ファイちゃんの冒険
ここから抜け出す方法がある。そうだったらいいよね。
*****
ファイちゃんはJR吉祥寺駅の改札をくぐります。
中央線上りホームに向かう階段では、両側の壁に鯨幕がかけられていました。
ファイちゃんのアタマは、破壊への信仰に満ちています。
アタマの中では実家の玄関をハンマーでぶっこわし、国宝の塔に火を放ちます。
まず、玄関ポーチのタイル敷きになっている部分を何度も何度も叩きます。割れたタイルの下からセメント部分が露出し、かつての姿とはかけ離れた模様が刻み込まれます。さらに執拗にハンマーで殴りつけることで、陶器素材の破片があたりに散らばります。ファイちゃんはハンマーの先端がタイルで粉っぽくなったのをそのままに、勢いをつけて玄関ドアの真ん中に振り下ろします。表面がべっこり凹み、特にハンマーが接した部分は白っぽくなりました。
アタマの外ではJR吉祥寺駅の階段を登ります。
からんからんとハンマーを引き摺りながら。
ファイちゃんはホームに出ました。
キオスク、ジューススタンド、乗り換え案内、ダイヤ表、自動販売機、全てに鯨幕がかけられています。
音すら喪に服したかのような静寂。
ファイちゃんは首にかけていたヘッドホンをつけて、スマホからプレイリストを再生します。
歌は確かに良いけれど、破壊はもっともっと良い。
ファイちゃんはそう思いました。
ファイちゃんは鼻歌のように破壊をするのです。
ハンドクリームのおかげでぴかぴかの両手でハンマーをふるえば、歌だって破壊できると思いました。
国宝の塔は焼け落ち、さて石造の教会はどうしようと考えます。爆弾を仕掛けるのがよいでしょう。本当の爆弾は丸くないことをファイちゃんは知っています。
ファイちゃんのアタマの中では、複数の破壊のイメージが同時並行で進みます。玄関扉をベッコリ凹ませたら、次は扉の横に付いている表札を2回の殴打で破壊します。落下した表札の破片をじゃりっと踏みつけながら郵便受けを破壊。最後に振り返ってドアノブの上についているシリンダー錠をガンガンガンガンガンガンガンと7回の殴打で破壊。ドアノブが無いとドアを開けるのが難しくなってしまうため、破壊は最後にするのが吉!ドアを目いっぱい開いて上部の隅についているドアクローザーを破壊。そのまま180度まで開き、内側のドアノブを叩いて破壊すると同時に外側のドアノブも壁に挟んで破壊!さっき殴った扉の中心がこちらに突き出しているのを一瞥して、ファイちゃんは実家の中へ入って行きました。
ハンマーを駅のホームの床面にコツコツ当てると、密度の高い振動が手のひらから伝わってきます。
ファイちゃんはこの感覚が大好きです。
ファイちゃんが見上げた駅前の建物群の向こうの青空に、轟音を響かせながら黒い直線が引かれてゆきます。
それがいったい何であるか、気にする人はいません。
少なくともホームにはうずくまる白い塊が点々と転がっているだけです。
黒く引かれた直線から、やはり鯨幕が噴き出して空に垂れ下がります。
まるで、空に傷がついて血が垂れたようです。
目を凝らして見ると鯨幕の下端には等間隔に白い塊がくっついており、その重みによって幕は風を受けて帆のように張っています。
電車が来ました。
ガラ空きの電車です。
ファイちゃんはガラ空きの電車が大好きです。
今日も右足から電車に乗り込みます。
アタマの中では、実家の廊下へ土足で上がり込んで進みます。白い塊がふたつ転がったリビングを通ってキッチンに入ると、その奥には大きな冷凍庫が鎮座しており、何重にもチェーンが巻かれているのを発見します。ファイちゃんは困ってしまいました。チェーンカッターは破壊の信仰に反するのです。
電車が発進します。
ファイちゃんはよろめきながら窓の外に目をやりました。
空には幾重にも鯨幕が張られ、東京に近づくにつれ眼下の建物は次々と燃え上がっては花に置き換わっていきます。
ファイちゃんは良い方法を閃きました。
冷凍庫のドアをハンマーで破壊し、粉々になればチェーンの隙間から取り除けます。そうすれば用は足りるでしょう。アタマの中でハンマーを振るいます。ファイちゃんは絶好調です。
アタマの外の車内には抹香の匂いが漂い始めましたが、そんなのはわかりきったことでした。
ファイちゃんは急に気がつきました。
ファイちゃんは昔から、「自分はアタマの外に閉じ込められている」と考えることが多かったのです。
だからアタマの中と外に穴を開けて両者を開通させたいと思っていましたが、それは物理的な穿孔によって満足されるものではありません。
そして、たった今、アタマの中と外が繋がったと気が付いたのです。
アタマの外の中央線が、猛スピードでアタマの中へ突入している、と!
眼下に広がる建物群を、隙間から吹きあがった火の舌が花の舌と化して舐めとっていきます。放火や爆弾による破壊が次々に成功しているのでしょう。ファイちゃんの実家のキッチンに、ハンマーを振るう鈍い音が響きます。ファイちゃんは木魚を叩くように破壊をするのです。冷凍庫のドアを破砕し、カケラをチェーンの隙間から引き剥がします。他の建物の破壊を終えたファイちゃんがひとりふたりと次々にキッチンに集い、言葉を交わすこともなく人数分のハンマーで冷凍庫のドアを叩きます。
ファイちゃんは楽しくてたまりません。
ついにアタマの外から脱出できるのですから。
ファイちゃんは電車の床にへたり込み、進行方向に視線を向けます。窓枠や吊り革、広告、座席の配置が直線的に消失点へ向かっています。今や世界の主であるファイちゃんが目を輝かせると、この直線はお寺の参道へと変貌します。参道から木造の仏閣へ、仏閣から石造の教会へ、教会から高層ビルの外壁へ、外壁から手術室のナイフへ、ナイフから中学校の廊下へ、廊下から長大な葬列へ。知りうる限りの信仰にひそむ直線的なイメージを通過し、想像しうる最速のスピードで、ファイちゃんのアタマの中へ!
ファイちゃんは長大な葬列の真ん中を通り抜け、先頭車両の最奥で花に囲まれた冷凍庫を発見します。ハンマーを携えた沢山のファイちゃんが、左右対称の構図でファイちゃんを待ちます。冷凍庫の扉は見事に破壊され、形状に余裕ができたことでチェーンも外されていました。窓の外では、アタマの中と外の景色が混ざり合っては高速で流れてゆきます。
アタマの外からやってきたということが、沢山のファイちゃんのうちファイちゃんを特別たらしめているのは皮肉なことだと思いました。
ファイちゃんはハンマーを引き摺って焼香台まで歩いてゆき、冷凍庫の前で一礼します。抹香を摘んだところで沢山のハンマーがファイちゃんの後頭部を殴打しました。こんなのはわかりきったことでした。
私は電車を降りました。
ファイちゃんのアタマは、破壊への信仰に満ちています。
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