは今まで見た魔物の比ではない。
その何かは、こちらに背を向けてもぞもぞと動いているように見えた。食事中なのかもしれない。その姿は屈んではいるもののかなり大きい。
よく見るとそれが食らっているものが僅かに目視できた。二本の枝分かれした尻尾がみえたのだ。
あれは、先ほど逃走したムーンウルフじゃないのか?
そう認識したとき、それは不意に俺の方に振り返った。そして200メートルほども離れているにもかかわらず、確かに俺と目が合った。
!!!!
その瞬間、背筋が凍りつき怖気が走り、声にならない悲鳴が出た。気づけば俺はそれに背を向けて全力で走っていた。
あれはヤバい。今の俺が手出ししちゃいけないものだ。そう本能的に理解させられた。
俺は全力で逃げる。しかし、巨木がなぎ倒される音が俺を追いかけるように聞こえてきた。
「ヤバい!追ってきている!」
俺は追われる恐怖にたまらず、後ろを振り返りその生き物を見る。
それは全長4メートルは在ろうかという巨大なクマに似た魔物だった。
いかにも強靭な黒い毛皮を纏っており、首回りにはライオンのような茶色の
そして、俺の胴回りは在ろうかという腕が通常の位置に二本、そしてそのすぐ下の脇に当たる位置からもう二本生えていた。そしてその強靭な二本の後ろ足と合わせて六本の手足で巨木をなぎ倒しながら他に目もくれずにものすごいスピードで俺に迫ってきていた。
まるでブルドーザーのようだ。
「はは、はっ。なんだこのデカい奴は。……冗談だろ?」
―――ピピピッ!
メガネが魔物を認識する。
――――――
“ギガントグリズリー”
“ALT:342”
――――――
342!? 今までの魔物と強さの桁が違う。ALTだけでいってもムーンウルフの20倍を超える強さだ。勝てるわけがない!
それに、その巨体のわりに素早い動き。どの道逃げられない。例え勝てなくとも、どうにか手傷を負わせれば逃げおおせるかもしれない。
俺は覚悟を決めて、迫るギガントグリズリーに対峙する。
グリズリーは対峙した俺を見てさらにスピードを上げた。このまま俺をひき殺すつもりなのか。
インパクトの瞬間が勝負だ。ギリギリで躱して交差するタイミングで高周波振動ブレードで足を狙うしかない。
俺は《彗心眼》を全開発動して、奴の紫色の《
グリズリーがまるで壁の様に目前に迫る。俺はどうにか恐怖を押し殺し一歩前に踏み込んだ。その直後、グリズリーは四本ある腕の一本を斜め上から高速で振り下ろしてきた。《彗心眼》で先読みしていた俺は、更に一歩大きく踏み出し、風を切り裂いて予想以上のスピードで振り下ろされた腕の懐に潜り込む様にギリギリで躱す。
良し!何とか躱せた、このまま振動ブレードで……
そう思った直後、間髪入れずにもう一本の腕が横なぎに振るわれたのを《彗心眼》がとらえた。俺はブレードでの攻撃を諦め、半ば反射的に体を限界までよじってそれを全力で避ける。
振るわれた手の鋭い爪が俺の胸をかすめた。
グリズリーが眼前を通りすぎて行く。その間際、俺は死角から襲い来るその攻撃を認識できなかった。俺の腕程もある尾が顔をしたたかに打ち付けたのだ。
直前、ギリギリで腕を上げて直撃を避けたがそれでも恐ろしい威力に黒縁メガネがはじけ飛び、俺は転げるように吹き飛ばされた。
吹き飛ばされた俺は、それでもどうにか立ち上がりグリズリーに再び対峙する。
グリズリーは俺に向き直るとその太い二本の足で立ち上がり、四本の腕を大きく広げて俺を威圧する。
―――グルグゥウ
なんてデカさだ。まるで巨大な壁を相手にしている様だ。そして、その体内魔力がまぶしい程に光輝いた。桁違いの《身体強化》。
直後、巨体の自重をも乗せた強力な振り下ろしが上からおおいかぶさる様に俺を襲う。
それを一歩大きく後ろに踏み出して、ギリギリでそれを避ける。が、その振り下ろしにより発生した暴風と地面に衝突した際の衝撃が襲い吹き飛ばされる様に後退する。
その後もまるで嵐の様に振るわれる追撃を何とか躱すものの、その風と衝撃でまるで反撃に移れない。
更に悪い事が起こる。何故かわからないが、先程から急に体調が悪化し始めたのだ。
頭がもうろうとする。体中が気怠い。まるで生前の子供の頃に戻ったようだ。
呼吸をするように行えるはずの
“流水心”の要である
そうなれば、必然的にグリズリーの攻撃を躱しきれなくなる。致命傷は何とか避けているものの、次第にグリズリーの攻撃を避けきれず吹き飛ばされることが多くなり、気づけば体中が傷だらけになっていた。
グリズリーにとって俺は羽虫の様な存在なのだろう。俺が指でなでるだけで死ぬような存在だとやつは正しく理解している。それなのに仕留めきれないことに苛立っている様だった。
その苛立ちが今の俺には有利に働く。次第に攻撃が単純になってきているのだ。
そうじゃなきゃ
グリズリーがその苛立ちのまま立ち上がり大きく腕を振り下ろそうとしている。
―――ここしかない!
