第106話 夕立風、祓川


 生存していたあの人の銀河の下へ会いたくて、闇空に向かって果敢に飛翔するんだ。


 


 深夜の黒南風に吹かれながらも蒼く発光する源氏螢は、大切に仕舞われた宝石箱の中に沈んだオパールのように光りながらも舞っていく。


 通り雨が降って間もないから漆塗りのように地面が濡れている。


 


 祓川の土手に咲く、山百合が暗緑色に染まり、茜雲は群青色へと変貌を遂げ、私は螢の光源を追いかけた。


 


 革靴が夕立風の夜露に濡れ、身体の奥に生暖かい風の匂いが微光を優しく撫でる。


 祓川の川上から勢いよく真水が滾々と流れ、豊かな流域は水源を湛え、清水がディジーのような水草を細やかに揺らす。


 


 私以外、この水辺の聖地には誰もいない。


 螢火だけが飛び交い、お伽の空想庭園のような、五月雨での聖泉・祓川で白百合と鬼百合、姫百合だけがその存在を際立たせている。




「君は大事なものを失った」


 くぐもった切ない声は闇にはためかせるように梅雨闇へと続く。



「僕も大事なものを失った」


 澄み切った白濁した垂雪のような光が青葉風と共に宙を裂いた。



「僕はここにはいない」


 彼は暗い木陰の下から忍び足で歩みを止めた。


 源氏螢がその頼りない姿態を取り囲むように飛んでいく。


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