第142話 置き去り
「よっ、と」
ビルの裏手側。
貧相な顔に似合わず派手な金髪とピアスで飾り立てられた若い男がポリバケツの中に重そうにゴミ袋を放り込んだ。覇気のない顔とボロボロの肌は昼夜逆転生活のせいか、それとも酒のせいか。
「精が出るな」
「え?」
ポリバケツの蓋を占めるために少しかがんだ瞬間声をかけられて顔を上げる。そこを狙いすましたようにスケロクの拳が彼の顎先をかすめた。
「てめえ……だれ……」
一瞬だけ険のある表情で若い男はスケロクを睨みつけたが、しかしそのまま時間差で立ったまま白目を剥き、そのままどさりと倒れ込んだ。
鮮やかな手際にアスカは驚いているが、スケロクは彼女に気を払う事もなく男のスーツをまさぐる。
「何を探してるんですか? 鍵かなにか?」
アスカが尋ねるが、しかし少なくとも勝手口のドアは開いている。
「いや……覚せい剤でも持ってねえかと思ってよ……さすがにこんな下っ端は何も持って無さそうだな」
『覚せい剤』という言葉にアスカは恐怖心を覚えるが、しかしすぐに冷静になった。今自分が敵対しているのはそういう「組織」であり、スケロクは公安なのだ。半端な気持ちは足を引っ張りかねない。
最近、命の危機に陥るような機会が少なくなってきて気が抜けていたようだ。屈筋団と戦っていたころは自分のすぐ隣に、いつも死の気配があったというのに。
「ユリアさんの居場所は分かるんですか?」
「分からん。だが、最上階から探していく」
「それはなぜ?」
建物に入り、エレベータではなく階段をのぼりながらスケロクは小さな声で答える。
「ユリアの存在は今のDT騎士団にとって一番の重要人物だ。それと同時にアキレス腱でもある。何しろ表向きは俺みたいな奴から彼女を保護しているっていう体を取りながらも、実際には逃げられないように軟禁状態にしなきゃならないんだからな。
だが、世間一般に『ユリアを軟禁してる』なんてことがバレてみろ。ここまで築き上げた『信用』が総崩れになる」
もちろんその実情を知る者からすればDT騎士団、サザンクロスの「信用」など噴飯ものである。しかしマスコミ、市民一般に対してはサザンクロスは反差別、フェミニズム、リベラルの総本山であり、絶対的正義なのだ。
そして、その位置を確固たるものにする者として、ユリアは人質であると同時に神輿でもあるのだ。
で、あれば、ユリアがいる場所は自然と限られてくる。逃げにくく、奪われにくい場所。何か異常があっても最上階なら1階から逃げ出すしかない。そこまでの移動の間に誰かが気付いて事前に阻止できる可能性も上がろうというもの。
サザンクロスの七階。最初の下っ端を倒した後は何の抵抗もなく二人は最上階にまでたどり着くことが出来た。マンガ的な展開では一階一階に一人ずつボスがいてもよさそうなものであるが、実際にこの建物は殆どの買いがペーパーカンパニーの事務所と非営利団体のフロアなのだから。
それに、階段は通常下から上まで区切りなく続いているものだ。
DT騎士団の抱える全ての組織に対してこのビルは若干過剰な設備、入れ物として整っており、最上階にはテナントの明示もなく、薄暗い空間が広がっていた。
階段から出て少し進んでいくと、フロアの少し奥にぼんやりと光が見えた。
「……まさか……ユリア?」
その薄明かりに照らされた椅子。少し距離があるが、少女がそのレカ□のオフィスチェアに座っているように見えた。
「ユリア! ユリアッ!!」
思わず走り寄ろうとしたスケロクの腕をアスカが引っ張って止める。
「おちついて、スケロクさん! 罠です!!」
「くっ……」
小さくうめいてスケロクは踏みとどまる。アスカに家に帰る様に言っておきながら、早速自分は冷静さを欠き、彼女に助けられてしまった。
「……すまん。もう大丈夫だ。それにしても、まさかいきなり
「スケロクさん、様子がおかしくないですか?」
アスカの言葉にスケロクは振り返り、それからユリアの方を見た。
言われてみればおかしい。
元々スケロクはダッチワイフの状態のユリアとの付き合いが長かった。実際に彼女が話せるようになってから会ったのは前回のサザンクロスへの襲撃の時だけである。
だから気づかなかったのだ。
その虚ろな目。
以前とは違い、スケロクが目の前に現れたというのに何のアクションも見せず、空中に焦点を合わせたまま、一言も口を開かない。まるで死んでいるかのように。
「ふふふ……来たか、スケロク」
「
スケロク達の襲撃は既に露呈していた。ユリアを照らすライトの手前、その暗闇から網場が姿を現したのだ。
「クッ……気づかれていたのか。まさかまたマリエの使い魔が……?」
「ふふふ……侵入するときにSEC〇Mのステッカーが見えなかったのか?」
見落としていた。
「どういうことです、スケロクさん? スケジュールを調べて、幹部がいない時を狙ったんじゃ? まさか、罠……」
「いや、流石に幹部全員がいない日は無かったんだ……でもまあ、網場ならイケるやろ、って思って」
最重要人物のユリアを軟禁している以上、講演会などの出張があっても幹部全員がサザンクロスにいないという事態はDT騎士団の連中も避けていたようである。
それを分かった上で、「まあ網場ならイケるやろ」という考えは妥当であるともいえる。
「ふん、随分と舐められたもんだな」
とはいうものの、舐められても仕方あるまい。前回も結局危ないところをジャキに助けられているのだから。
「てめえの事はどうでもいいが、ユリアにいったい何をしやがった!?」
「フッ、お前のことは完全に忘れたとさ」
「なにっ!?」
「あの時、お前の命と引き換えにな。お前はユリアのおかげで切れ痔だけで済んだのだ」
その言葉を聞いて、スケロクの瞳から一筋の光が零れ落ちた。
「忘れてもいい……生きていてくれただけで」
一人だけ話についていけないアスカ。妙に演技がかったやり取りをする二人だが、ディテールがイマイチ分からない。スケロクがアナルパールで切れ痔にされたのは覚えているが、ユリアが死ぬような話などなかったはず。
それで結局ユリアが一言もしゃべらないのは何なのか。
スケロクと離れ離れにされてしまって心を閉ざしてしまったのか。
いろいろと推測することは出来るのだが、肝心なところを網場が喋らず、なんだか台本を読んでいるようなやり取りをスケロクとしていて、『会話』をしているような感じがしない。
「フフフ、スケロク、もう一度あの地獄へ突き落してやる」
『あの地獄』はイヤだ。アスカは強く思った。先ほども話していたが今度パールを詰められれば、今日はアスカが単独で処置をすることになる可能性が高い。
そんな事を考えているうちに網場は間合いを詰めて貫き手を放つ。しかしスケロクは強い意思のこもった眼差しで、冷静にそれを見切り、奴の手首をがっちりと掴んで止めた。
「なっ!?」
メキメキと網場の手首の骨が悲鳴を上げる。
「や、やはり……昔のケンシ……スケロクではないな!!」
「今なんて?」
「執念……俺を変えたのは貴様が教えた執念だ」
やはりアスカの問いかけを無視し、彼女だけを置き去りにして会話が進んでいく。
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