第6話 マリアの恋

 赤毛を連れたマリアの旅路は順調だった。

 マリアは夜、暗くなると怯え、またジュリエッタたちのことを思い出し泣いているようだったが、その間は近づかないで欲しいと言われた赤毛は遠くからオロオロと見守るしかなかった。


「ゴブリンを信頼しろとでも言うのですか?」

「信頼? マリアはゴブリンを嫌いか?」

「嫌いです! ジュリエッタ先生たちにあんな酷いことをしたものを好きになることなんてできません」

「ゴブリンはいらないのか?」

「……ワンさんはそこまで嫌いではありません」

「そうか」


 最初の晩こそ、襲われる可能性も考え警戒していたマリアも、自分の言うことにはまるで騎士のように服従する赤毛に対し、徐々にだが心を開いていた。

 その中で赤毛が認識しているゴブリンの生態についても学んでいく。


「そうなの……人と交わるとゴブリンは死んでしまうのね」

「人間ではなく、雌だ。ゴブリンはどんな雌とも交わることができる。子宮があれば雌はゴブリンの子を孕む。そして4年くらいで死ぬ」

「ええ……でもワンさんは30歳なんですよね。生きているということは?」

「そうだ。俺は誰とも交尾をしたことがない」

 

 その言葉にマリアの顔は真っ赤に染まる。


「こ、交尾……って、ワンさん、直接的な表現はやめてください」

「ご、ごめん。マリア。怒らないでくれ」

「怒ってなんていません。でも、ワンさんはなんで……その……こ、交尾をしなかったのですか?」

「わからない。したいとは思わなかったのだ」

「そうなのですね。まるで聖職者のようなゴブリンだったのですね……あ、聖職者もそれぞれですが」


 そしておずおずと赤毛の表情を伺う。


「ワンさんは……その私ともそういうことをしたくなったりしないの?」

「ならないぞ」

「馬鹿!」


 歩きながら、あるいは寝る前。

 マリアは赤毛と語り合った。

 幾日も、幾日も。

 

「ワ、ワンさん? どこにいます?」

「マリア! どうした? 大丈夫、俺はいるぞ」

「ご、ごめんなさい。急に怖くなって」


 追っ手を避け、人のいる街道では無く森の中をひたすら進む二人の距離は、いつしか近づいていった。

 赤毛は最初からマリアに恋しており、マリアは徐々に赤毛に依存していったのだ。


「ワンさん! どこです! 蛇です!」

「すぐそばにいるぞ! こいつか。喰えばいいのか?」

「どこかに捨ててきて!」


 後宮に入り、皇帝の寵愛を受ける時期が来るのを待つだけであった娘と、マリアの恩師や親友を陵辱したゴブリンの王の歪つな関係は、それでも終わりを告げる。


「海だ」

「海ですね」


 ついに深い森を抜け、二人はパールサにつながる海へ出たのだ。

 ゴブリンの集落から、62日目のことだった。


「ここから右です」

「城みたいなものは左の方に見えるが……」

「え? あ、あれがパールサの城です」

「そうか」

「ここから左ですね」


 地図というものを知っている赤毛は右と左で判断するマリアに多少の危うさを感じて、とりあえず街道沿いを連れだって歩くことにした。


「どうした、マリア? 何か気になっているのか」

「藩都に付いたらワンさんとはお別れですね」

「なぜだ?」

「人間の世界です。見た目が人間でもワンさんはゴブリンなのですよね……ですので……あの、一緒にいることは無理ですよね……その……私はずっと一緒がいいのですが……」

「一緒にいるぞ」

「え?」

「別に、すぐそばにいなくてもいいいだろう。俺はマリアのそばで暮らす。人の社会で生きていくことが無理であれば、どこか近くの森で暮らそう。俺はマリアを見守る。マリアと離れれば、心が冷たくなる。マリアが呼べば、すぐに駆け付ける。心がマリアと離れたくはないと言っている」

「ワンさん!」


 マリアは赤毛に抱きついた。


「ありがとうございます! ずっと一緒に……」

「マリア! マリアのことを考えると胸が苦しくなる。心があるというのは不便なのだな」

「嬉しい。マリアはワンさんのことをずっと思っております。そばにいなくてもずっと一緒なのですね」

「マリア? マリア!」

「え? わっ」

「なぜ光ってる!?」


 感情のまま抱き合った二人は突如まばゆい光に包まれた。

 そしてその光はやがて収束し、ゆっくりとマリアの下腹部に吸い込まれ、消えた。


「大丈夫か? マリア、痛くないか?」

「え、ええ……なんでしょう? 今の?」

「わからない」

「……」


 マリアはふと、自分がゴブリンとはいえ、男性に抱きついていたことに気が付いて慌てて離れた。


「すみません。ずっと水浴びもしていないので……臭いですよね?」

「なんだ? マリアは良い匂いだぞ」

「馬鹿っ」


 マリアの声にはお互いの気持ちが通じ合った気安さが含まれていた。

 きっとこれが初恋。

 マリアの初恋。

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