ぜんぶパンツのせいだ!

アサミカナエ

1-pantie

第1話 紐パン

「つ、つつつちっ、土浦……さんっ」

「あーい」

「ぼ、ぼぼぼ僕とっ、けっこんしてくださいっ!!」


 間違えた、と思ったときにはもう遅かった。


「……ぷっ! あっははははは!! なんで付き合ってもないのに、プロポーズなの!? ひーっ、笑いすぎてぇ、お腹いたいーーー!!」


 目の前で、女子生徒が腹を抱えて笑い転げている。


(終わっ……た……)


 僕、君嶋きみしまりょうは、二人きりになった放課後の教室で、同じクラスの土浦つちうら愛衣めいに告白をした。


 結果はご覧の通り、大失敗だ。


 爆笑する彼女の前で、僕は膝からくずおれた。心臓がぎゅうっとねじり上げられるように痛くて息ができない。


 この状況で良かったことを挙げるなら、頭を下げていたおかげで情けない顔が見られなかったことだろうか。

 全然プラマイ0ではない、むしろマイナスだ。


「あははははっ! 良かったよぉ、オタクくぅん。まあ、がんばって、け、結婚してねぇ? ぷふっ!!」


 この女、人の心がないのか?

 まだ顔を真っ赤にして笑っている女子を、僕は冷ややかに見上げる。

 僕たちは今日ほとんど初めて喋ったのに。この対応、失礼ではないのか?


「な、なあ、土浦」

「は?」

「……土浦、さん」


 これ以上なめられてたまらないと呼び捨ててみたが、睨まれてすぐに撤回した。

 別に怖気おじけづいたわけじゃない。

 僕が柔軟だということだ、うん……。


 彼女は笑いすぎて出た涙を指でぬぐい、窓際の机に腰掛けた。

 猫背の僕とは違って堂々としていて、思わずカッコいいと見惚れてしまう。


 おもむろに組んだ脚がすらりと、こちらに向かって伸びた。

 無駄な肉がついていない、すべすべして柔らかそうな脚に、僕の視線は釘づけになる。


 凝視してからハッと彼女の顔を見れば、おまえの視線はお見通しだという三白眼が待っていた。

 うろたえる僕をじっとりと眺めたのち、意味ありげに小さな口の端を上げた。


 まな板の鯉とはこのことか。居心地が悪くて吐きそうだ。


 いっそのこと逃げてしまおうかと思ったが、目的を果たしていない今はそうもいかない。


 それに――。


 彼女の不真面目さを象徴するこげ茶色の長い髪や、透明感のある肌が夕日で薄く透けてきらめく様は、まるで青春映画の一幕のようで目が離せなかった。


 考えてみれば、クラスの中心人物と孤高の僕が、放課後の教室に二人きりだ。

 こんな状況が起きているなんて、今でも信じられない。


 できれば。


 これが夢だというなら。




 ――――即刻覚めてくれっ!!


「オタクくんって頭いいのにむっつりだね〜?」

「があああああああああっ!!」


 思わず、彼女の声をかき消すように叫んだ。

 クラスの女子にそんな風に思われるなど、汚点も汚点!


 ……だから聞かなかったことにした。あれは空耳だった。

 精神を守るために真実を煙に巻く、シュレディンガーの猫状態まで力技で持っていく。


 ついでに、呑気にしている彼女へと詰め寄った。


「も、もう満足しただろ! 返してくれよ!!」

「えーなに、大きな声で。だったら勝手に取れば?」


 はたと気づき、視線をさまよわせる。

 そういえば、彼女の両手はさっきからずっと空だ。

 僕から奪ったアレ・・は、一体どこにあるんだろうか?


「どっちのポケットでしょーかっ!?」


 考える間もなく答えが発表された。

 それがまた、とんでもない場所だった。


 土浦はカーディガンの裾を持ち上げて見せた。その下からチラリと見えるのは短い制服のプリーツスカートだ。

 おそらくそれについているだろう左右のポケットに、僕のほしいものがあるというのか。


 壁の時計を見上げた。

 17時20分。そろそろ本気でまずい。

 僕は意を決して、ゆっくりと彼女に触れられる距離まで近づく。


「どうぞ?」


 花のようないい匂いがして一瞬たじろいだ。

 そんな僕に向かってまた、にやり。

 迷いなく、真っ直ぐに目を見てくるところが陽キャの苦手なところだ。


 視線を彼女の腰へと落とし、ごくりと生唾を飲み込む。

 まさかその薄い布に手を突っ込み、僕にまさぐれと?

