3章

第49話 出会い

 このまま目覚めなければ、



 自分の無能さから、


 無力さから、


 取り返しのつかなさから、


 目を逸らせるだろうか?



 ・・・駄目だ。


 俺は目を覚まさないといけない。


 立ち上がらないといけない。



 そして、戦うんだ。



 それが何も出来なかった俺に出来る唯一の――


 ◆◆◆



「んっ・・・」


 目を覚まして最初に感じたのは、良い匂いだった。


 潮の香りがする味噌汁の良い匂い。


 その匂いに包まれながら、俺は薄ぼんやりとした頭を働かせて記憶を呼び起こす。


 東京へ行った事、


 そこで戦った事、


 傷ついて意識を失くした事、


 そして、


(結衣!!)


 妹の名前が思い浮かんできて俺は飛び起きようとした。


 だが、出来なかった。


「ごっ・・・がっ・・・!」


 起き上がろうとした瞬間、筋肉痛をより酷くしたような痛みが全身に走り、身体を動かす事さえままならなかったからだ。


 さらに吐き出したうめき声も掠れに掠れている。


(なんだ、これ・・・?)


「うっ、ぐうっ・・・!」


 それでも何とか首を回して、周囲の状況を確認する。


 どうやら俺は、木造の家の床に敷かれた布団の上に寝かされていたようだ。


 家の中は、伝統的な日本家屋というには些か狭国感じたが、かと言って掘っ立て小屋というには随分とちゃんとしている。


 周りに人の姿はなかったが、寝かされている正面には襖があり、それを隔てた先ではさっき嗅いだ味噌汁の良い匂いと、誰かが話している声がしてきた。


(一体、何がどうなってる・・・?)


 じいちゃんは?怜は?若菜は?真司は?


 結衣は?


「ご飯持ってくよー。おばあちゃんも早くね」


「はいよ、蝶舞あげは


 俺が動かない身体で天井を見上げ、考え事をしていると声がして襖が開き、一人の人間が俺の寝ている部屋へ入ってくる。


 その人物は、背格好からして小柄な女性で、顔には奇妙な木彫りのお面を着け、手にはお椀を乗せた盆を持っていた。


 彼女は俺の傍にあったテーブルへ来ると、その上にお椀を並べ、座布団を二組持ってきた。


 そして、持ってきた座布団をテーブルを挟んで対面に二枚敷くとお面を取って俺に近い方に座った。


 横になっている俺からは、彼女の後ろ姿しか見えず、素顔は確認出来ない。


 彼女は、襖の方へチラチラと視線を送りながら呟いた。


「お腹減ったなぁ・・・何か最近、よくお腹が減るなぁ・・・太ってはないと思うけど・・・」


 彼女は、ぶつぶつと一人言を言いながらお腹に手を当てて摩ったり、二の腕を摘まんだりして自分の身体の肉を確かめていた。


 やがてそれを止めて横になっている俺の方へと顔を向けた。


 その時、お面の下に隠されていた彼女の素顔が露になる。


 それは、『人』というより昆虫の『幼虫』に近い素顔だった。


 目元は人間のそれだったがそれより下、頬から顎にかけて白い髭のようなものが生えていて、さらに透明な触覚も伸びていた。


 口元は、逆V字型のようになっていてパクパクと動いている。


「あっ・・・えっ・・・」


 彼女の口から声が漏れて、そのまま俺達の間に気まずい沈黙が流れる。


 それを破るように襖が開いた。


「ふぅ・・・待たせたね、蝶舞あげは。飯に・・・んっ?ああ、目が覚めたのかい」


 そう言って沈黙が流れていた俺達の間に一人の老婆が割って入ってきた。


 老婆は、俺の左手を取ると女性へと言った。


「蝶舞、水持ってきておくれ」


「・・・」


「蝶舞!」


「っ!う、うん!」


 老婆に言われてお面を着け直した女性は、返事をすると早足で襖の奥へ消えて行った。


 それを見届けた老婆は、俺を見下ろす。


「お前さん、蝶舞の素顔を見ても脈が全く乱れてないんだね。大抵の人は、驚いて気味悪がるのに・・・」


 老婆は、皺だらけの顔の皺をさらに濃くして、難しそうに言った。


「・・・?」


 俺は老婆のその顔の意味が分からず、頭の中に?を浮かべた。


 そうしているとお面を着けた女性がコップを手に戻ってきた。


 彼女は、横になっている俺の身体を支えて起こすと口元に水の入ったコップを当ててくれた。


 そのまま差し出された水を飲む。

 一口飲む度に枯れていた身体に潤いが戻ってくるようだった。


「あり・・・がとう・・・」


 水のお陰か、掠れていた声も僅かに出るようになったのでお面を着けた女性にお礼を言った。


 それを聞いた彼女は、柔らかい声で応える。


「どういたしまして。私は、羽豆蝶舞はずあげは。こっちは私のおばあちゃんね」


 蝶舞と名乗った女性は、顔を老婆へと向ける。


 老婆は特に反応せず、テーブルへと戻り、上に並べられた食事に手をつけようとしていた。


 それを見ていたら急にお腹が減っている事に気づいて、俺の腹がグゥーっと鳴った。


「っ・・・!」


 恥ずかしさに思わず顔が赤くなる。


「あっ、ごめんね、お腹減ったよね。私のでよければ・・・」


 そう言って蝶舞さんが、自分の食事を俺に食べさせようとしてくれるが、箸を手にした瞬間、彼女のお腹が小さく鳴った。


「・・・」


「・・・」


 蝶舞さんが固まり、また気まずい沈黙が流れる。


 暫くして彼女が聞いてきた。


「・・・半分でもいい?」


「勿論・・・です・・・」


 俺が途切れ途切れにそう答えると蝶舞さんは安心したように息を吐いてお椀と箸を取った。


 お椀の中身は味噌汁で、具には細い麺と黒い石のようなものが入っている。


 彼女は、箸で麺を掴むと息を吹き掛けて冷まして俺に食べさせてくれた。


 口に入った麺を噛み締めて飲み込む。


 すると、空きっ腹で冷たかったお腹が暖かくなるのを感じた。


 その時、俺に残った右目から不意に涙が溢れた。


「アレ・・・」


 悲しい訳でも、痛い訳でもない。

 それなのに不思議と涙が止まらなかった。


「ご、ごめんなさい・・・」


 俺は蝶舞さんと老婆と――ここには居ない誰かに向かって謝る。


 そんな俺に彼女は優しく言った。


「いいんだよ。それよりもう少し食べられそう?」


 聞かれて、俺は黙って頷いた。


 蝶舞さんがまた麺を俺に食べさせてくれる。


 何度も、何度も、食べさせてくれる。


 その度に暖かくなって、その度に涙が溢れた。


 理由は、やっぱり分からない。


 でも、自分は生きている。


 きっとどうしようもないほど間違えて、取り返しがつかないほど過ぎてしまったのに、生きている。



 それだけは、こんな身体でも痛い位感じる事が出来た。

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