第90話 宰相の仕事〔2〕

 珍しく騎士団長のドナンが会議に参加して、私とゲスのやりとりの調停役を買って出た。

 ただ、「感情」という一言で片付けられるのは心外である。


「ドナン・マース侯爵よ、それではあなたはどうお考えなのか。私の言を『感情』とおっしゃったな。それならば理でもって解決するようなことが、スラム街について何か持論があるのだな?」


 中立を装おうことが悪いことだとは思わない。だが、然るべき場ではそこから抜け出なければならない時もある。私は今がその時だと思っている。


「私は武にのみ明るいので、そのような議論には何も意見を持ちません!」


 それが全く自分の落ち度ではないかのようにはっきりとドナンは言った。率直に言って拍子抜けした。ただ、おそらくドナンと同じ意識の人間はこの場には多い。


「武にのみ?」


「はっ、私はこの国の騎士団長ゆえ……」


「騎士団長ゆえ? おかしなことを言う。私はドナン騎士団長に訊ねたのではない、マース侯爵家当主であるドナン・マースに言ったのだ。そのように自らが課した制限が現実の問題から目を背けさせ、思考を放棄させることになった結果が現在の状況である。違うか?」


「それは、私は……」


 自分の専門はこれだけだ、だから他のことには何も言わない、そういう美徳は確かにある。しかし、その傍観者の立場は時に残酷なものである。

 もちろん、自分の専門外のことに不用意な発言をして現場が乱れることはある。が、それでも関心は持ち続けなければならない。上に立つ者ならば特にそうだろう。

 ドナンは騎士団長である以前にマース侯爵領の領主である。だから、騎士団長という立場だけに固執することが良いことだとは全く思えない。


「ふん、王都の民とスラム街のやつらのどちらかを救わねばならぬ時、宰相殿は後者を自ら進んで選ぶのだな。なるほど、厚徳の人でございますな」


 本当にゲスはどこまでゲスなのか、頭の処理が追いつかない。ゲス以外にも何人かの人間から冷笑の空気を感じる。いったい何様なんだろうか。


「そもそもの前提が違う。なぜ王都の民にスラム街の人間を含んでいないのだ。等しくみな民だろう」


「宰相殿は人気取りをなされようとしているのだ」

 

 捨て台詞のようにゲスが私に言ってきた。この男は本当に懲りない奴だ。


「そうか、あなたも宰相職にあったうちにそのような施策を提案すべきでしたな。だったらもっと人気も出ただろう。バーミヤン公爵領で減税でもしたらどうだ? さぞかし民も涙を流しながらあなたを敬うだろう」


「くっ、言わせておけば……」


 売り言葉に買い言葉なのはわかっているが、この男にはまだまだ言い足りない。

 いったいこの男にとって民とはどういう存在なのか、その言葉からはくらさしか感じられない。



「それでは、王都のスラム街には特別に予算をねんしゅつして施しを与えるのがよいか」


 私とゲスの口論に終止符を打ったのは王の言葉である。

 が、この言葉についても私には釈然としなかった。


「陛下、それはなりません」


「バカラよ、なぜだ? そなたの言葉に従えば、これが良い案なのではないのか?」


 長い間、ダイゲスとゲスという二人の最悪の宰相の言いなりに近かったのだろう、この種の判断については手探りのような印象を受ける。

 説明するまでもない……いや、違うな。こういう機会を逃さずに丁寧に説明をした方がいいだろう。


「一方的な施しは、悪手です」



 ソーランド領のスラム街対策でもこのやり方は良くなかった。


 たとえば、スラム街の住人に限らず、身体をまともに動かせない人間に対する施しは効果はあるし、福祉の観点から私はすべきだと思う。

 ただ、自分が動けないことに対する感情やその尊厳を壊さない限りにおいてである。負い目や罪悪感を払拭しなければならない。何もせずに周りが何もかもしてくれることに耐えられない人間もいる。



 私の友人に40歳の時に少し重い病気になって入院をしていた者がいるのだが、元気になった後に話をすると「ナースコールを押すのに抵抗があった」と言ってきたことがあった。

 徐々に身体が衰えていき、トイレに行くのも一苦労だった。自分ではそんなに重い病気ではないと頭では理解しているし、投薬後にはどのような症状が現れるか、自分で調べて理解しているつもりだった。しかし理解しているが故にナースコールを押すことができず、押すことは自分の弱さを認めることだと思い込んでいたようだった。

 看護師からは「いつでも押してもらってもいいんですからね」と明るく言われても、終に一度も押せなかったという。


 これは私の両親もそうだったし、妻の両親もそんなところがあった。他人様に迷惑をかけることをいとう気持ちが強かったのだろうが、それと同じくらいに自分の衰えを認められないという気持ちや自尊感情があったのだと思う。

 

 田中哲朗の肉体の最盛期はおそらく20代だったと思うが、多忙であっても仕事が充実していたのは40歳前後だったような気がする。新人ほどに若くもなく、それなりに経験も積んできて、同僚とも切磋琢磨していって仕事を面白いと感じていた時期である。