 じょ、冗談じゃない……。


「んふふふ、鼻息ヤバいよ?」

「ぐっ」


 思わず拳を握りしめる。

 落ち着け、君嶋きみしま りょう

 彼女は僕をからかっているだけで、へりくだる必要などない。

 であればそんな人間を相手に、紳士的に振る舞う理由はないのだ。


「つ、突っ込ませてもらうからな」

「突っ込むって? なにを? どこに?」

「手を! ポケットにだ!!」


 こいつ、わざと言ってないか!?

 悪魔のささやきに耳を傾けるな。と、深呼吸して心を落ち着かせる。


 ――日本人が右利きである割合は8割超えというデータが国から出ている。ならば彼女を右利きと仮定し、ここでは右側のポケットを狙うのが正解だ。


(クク……。こんなふざけた茶番も僕の頭脳の前ではジ・エンド、だ)


 あたりをつけたら一直線。目をつむって彼女のスカートに手を這わせる。


「ちょ、やんっ、くすぐったいってば〜」

「〜〜〜〜っ!!」


(耳を傾けるなァ、無になれェぅぅァッ!!!)


 だがしかし、いくらプリーツの間に指先を這わせても、そこにあるはずのポケットがない。おかげで頭が真っ白になる。


「ど、どど、どう……して……」

「ざんねーん。こっち側にポケットはついてませーん。きゃはははは」


 引っ込めた手のひらを見つめた。

 小刻みに震える手に、心がポキリと音を立てて折れる。


「さ、もっかいやっちゃう?」

「……」


 もう諦めたかった。

 しかしこれは僕ひとりの物語ではないのだ。

 好きな人への真心を証明するための試練だと、脳内のスイッチを入れ替える。


「こ、こ、今度こそ返してもらう! に、逃げるなよ!」

「ウチはさっきから一歩も動いてないっつの。というかまどろっこしいなぁ、ホラ」

「!?」


 腕を引かれたかと思えば問答無用、そのまま左のポケットに手を突っ込まれた。

 手のひらに伝わる生暖かさに心臓が止まりかけたとき、ざらっとしたメッシュと硬い紙の質感を指先に感じた。それこそが目的の物だった。


 瞳に希望の光が差し込んだ。

 指先に力を入れ、夢中でそれをつかもうとした……のだが、メッシュに手がつるつる滑るばかり。


「あ、あれ? ど、どうして……」

「どうしてってウチ、ポケットに入れたなんて一言も言ってないしー?」

「ひ、卑怯だぞ!?」


 騙されたと知り、僕は手を引っ込めた。

 僕の気持ちも知らず、土浦は相変わらずニヤニヤと余裕ぶっている。


「オタクくんって頭いいと思ってたけど、実はバカ?」

「き、期末テストでは学年1位ですが!?」

「あはは、必死でマウント取ってんのかわち〜」

「というかそれの構造、い、一体どうなってっ」


「うるさい」とばかりにピッと伸びた彼女の人差し指が、僕のあごに触れた。特に力を入れられたわけではないのに、なんとなく後ずさりしてしまう。


 とんっと、羽を落とすような軽い所作で机から降りた土浦は、勝ち誇ったような瞳で僕をとらえた。


「さあて、どうなってると思う?」


 陽キャ特有の嫌な圧に押されて、さらに二、三歩後退する。


 次は一体なにをされるのか。

 ひるむ僕に対し、土浦はクスクスと笑っていた。


 彼女はおもむろにスカートの片端をつまんだ。

 そしてどこぞの姫君があいさつをするように、片方だけをゆっくりと横へ持ち上げていく。


 それはさすがに持ち上げすぎでは……と見ていると。


「ちら☆」


 ――おパンツ――。


 ドクンッ!


 そこは美しき夢の秘境。男子たるもの、いつかは探しにいかねばならない天竺ガンダーラである。


 君嶋きみしま りょうの目に飛び込んできた人生ファーストおパンツは、白肌に沿う赤いリボン結びのヒモであり――。


(って、あれ?)


 よくよく目をこらせば、リボンに僕が探していたものがぴたりと挟まれている。


「んなああああ!! 汚いだろうがーーーーーっ!!」

「はああ!? 汚くないしっ!?」

「………っあ」


 目の前がチカチカしたと思った瞬間、たらりと。

 鼻から粘度強めな液体が垂れ落ちた。


「ちょっと! オタクくん、血! 血が!」

「う、あ、うああああーーーーーっ!!!!」


 突然の出血に狼狽える二人。

 僕は鼻を手で押さえると、その場を脱兎の如く逃げ出した。


 違う。決してパンツに興奮したんじゃない。

 あまりのショックにこうなっただけで!


 だが、彼女が盛大に勘違いしていそうなのが悔しい。


 どうして。

 どうしてこんなことになったのだろう。


 僕はただ、土浦さんに告白したかっただけなのに――!



 

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