反転僥倖

木結

第一稿

第1章 死の反転僥倖

第1章 死の反転僥倖――1

 僕らは、ただ、楽しくゲームをしていられればそれでよかった。神様なんてものには、全くと言っていいほど興味がなかった。本当に、ただ、みんなで、笑いあいながら遊んでいられるだけで良かったのに――。




◇ 第一章 死の反転僥倖 ◇




 世界で第一位の人気を誇る、オンラインVRゲーム「彼方への冒険者たち」、その日本サーバー。2087年にサービスを開始して、40年もの間、日本の娯楽を一手に担ってきたことは、日本国民なら誰もが知っている。

 その完成度の高さから、他のタイトルの追従を許さない、日本のゲームの代名詞。

 量子コンピューターの改良に次ぐ改良が可能にした、仮想空間への意識の完全投射は、多くの人が夢見ていたそれを作り出した。2065年のVRカプセルの発明。現実に疲れ果てた国民は、幻の世界に身を躍らせた。

 僕も、その一人だ。かつて、スマートフォンというものは一人一台持っていることが当たり前、というものだったらしいが、今はVRカプセルがその役をわがものとしている。


 12歳で自分用のVRカプセルを手に入れ、オンラインゲームへの参加も許可された僕は真っ先に「彼方への冒険者たち」を始めた。

 こいつは果てることのない地平線と、幅広い選択肢から己の好きなプレイングを追求できる自由度が売り。そして、レベル制のシステムに慣れていた古いゲーマーたちを取り込むためか知らないが、レベルがある。レベルは、モンスターを倒すか、物を作るかしていれば上がる。


 レベルがあるということはステータスもある。

 自身の残りの命を示す「HP」、残りの魔力を示す「MP」。上半身の筋力を示す「腕力」に、下半身の筋力となる「脚力」、そして魔法の威力を高める「賢さ」、スタミナの「体力」。最後に、「幸運」。レベルが1上がるごとにいくらかもらえるステータスポイントで、僕らは好きな能力を好きに伸ばすことができるのだ。バランスよく伸ばす人も、一点集中でその道を極めんとする人もいる。

 僕は横着してほとんど現実での容姿と変わらないアバターを作成。「かつ丼」と名付けて、ジョブ(役割)を決めて、このゲームに飛び込んだ。。


 毎日のモンスター狩りも板についたころ。14歳になった僕は、ゲームをやっていてできた友達と一緒にクランを立ち上げた。彼らも僕と同じく、いや僕以上に面白好きで、おもしろそうだから、と当時レベルが15だった底辺プレイヤーの僕を、何とレべル40まで引き上げてくれたのである。

 レベルというものは昔のゲームのようにポンポン上がるものではない。それに高くなるにつれ加速度的に上がりにくくなる。


 いくら僕が弱っちくても、いろんな方法で貯まる経験値を二年もの間コツコツ貯蓄したのにやっとレベルが15。中々ひどいものである。

 普通は25くらいまではいくのだが。ちなみに、今のトップ層は確か65くらい。ゲームが40周年でようやく65というのも、正直言ってひどい。


 うちのクランもひどい。ひどいというのは合理性が無すぎてひどい。

 クランメンバーの面白好きは極まっていて、例えば貴重な二年間を丸々とある装備の制作に費やしたりだとか、変な仮面をかぶって正義の味方ごっこをしたりだとか。希少な素材をたたき売りして市場を散々にかき回したり、レイドボス(大人数で挑むための強いモンスターのこと)を15人総出で倒したり。それを日課にしようとしたクランマスターが大げんかを引き起こしたり。一生消えない思い出を作ってくれた。


 濃密である。

 現実の何倍も。


 このゲームは僕には余りに楽しすぎた。現実の、きっと何千倍も楽しかった。そのせいで、16歳になっても彼らとほとんど毎日ゲームをしている。



 腕時計が控えめなアラームを鳴らす。15時になった。仮想空間に行こう。VRカプセルに入って、スイッチを押す。健康診断をささっと済ませて眠りに入る。僕のVRカプセルは、寝ている間に心臓発作が起きても大丈夫という生命維持力が売りだ。