 ちょうど、今のバカラがそうである。そんな時期に長期に入院をすることになったら自分はどう感じただろうか。


 私も今後もし年を取って満足に身体を動かせなくなって、下の世話までも誰かに頼むようになったら、ふがいないと思う可能性は高い。過去の若々しい肉体の記憶は、かえって重荷になってしまう。きっと生きとし生けるものはそういう自分にどこかの段階で出会わざるをえないのだと思う。



 だから、そういう意識自体を刷新しなければならないし、人はみないずれ老いたり、身体に何らかの障害を負うものである。それは生ある者の必然であり、その時に他人の力を借りることは恥ずべきことでもないし、当たり前なのだという意識がなければならない。

 バリアフリーの社会だって、自分が年老いたり怪我をした時に実現していてほしい世界である。障害者への配慮は実は健常者と呼ばれる人々への配慮にもなっているものである。

 そういう社会が自分とは切り離された環境ではなく、すでにその世界に足を踏み入れているのだという想像力が働かなければ、将来的にツケが何倍にもなって自分に回ってくるだろう。


 まあ、そりゃあ一方的な施しを喜ぶ者もいるだろうが、みながみなそうだろうとは思えない。以上の観点は政治を担う者の心に留めておくことだろうと思う。

 

 まともに働ける人間には適切な労働と対価を与えていく方がいい。

 最初は微々たる労働であっても、時間をかけて労働に従事していく人間を育てることが健全な社会だろうと思うし、社会とともに生きているという実感を抱くことになる。


 人間は何も負荷がかけられなければ、怠惰になると思う。いや、人間とは元々怠惰であり、何らかの負荷があるからこそ労働という仕事に身を投じることができる。

 このバランスが著しく欠けることがまずいわけで、絶えずこのバランスを保っていきながら人は育てていかなければならないし、それは政治の力を使わなければならない。


 はっきり言って私にはバラード王国に対する愛国心なんてものはないのだが、長い目でみたら今住んでいるこの場所を、自分を大切なものだと一人ひとりの民が考えるようになることは必要だと思うし、生活への怯えをできるかぎり消すことが国のなすべきことだろうと思う。ただ場所を与えるだけで事たれりというのならば、もういっそのこと別の国にしてしまえばいい。そこに為政者は必要ない。



「そうか、尊厳か……。それではこの件はバカラ・ソーランド、そなたに一任する。みなの者もよいな?」


「はっ」


 こういうやりとりが宰相になってから増えていった。

 別にスラム街対策だけではないが、万事このような会議が執り行われ、いろんな人間に仕事を振っていった。

 さすがに私一人でできるものでもないし、部下の中にも優秀な人間はいる。人を育てなければ、この国に未来はない。

 第一王子派でも仕事の早い人間はいるし、第二王子派にも仕事ができない人間はいる。中立派も同様である。誰に仕事を振ればよいか、頭を悩ませることばかりである。ただ、第一王子派とか第二王子派とか、そういう立場で仕事は振らないようにしている。


 本当はゲスに何か仕事を与えたいが、その結果を考えると悲惨なものになるのでなかなかできないでいる。この男にいったいどんな仕事ができるのか、一度訊いてみたいものである。


 ところで、今回の会議ではかなり王に対する不敬発言があったのだが、このことに限らず、王からは「私に構わず考えを述べよ」と宰相になってから言われている。そして、このことは他の人間は知らない。

 だから、私もわりと好き勝手に話している。が、さすがに一線を越えるような発言はしないが、どうなるかはわからないものである。



 宰相の仕事はこうした会議以外にもすでに述べたように書類にハンコを押す仕事が多い。

 ポンチ絵もなくて、小さな字やまことしやかな屁理屈がずらずらずらと並べ立てられて、明らかにこちらに読ませる意識がなく、読み手への配慮のかけらもない企画書や報告書などもあった。これは私もよく妻に言われた。こういうのも本にしたら売れるのだろうか。


 どんぶり勘定であったり、ザル法といって抜け道の多い法令があって法令自体に瑕疵かしがあるようなものがあって、そういうのは「従来通りで」という感じでずっと回してきたようである。


 新法の制定は一応、いろいろな代表者が意見を戦わせて、最終的に王が承認するという形を取る。ただ、もう長らく法律を作ることはなく、これまでずっと同じ流れで来ていたようだ。私にはわからないが、ゲームの中で法律を定める場面なんかは普通はあったりするものなのだろうか。


 リーサルウエポンとして王がそういう手続きの過程の一切を無視して、独断で特別に法を定めることもできる。ただ、現実的には法令にまではせずに一時的な命令程度のものらしい。

 どこかの街を閉鎖するとか、税率を上げるとか、ある商品の売買を禁止するとか、ずっと続いていく法令ではなく、一定期間の命令を王はすることが多いようだ。法令にまでしてしまうと、後々厄介な問題も起きるのだろう。


 だから、この王の権限は「そうだ、戦争をしよう」と王が思ったら、戦争ができる。

 極悪犯罪人と個人的に仲が良いからという理由で恩赦おんしゃを与えることもできる。そういうことである。

 物を盗めば盗人だが、国を盗めばもはや英雄である。そんな時代もあったのだろう。


 もちろん、仮にそういうことがあったら王や国への批判は高まること必至だろうが、よほどのことがない限りは、まずそれは起きないと考えた方がいい。

 隣国のカラルド国や他の国もこの国と同じようである。


 ただ、この国の王はどうだろうか。それは懸念事項である。

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