第4話 甘いがすぎる

 昨日の今日である。まだまだ囲まれて睨まれて文句付けられる朝が来るのだろうと覚悟していた。が、今朝は誰にも呼び出しを食らうことなく、教室まで来られた。


「あ、志穂おはよー」

 昨日のことなど何も知らない香苗がいつも通りに声を掛けてくる。でもいつも通りが何よりありがたい。


 が、そんな場の空気を一気に変えるべく、みずほが猛ダッシュでやってきた。

「あ、みずほ、おは、」

「ちょーい! 志穂、香苗、おいで!」

 二人の手を取り、教室の外へ連れ出される。

「ちょ、なに? どうしたの?」


 いつもならホームルームぎりぎりまで朝練に精を出しているはずなのだが。

 二人を引きずるようにして外階段踊り場へ。くるり、と振り向くと、

「志穂……聞きたいことがあるの」

 思い詰めたような顔で、言う。

「え? どうしたの?」

「あのさ……昨日」

 言い辛そうに、眉間に皺を寄せる。

「みずき?」

 香苗も心配そうである。

「あの、さ」

 こんなみずき、見たことない。サバサバして、明るくて強いイメージしか持ってなかったのだから。

「なんでも答えるよ! 訊いて!」

 力いっぱい、言ってみた。すると、みずきが目にいっぱいの涙を溜めて言ったのだ。


「志穂、原君と付き合ってるの?」


「……はっ?」

「ええっ!?」

 私と香苗が同時に叫ぶ。

「昨日……二人で歩いてるの見た人がいて……その……その話聞いて、私……、」

「つ、付き合ってなんかないって! 優キング……あ、原君は同中で、昨日はたまたま帰り道一緒になって、懐かしくて話してただけで、全然だよぉ! ……って、え? みずきってもしかして……、」

「……うん。好き……みたいなんだよぉぉ」

 その場で泣き出してしまう。

 私と香苗はちょっともらい泣きしながら、友人の恋バナをガッツリ聞くことになったのである。


*****


「でね、その日は私が片付け当番だったからみんなより帰るの遅くてさ、独りだったの」

「うんうん」

「そしたら原君もたまたま独りでさ」

「それで?」

「女の子独りじゃ危ないから送ろうか、って言ってくれてね」

「きゃ~~~!」

「私、強いから大丈夫ですよって言ったんだけど、私が空手めっちゃ強いってわかってなかったみたいで、結局途中まで一緒に歩いてくれてね」

「はぁぁぁぁ」

「その時は、ああいい人だなー、くらいしか思ってなかったんだけど、それから何回か帰りが一緒になって、それが楽しくて。……たまたま今日の朝練で志穂と原君のこと耳にしたらさ、なんかもう、心臓痛くなっちゃって、どうしようって…、」

「可愛い! なんだこの可愛い生き物は~!」

 香苗がみずきを抱きしめた。

「気付いちゃったんだね~!」

 私も香苗ごとみずきを抱きしめた。

 みずほの口から恋バナを聞いたのは初めてなのだ。

「原君て、彼女いるのかな?」

 モジモジしながらみずき。

「いない!」

 私、即答。

「えっ?」

「昨日の雑談でそんな話もした! 彼女いませーん!」

 声高に宣言する。

「やだもう、志穂最高!」

「ナイス、情報!」


 わいのわいのと楽しんでいると、チャイムが鳴った。私たちは慌てて教室へと戻ったのだった。



 その日のお昼休み、私はみずきと香苗とお昼を食べるために中庭のベンチに移動していた。今朝の続きをしようね、と盛り上がっていたのだが、渡り廊下の向こうから、青い影が現れる。


「あ、」


 反射的に立ち止まってしまう私を見て、みずほと香苗も足を止める。タケルはまっすぐに私の方へと向かってきていた。捕食者に狙われた草食動物の気持ちになる。


「川原さん、樋口さん、ちょっとだけ有野さん借りてもいいかな?」

 思い詰めた表情でそう言ってくるタケルに、友人二人が顔を見合わせる。

「え? 別に……、」

「ねぇ?」

「ありがと!」

 タケルが私の手をパッと掴んだ。

「え? ちょ、」

「ごめん、有野さん、時間ないから急いで!」

 そう言って走り始める。

「いてら~」

 ニヤつく二人の顔が見えた。


 ええっ? 助けてくれないの~!?