なぜか分からないが急激に体調が悪化し始めた俺が攻撃を加えられる瞬間は今しかない。そう思った俺は、腕が振り下ろされると同時、多少のダメージ覚悟で大きく跳ねる様に一歩踏み出し、グリズリーの懐に潜り込む。
直後もう一本の腕の追撃が来るが、それを体をかすめる様に躱しそしてグリズリーの後ろ足の股をくぐる様にさらに低く踏み込んで宵闇の籠手の高周波振動ブレードで切りつけた。
キンッ!
「!?なっ!」
だが、俺の渾身の攻撃はその硬い剛毛と皮膚に弾かれて何ら傷を負わすことができなかった。いや、これは仕込み刀の《高周波振動》が発動していない?
そうか!あのメガネが無くなったからオート発動しなくなったのだ。
どおりで《
俺にはもう攻撃手段がない。メガネが無ければ
万事休すだ。どうする?
ヒラヒラと落ち葉の様に躱し続ける俺に、グリズリーは怒りの頂点に達したのだろう。二本脚で立ったまま、俺を睨みつけ威圧した後、大きく息を吸い込んでのけぞった。
と同時に、恐ろしい程の体内魔力の反応がその胸に集中したのを俺は視た。直後―
―――ガァァオオォォン!
森中を震わせる程の大音量の咆哮が衝撃波となって俺を襲った。
それは俺の体を、脳を、そして
足が、腕が痙攣し、全身に力が入らない。指一本動かせないのだ。
「なっ……何が起こって…!まずい!」
俺が動けなくなるのが当然と言ったふうにグリズリーは勝ち誇った様に俺を見下ろしゆっくりと近づいてくる。
早く動け!頼む動いてくれ!
俺の心の叫びも虚しく目の前まで接近したグリズリーがまるでオモチャで遊ぶかの様にその腕をおざなりに振り下ろした。
―――ズシャ!
直後俺はボウリング玉の様に転がり巨木の幹に打ち付けられて崩れ落ちる。胸を引き裂いた鋭い爪跡が焼ける様な強烈な痛みを伝えてくる。
「ガハァ!」
胸から迫り上がる血に咽せ返り吐血した。
ヤバいヤバいヤバい!このままじゃ死ぬ。
倒れ伏し混乱の最中、俺は確かに死のカウントダウンを聞いた。グリズリーの足音だ。
次は確実に殺しにくる。そう思った途端、腹の底から、魂の底から恐怖が込み上げてきた。
奥歯がガチガチと鳴って今まで聞いたこともないほど早い鼓動が煩く響く。瞳孔が開き血の気がひいて汗が噴き出る。
コレは夢なんだから例え死んだって大丈夫なんじゃないか?そんな甘い思考が一瞬過ぎる。
……だが、本当にそうか?本当にこれは夢なのか?
この魂の底からくる恐怖は紛れも無く本物。このグリズリーに引き裂かれた胸の痛みと恐怖が事実を告げている。
―――これは現実だ。
俺は、本当はこれが夢じゃなくて現実だってどこかで気づいていたのかもしれない。例え現実でなくとも、これだけ鮮明に五感を感じられるなら現実と何も変わりはしない。
しかし、現実と分かったところで何も変わらない。むしろ現状の深刻さが増しただけだ。
その現実の死が目前に迫っている。
にもかかわらず、俺は口角が上がるのを止められない。そればかりか、次第に笑いが込み上げてくる始末。
「ははっ。そうか。現実か。ここは現実だったのか。あはははは!」
俺の心からの笑いがグリズリーにはどうやら不気味に映ったようだ。死のカウントダウンを刻んでいたその足音がいつの間にか止まっていた。
何故、笑うのかって?そんなの聞くまでもないだろう?
ここが現実だということはつまり、俺は今この瞬間現実に生きているということだ。夢の世界で意識だけ生かされているのとは違う。
なら、俺は今、凛香の願いを少しでも叶えられていると言う事だ。これほど嬉しいことがあるだろうか。一度死んだ俺が、違う世界とはいえ8日もすでに生きながらえているという事実が嬉しくてたまらないのだ。
俺はこの二回目の人生をくれたばあちゃんに、そして凛香に心の底から感謝した。
そう考えたら、つい先程まで感じていた恐怖はいつの間にかどこかに吹き飛んでいた。
―――最後まであきらめないで。私の分まで強く生きて……。
凛香はそういったんだ。
なら、次に俺がすべきことも自ずと
俺はボロボロの体を引きずるように、しかし強い意志を持って立ち上がった。
「こんなところで死んでたまるか。生き足掻いてやるよ!」
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