 ホームワールドへとやって来た。すぐに「彼方への冒険者たち」を起動。ゲームの世界に、飛び込む――。


 第7の町――正式名称は忘れてしまった――の宿屋で僕のアバター、「かつ丼」は起き出した。

 窓の外からは人々の明るい声が聞こえてくる。午後の西日も差していた。ゲーム内時間も今は15時くらいだろうか。日は傾きだしている。

 既にイベントを楽しみにしていた人で町は賑わっている様子である。「彼方への冒険者たち」の40周年記念のお祭りは、自分のいる町からイベント専用の島へワープしてから楽しむらしい。当然、一つの町に100万人を超える人々を集めるわけにはいかないから。今日だけは悪いプレイヤーもいいプレイヤーも、底辺プレイヤーもトップランカーも、関係なしにひたすら遊べる無礼講だ。見たこともないようなミニゲーム、アトラクションなんかもあるかもしれない。

 僕はフレンドリストを思考操作で開いた。クランメンバーの15人は勢ぞろいらしい。彼らは僕と違ってきちんと戦えるアバターに仕上げているので、もっと先の、第28の町にいる――まごうことなき最前線である。

 僕は未だにこの第7の町から抜け出せない。第8の町にたどり着けないのだ。この町で今一番レベルが高いのは僕である。間違いない。というか40というレベルは中堅どころのレベルである。本当は17の町くらいには行っていてもおかしくない。

 別に僕が特別へたくそというわけではないのだ。ただ、極端にステータスが偏っているだけで。

 今日はイベント島にいったらまずみんなで集合することにしていた。僕のクランは15人いることもあって全員揃うことがあんまり多くない。だから、今日はせっかくだからみんなで遊ぼう、というわけである。広場に来ていたたくさんの人に混ざって、押し合いへし合いしながら時間を待つ。仲間うちでジュースを乾杯している人たちがいた。

 そろそろ時間だ。


町の真ん中に必ずある、大きな広場にいる人々の、大きな大きなカウントダウンが始まる。10、9、8……。今日は、たくさん遊びたい。

 周りの人が加勢して、声が大きく育っていく。7、6、5……。

 愛しい仲間たちを想うだけで、顔がほころんでしまう。

 4。そうみんなが手を突き上げて叫んでいる。

 3。さあいこう。夢と希望の新世界へ。

 2。気分は最高。

 1。イベントが、始まる。


 目の前に現れる、青ガラスのような板に彫られた真っ黒い文字。

「イベントに参加しますか?」

 迷わず、はいと答える。

「イベント島へ移動します」

 光があふれる。転移の前触れだ。次に足元から起こった光で何も見えなくなって、体が軽くなった。音が、聞こえてくる。そしてトンネルを潜り抜けたような……音が変わって、目が見えるようになって……。



 ……あれ? おかしいな。どうして僕は第7の町に残ってるんだ? 周りの人の戸惑いが伝わってくる。どうやら、みんな転移できなかったらしい。同時にログインする人が多すぎてバグでも起こしたか。


「レディースエンドジェントルメーン!」


 どこからともなく芝居がかったふざけたように明るい男の声がした。この肉声らしくない声、僕知ってる。マイクだ。マイクを使ってるんだ。一度学校の歴史の授業で見たことがある、とか思ってるうちに、男はこのたいそう古い挨拶に続けて、こう言った。


「今日のイベントは中止となりました! 代わりに皆さんには、あるゲームを受けていただこうと思いまーす!」


 みょうちきりんな抑揚をつけて、男は話し続ける。声の出どころは、まだわからない。上と言えば上。右と言えば右だが、下からは聞こえてこないということしか少なくとも今はわからなかった。


「今から、皆さんはログアウトできませーん!」


 え? という声が聞こえてくる、いくつも。すぐにログアウトを試したらしい人が、本当だ、とつぶやいた。風向きがおかしい。


「ついでに町のNPCもいませーん!」


 不穏な空気に町の全員が不安な表情を隠せずにいる。

 NPCとはいわゆるこの世界の住人。仮想現実にいる、プレイヤーでない生き物のこと。


 ……そういえば、イベント島への転移失敗から、周りは余りに静かすぎる。プレイヤーが黙っているのはまあ当然のことだが、本当なら第7の町の町人が祭りに合わせてもっと騒がしくしているはずだった。

