第19話 大義と正義について

5.7話のfact・opinion論を読んでない人はまず読んでください。


①妻を馬鹿にされたウィル・スミスが芸人を殴った事件

②子供を殺された親が犯人に敵討ちした事件

③全く反省していない殺人犯が彼の弁護士から弁護を拒否された事件



①②③どれも人道的に見れば善行のように見えます。しかし、そのどれもがある問題点を孕んでいるように思うのです。それは「大義ではあるが正義ではない」ということです。

ウィル・スミスは妻をを馬鹿にされたので、彼は怒りから芸人を殴りました。これは夫としては素晴らしいことです。周りの目を気にせずに妻という最愛の人の名誉を守るために暴力をも厭わなかったのですから。ただし、一国民としてはいただけません。以前話したfact・opinion論より、「私は彼が殴られても仕方のない行為をしたと思う。だから殴る」が許されるのなら、なんでも—-例えば「彼は寝息がうるさかったから、それは私は殴られても仕方のない行為だと思うから、だから殴った」ということまで許されてしまいますから。彼は芸人を殴らずに「Leave my wife’s name out of your f--king mouth‼︎(妻の名前を出すな)」と言うか、黙ってSNSで訴えるべきだったと思います。暴行罪の条文の中に「ただし、配偶者が馬鹿にされた場合は除く」とは書かれていないのです。

「大義ではあるが、正義ではない」というのは②③も同様です。

②では、確かに我が子を殺されて犯人を殺したくなるほど憎らしいのは分かりますが(大義ではある)、自分のopinionによって他人に暴力を振るう行為を許してしまうと「映画で前の人のポップコーンを食べる音がうるさかったから殺した」までも許さなばならず、これを許さないために(本当に心苦しいですが)親が敵をとる行為は許してはならないのです(正義ではない)。

③も同様です。確かに、全く反省していない殺人犯の弁護などしたくはないでしょうし人道的に見ればするべきではないでしょうが(大義ではある)、弁護士が自分のopinionで弁護するべき人を選ぶ世界を想像してください。「どうせ貴方が犯人でしょ」と弁護士が言って、その結果に冤罪が蔓延するでしょう。こんなことを起こさないためにも弁護士は私情は挟むべきではなく、純粋無垢に弁護をすべきだと思うのです。犯人かどうかは裁判で決着すべきです。

「本当は犯罪だが、人道的に見れば許される行為」はしてはならないのです。

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