 タケルは渡り廊下を通り、厩舎旧校舎へ向かう。辺りを気にしながら、今は使われていない家庭科室へと入った。

 少し埃っぽい匂い。カーテンが閉じられているため、薄暗い。


「あの、どうしたの?」

 おずおずとそう尋ねる私に向き直り、タケルは泣き出しそうな青い顔で言った。

「有野さんて、原ってやつとなんかあるの?」


 はぁぁぁ??

 なんだってこう、みんな情報が早いのか!


「あー、原君ね。えっと、同中」

 私は正直に答えた。

「……それだけ?」

「それだけ……だけど?」

 私の言葉を聞くや、うなだれていたタケルの頭の上の触角がピン!と伸びる。

「なぁんだ……そっか~」

 パァァ、っと顔をほころばせ、膝から崩れ落ちる。

「ちょっと、大和君、大丈夫?」

 タケルは立ち上がり膝についた埃をパンパンと払い落とした。

「昨日、原ってやつと有野さんがいちゃついてるとこ見たって話を聞いてさ、」


 誰だよ、情報源はっ!


「それに、女子たちが変なこと言ってくるし」

「変なこと?」

「有野さんが俺と他の女子をくっつけようとしてるって」


 あー……、それはまんざら嘘ではないかも。


「昨日からずっと、色んな子に追い回されててさ、今も逃げてきたんだ」

「大和君、モテるね」

「ううんっ、そんなことっ。俺、有野さん以外の子に興味ないし!」

 どストレートだ。

「あ、待って」

 急にタケルが声を潜める。

「ヤバい、来たかも」


 言うが早いか、私の腰に手を伸ばす。そのまま押し出される感じで家庭科準備室へ滑り込んだ。


「ちょっと、大和く、」

「しっ」

 またしても口を塞がれる。

 家庭科準備室は物置のようになっていて、狭い。二人で入ればもうほとんど隙間はないくらいだ。扉を後ろ手に閉めると、中は真っ暗。密室に、宇宙人と二人きり。


「ねぇー、いたー?」

 隣から声がする。誰かが入ってきたのだ。

「ここにもいなーい」

「えー? なんでよー。どこに行ったの?」

「屋上とか行ってみる~?」

「あ、そこかもね! 行こう!」

 バタバタッという足音。そして静寂。タケルがふぅ、と息を吐き出した。


「行ったみたいだな」

 密着した状態で耳元で囁かれ、思わずビクッとしてしまう。そんな私の反応に気付いたのか、タケルはフフ、と笑うと、


「暗闇で二人きり、ドキドキする?」


 と、わざと耳元で話しかけてくる。私は口を塞がれたまま身動きも取れない。

「こうやってさ、もっと有野さんとくっついていたいな」

 腰に回した手に力を入れ、タケル。


 無理!

 もう、無理~~!!


 私は精一杯の力でもがくと、口を塞いでいるタケルの手を引き剥がす。


「もう用は済んだよねっ? 解放してくれるかなっ?」

 必死で訴える私を面白がるように、タケル。

「可愛いなぁ、有野さん。食べちゃいたい」


 だからっ、耳元でっ、囁くな~!!


「大和君さっ、モテるんだし、私なんかよりもっといい子をさ、」

「まだそんなこと言うの?」

 私の言葉を遮り、タケル。

「言ったよね? 俺は有野さんじゃなきゃ嫌だって。まだわかってくれない?」

「いや、だって、」

「捕まえても捕まえても、すぐに逃げられちゃう。ずっとこうして、離さないでいればいいのかな?」

 後ろから包み込むようなハグ。

「ちょ、」

「少しずつでいいから、俺を見てよ。逃げないで、ちゃんと見て」


 あまーーーーーい!!


 もう、降参です! ほんと、なに? 勘弁してください! 男子になんの免疫ない人間にこれはキツすぎだってば!


 あわわ、あわわと頭の中は大パニックで大暴れしているのとは裏腹に、体はちっとも動かない……というか動けない。


「ねぇ、嫌わないで」


 とどめの一発を耳元で囁かれ、ボンッ、と頭の中で何かが爆ぜる。私はタケルを準備室のドアから押し出し、そのまま腕をすり抜けた。


「嫌ってはいないけどっ、こういうのは無理だからっ!」


 そう言い放ち、家庭科室を後にした。

 タケルの青い触角が、再びうなだれているように見えた。

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