 いなくなった? でもNPCには人気のある聖女様とかがいたはずである。イベントへの参加も「彼方への冒険者たち」のホームページに示唆されていた。ドタキャンかな? 聖女目当てのプレイヤーもいるはずだったけど。


「そしてぇー---! んなんと! 痛覚もマックスだー--! 盛り上がって来たかーい?」


 一瞬僕の時間が止まった。口から「え」と音が漏れた。


 忘れていた呼吸が吸う方から再開した時、全身から血の気が引いていくのを感じた。左腕を右手でつねると、あろうことか普通にいたい。


 ……違法だ。痛覚は国に規制されているはず。攻撃を食らっても、爪楊枝でつつかれるくらいの痛みだったはずだ。僕たちの戸惑いを察知した男は、


「法律は、スルーでぇーす! さて、一つスルーしたなら二つも同じ!」


 と。何だか、とんでもなく悪いことが起きる気がする。――いや、わかりきっていたことか。

 僕の頭の中に必然性を持ってある推測が浮かんだ。すぐに、ほとんど無意識のうちに、僕はそれを考えるのを止めた。


 夢であってくれ……一生のお願いというのがあるなら、僕はここで使いたかった。使わせてほしかった。運営の悪質ないたずらであってほしかった。


「今回のゲームのために、な、な、なんと! 竜宮システムを全力で稼働させています!」


 それでも現実は非情に、「死」を呼ぶそのゲームの開催を告げる。


「皆さんは! 竜宮システムで現実での一秒が数百万秒に拡大されたこの世界で、死んだら死にまぁす!」


 その名はデスゲーム。世界最高のセキュリティを誇るVRカプセルとサーバーが本当は防いでくれるはずの幻想。百年前からその存在は創作上の虚構として、長く存在していた。


「ログアウトもできません! 外からの助けも、ありませぇん! だけど痛みはありまぁす! 痛みだけは、ありまぁーす!」


 へひゃひゃひゃひゃ、男は狂った笑い声をあげた。顔をしかめる。何と不快な笑いか。何と恐ろしい声か。


「そしてそして、この世界をもっともっとリアルなものとするためにィ、皆さんは今まで変えることも壊すこともできなかった、地形や建物に干渉できるようにしました! 腕力を上げれば岩も砕けます!」


 無茶苦茶だった。ありえない。そこまでのリアルさを演出するなら、従来の量子コンピューターではだめだとどこかの科学雑誌に書いてあった。そんなことが本当に出来るなら、この狂人はとっくのとうにノーベル賞をとっているだろう、とも。嘘と断じるのは簡単だった。でも、VRを乗っ取るなんてことができるあいつなら、もしかしたらできるのかも――。


「皆さんお疑いのようですが、証拠をお見せするまでもなく、すぐ分かるはずです――ここでのステータスは、すでに現実での能力と何ら変わらないということに!」


 楽しそうに男が言う。そして地面が揺れた。誰かが早速試したらしい。地面には大穴が開いている。土煙まで待っていた。リアルすぎる。地面をたたいたガタイの良い男は、小さなクレーターの真ん中で顔を真っ青にしていていた。周りの人も顔が青い。きっと、僕もだ。



 幸運 —212800


 これが僕の今の幸運値。幸運値において212800という数字は、おそらくこのゲームでトップ。それも恐らく次点と3倍以上の差をつける。10万を超えた数値をステータスに持つものは、そりゃ何人かはいるかもしれないけど、20万を超えるのは僕だけに違いない。


 僕のジョブは「幸運の大臣」。プレイスタイルは幸運値に全てを捧げる「幸運極振り」。


 ――が、マイナスだ。プラスではない。幸運値だけ、不運という概念で、マイナスの値がある。

 いちおういっておくと、僕は不運には振っていない。全ては四日前に受けた状態異常、「精霊王の呪い」のせいなのだ。効果は、幸運値に、マイナス1をかけるというただそれだけ。それだけだからか、効果時間が代わりに長くて、現実時間で7日間。


 212800の幸運は、四日前の不幸で—212800の不運となった。


 要は今。僕は世界一不運な男ということだ。ステータスがもっとリアルに働くというなら、正直もう死んでいてもおかしくない。レイドボスが10体降ってきて死ぬか、町に仕掛けられていたかもしれない爆弾が起爆するかもしれない。本当に、何が起こるかわからない、僕にとって不都合なことが起こることは確実だが。


 —212800という値は、伊達ではないのだ。僕の心は弱い。ひびのいったガラスの心である。だから、本当に死ぬとなったら、もっと焦るし、絶叫するし。絶望して、泣いて。とにかくこんなにのんびりと考えることは出来ないはずなのだ。それなのに僕が平静を保てているのは、僕に最後の希望が残っているからである。


 それは、僕の持つ12のスキル。

 スキルというのは、つまり特殊能力のことで、腕力が増えたり筋肉が付いたり相手を呪えたり、とにかくバリエーションに富んでいる。これを手に入れるにはレベルが上がった時にもらえるスキルポイントを使うのだ。あとスキルのレベルを上げてスキルを強化する時にも。


 僕が持っている12個のうち3つが普通のスキルで、8つがゲーム内の功績をたたえる「称号」をもらった時に副賞としてついてきた称号スキル、そして最後の1つが装備にオプションとしてくっついている装備スキルであるそのうちの一つ。

 僕が自前で育て上げた普通のスキル、「窮地の凶運 Lv10」。

 効果は、幸運を4倍にして、そして「ここぞという時に」幸運にさらにマイナス4をかけるというもの。要は大事な時に限ってめちゃくちゃ運が悪くなるというスキルだ。普段の幸運を、大事な時の不運を代償に得る諸刃の刃である。

 だが今は違う。

 「精霊王の呪い」で幸運値がマイナス、そしてそれに「ここぞという時に」マイナス4がかかるのだから、スキルが打ち消しあって面白いことになるはずなのである。


 今までの僕はラッキーときどきアンラッキーなボーイだったが、今は火事場の馬鹿運をもった弱運男。

 死ぬ寸前という「ここぞという時」には不運が退き、幸運の方が力を出して僕は助かるかもしれない。

 それが僕の最後の命綱。

 最後の光。


 死ぬときが「ここぞという時」でなかったら僕は100パーセント死ぬ。さっき使えなかった一生にのお願いは、ここに使おう。お願いします。僕が死ぬときは「ここぞという時」であってください。


 僕の落ち着きと正反対の慌てっぷりを見せる周りの人。いいじゃん。そんな慌てなくても、僕より希望あるかもよ? 「窮地の凶運」は全然発動しないことでクラン内では有名だった。


「さて、それでは皆さんにこのゲームのクリア方法をお教えしましょう!」


 男は1分も間を空けてから話し出した。たぶん僕らの反応を見て愉悦でも感じていたのではないだろうか。


「我々は、8人のプレイヤーをこの世界に紛れ込ませています。彼らはあなた方を一人残らず殺すために暗躍するでしょう。皆さんの勝利条件は簡単です。この8人の『敵』を見つけて、倒すこと。敗北条件は、もちろん全員の死亡です」


 プレイヤー同士で探りあわせて不和を生ませるつもりだ。相手が敵か、味方かが一目では分からない。だから疑いあう。これで、破壊が可能になったらしい町にモンスターが襲来しても、協力できない……。


 ほら、もうみんなの目が疑ってる目になってる。


 自分の命がかかっているから必死に周りを疑ってる。いやあ。この第7の町に限ってそんなの来るか? 僕なら第1から追い上げていくか最前線の第28から攻め落としていくかどっちかだと思うけど。


「それでは、モンスターの出現の再開と共に、ゲーム開始とさせていただきます」


 男は僕らを置いてきぼりにしてデスゲームを……悲劇を始めようとしている。


「――んレッツ、デスゲーーム!」


 人々が空に絶叫している。言葉なのか定かでない怒声が空に放たれている。無駄だと分かっていても、それでも。人々は理不尽な『声』への怒りを隠せない。


 ……今にして思えば、僕はかなり認識が甘かったらしい。今までは、町は安全地帯だった。モンスターは近くに寄れなかった。


 最大の失敗は、四日前に精霊王の呪いを受けて、まだ—212800の幸運値が何を生むのか、僕は試していなかったということだ。


 試していたら、何か変わっていただろうか。

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